第二千六百八十八話 何処かで待つ誰かの為に(三)
「これはいったい……どういうことなのでしょうな?」
ベインは、分厚い胸板の前で腕組みをした。彼は、本部正門の警備についている従騎士たちが眠りこけている様を見遣っている。本部内でもどうようの光景が見られることについては、既に説明してある。多くの従騎士が眠りこけていて、なんの反応も示さない、と。
「わたしたちだけ? ルーファウス卿は?」
「彼も、目覚めているかもしれないな」
「きっと、起きているでしょう。そして、こちらに向かって……」
「噂をすればなんとやら、だ」
ベインが視線を向けた先、月明かりにきらめく白髪の男が歩いてくるのが見えた。シド・ザン=ルーファウス。十三騎士のひとりである彼は、思い詰めたような表情でこちらに向かってきている。そして、本部前に屯するオズフェルトたちの様子を目の当たりにして、驚いたようだった。
「団長に皆……なにをしているのです?」
「それは、俺たち自身の疑問でもあるんだが」
「どういうことだ?」
彼は、ベインの言いざまに怪訝な顔をした。もっとも、訝しげな顔をしているのは、彼だけではない。騎士団本部前に集まった十三騎士のだれがも、似たような表情で顔をつき合わせていた。
「なるほど。つまり、五人が五人、同じような夢を見て、目覚めた、というわけですね」
シドが納得したのは、オズフェルトたちがそれぞれに見てきたことを話してからのことだった。
「そして、わたしたち以外の人間はだれもが熟睡中。シャノアなんてなにしても起きないんだもの。仕方ないから出てきたんだけど……それで正解だったようね」
ルヴェリスのいうように、オズフェルトを含め、だれもが似たような経験をしてきている。つまり、自分以外のだれもが眠りについていて、反応すら示さないという異常事態だ。十三騎士たる自分たちは目覚めることが強いられ、再び眠りにつくこともできないとなれば、そこになにがしかの意味を見出すのは当然といえるだろう。
「正解も不正解も、なにが起こっているのかわからなければ、どうしようもないが」
「それを探すのが俺たちの仕事でしょう」
「どうやって、探す? なにもわからないんだぞ?」
ロウファがベインを煽るようにいえば、ベインはロウファに勝ち誇るように言い返す。
「そりゃ、足を使うんだろ」
「使うべきは頭じゃないのか」
ロウファが呆れ果てる傍らで、ベインは鼻で笑った。そして、ベインの巨体が光に包まれたかと想うと巨大化し、変容した。まるで巨大な甲冑そのものといってもいい姿は、彼が真躯ハイパワードを用いたことによる変化であり、それを見たロウファは、まるで対抗するように真躯となった。ロウファの真躯ヘブンズアイは飛行能力を有する真躯ということもあり、彼はベインを嘲笑うように空を舞った。
「探し回ることにおいては、わたしのほうが得意だということを教えてやる」
「はっ、空なんざ飛べなくてもな、地上を走り回りゃいいんだよ!」
ハイパワードが自慢の剛腕を振り回せば、風圧がオズフェルトの頬を撫でた。いずれの真躯も常人の身の丈に比べると数倍以上に巨大だ。質量もそれだけ増しており、その力たるや、質量以上のものがある。
「ちょっとふたりとも」
「まあ、いいじゃないか。ふたりがやる気を出してくれているんだ」
「団長の仰るとおり。捜索はふたり任せましょう」
オズフェルトは楽観的だったが、それ以上にシドは気楽にいってのけた。すると、真躯と化した二名がシドを見た。
「は?」
「ルーファウス卿?」
「頼んだ」
シドが頭を下げると、それだけでベインとロウファはなにもいえなくなるらしい。
「ちっ……」
「わかりました。わたしが、この異常事態の原因を見つけてみせましょう」
「はっ、それは俺の台詞だ!」
ふたりは、巨大な真躯で睨み合うと、ほとんど同時に本部前から飛び離れた。人体の数倍はある巨大質量が超高速で動けば、その風圧だけで吹き飛ばされそうになるが、オズフェルトたちは、並の人間ではない。なんとか吹き飛ばされずに済んでいる。
「あのふたりに任せてよかったのかしら」
「ふたりだから、だ」
「え?」
「あのふたりなら、必ず成し遂げてくれる」
そういってふたりを見届けたシドの横顔には、確証があるかのようだった。信頼、だろう。シドとベイン、ロウファの間には、ほかの十三騎士とは異なる絆があるのだ。騎士団の絆、十三騎士の絆、そして、シドたち個人の絆、それぞれ異なるものであり、必ずしも共有できるものではない。オズフェルトとフェイルリングの絆が、ほかのだれにも入ってこれないものであったように、だ。
「ま、そりゃあそうでしょうけど」
ルヴェリスが肯定したのは、絆の有無ではなく、十三騎士としてのふたりの実力を信じているからにほかならない。
それについてはオズフェルトも同意だったし、ふたりが戻ってくるまでどうやって時間を潰すべきか、そのことを真剣に考えなければならなかった。
やがて、ロウファのヘブンズアイが騎士団本部前に戻ってきたのは、ふたりが消え去って数分足らずの後のことであり、あまりの速さにオズフェルトたちは顔を見合わせたものだった。
「見つかったのか? この異常事態の原因」
「原因かは不明ですが、ともかく、俺に乗ってください」
いうが早いか、彼は地上に降り立つと、その場に屈み込んだ。オズフェルトは、シド、ルヴェリスとうなずき合うと、すぐさまその背に飛び乗り、あとはロウファに任せた。飛行能力を有する数少ない真躯ヘブンズアイは、巨大な光背を翼のように広げ、空を舞った。
「なにがあったんだ?」
「行ってみればわかりますよ」
ロウファは、シドの質問にもそうとしかいわなかった。オズフェルトたちは疑問に想ったものの、彼がそうとしかいってくれない以上、現場に辿り着くのを待つほかなかった。
言葉にするよりも直接見るほうが早いというのは、その通りだった。
ヘブンズアイが目指していたのはベノアの城壁外南東の丘の上のようだった。そこにハイパワードが立ち尽くしていたため、すぐにわかった。星明かりが、夜の闇の中、ハイパワードの巨躯を浮かび上がらせている。
そして、オズフェルトは、ハイパワードことベインがなにゆえ立ち尽くしているのか、ヘブンズアイが近づくことで理解していった。
丘には、巨大な剣が突き刺さっていたのだ。それがこの異常事態の原因であることは、だれもが想像できた。ハイパワードの身の丈以上もある巨大な剣だ。そんなものが以前から存在していれば、オズフェルトたちが認識していないはずもない。つまり、今夜、突如としてその丘に現れたのであり、オズフェルトたちを呼び寄せているに違いなかった。
「あれは……」
オズフェルトは思わず口を開き、茫然とした。
それは、先代騎士団長フェイルリング・ザン=クリュースの真躯ワールドガーディアンの剣セイヴザワールドだったのだ。
ヘブンズアイが巨大な剣の元に降り立つなり、オズフェルトはいても立ってもいられず、その背より飛び降りると、すぐさま剣に駆け寄った。丘の上、ほかにはなにもない。ただ、セイヴザワールドが突き刺さっているだけだ。
近づいて、見れば見るほど、それはワールドガーディアンの剣セイヴザワールド以外のなにものでもなかった。巨大さだけではない。刀身の美しさも、神々しい装飾も、なにもかもセイヴザワールドを示している。
「これはいったい……」
「どういうことでしょう?」
「なぜ、団長の……ワールドガーディアンの剣が?」
だれもが疑問に想うことだ。それはそうだろう。フェイルリング・ザン=クリュースは命を落とした。
「閣下は、亡くなられた。この世界を護るための尊い犠牲となられたはずだ。そうだろう?」
だれに尋ねるでもなく、オズフェルトはいった。自問自答。答えは、自分の中にある。世界が崩壊したあの日、フェイルリングの命の信号が途絶えたのだ。ほかの十三騎士たちとともに、消滅した。この世界から、消えて失せた。
「ならばなぜ、ここにセイヴザワールドが……」
彼は想わず刀身に手を伸ばし、触れた。その瞬間、オズフェルトの脳裏に閃くものがあった。
「何処かで待つ誰かの為に……?」
無意気に口にした言葉は、フェイルリングの口癖とでもいうべき言葉であり、彼は、天を仰いだ。
フェイルリングは死んだ。
だが、その意思は生きている。
そう、想えたのだ。