第二千六百八十七話 何処かで待つ誰かの為に(二)
異常事態。
そう、それはまさに異常事態だった。
騎士団は、入団したときより、騎士団騎士としての誇りを徹底的に叩き込まれ、育成される。それこそ、騎士団騎士としていかに誇らしく生き抜けるか、騎士らしく死ねるかについて考え、行動することこそ、騎士団騎士のすべてといっても過言ではなかった。騎士団騎士のだれもが騎士としての誇りを胸に抱き、自負と尊厳を持っているからこそ、騎士団は成り立っている。騎士団騎士の有り様について、不満や疑問を持つものは、騎士団騎士としてやっていけるわけもなく、そんなものは自ずから辞めていくものだ。というより、まず騎士団に入ろうともしないだろうし、入団もできないだろう。
理想と現実を理解できないものを受け入れるほど、騎士団は寛容ではない。
騎士団の厳しい入団試験を突破してきたものたちが従騎士となり、修練を積んで準騎士となる。そして、さらなる苦難を乗り越えたものが正騎士となるのだ。さらに神に選ばれたわずかばかりが十三騎士と呼ばれるが、その十三騎士もいまやほんのわずかばかりだ。
そんな騎士団に所属する従騎士たちが、騎士団本部の巡回任務中、任務を放棄し、眠りこけることなどあっていいはずがない。あるとすれば、それこそ異常事態以外のなにものでもないのだ。故に彼は、それを発見したとき、異様な光景を見たと想ったのだ。
「どうした? いったいなにがあった?」
オズフェルトは、通路の角で眠りこけている従騎士たちに駆け寄ると、その体を力強く揺さぶった。しかし、どれだけ揺さぶろうとも、ぴったりと閉じた瞼を開くこともなければ、なにがしかの反応を見せることもない。任務中、日常の疲労のせいで眠りについてしまったわけでも、酒に酔い、その結果、夢の世界に誘われたわけでもなさそうだった。どちらにせよ、騎士団騎士たるもののあるべき姿ではないのだから、当然といえば当然だが、だとすれば、いったいなにが起きているのか。
彼は、従騎士たちがどれだけ呼びかけても、多少乱暴に扱ってもまったく目覚めないことを悟ると、周囲を見回した。こうなると、なにがしかの外的要因が彼らを眠りに誘ったと考えるべきだろう。そういった力がこの世界にはいくつも存在する。
真っ先に思いつくのは、武装召喚師だ。異世界の武器防具たる召喚武装の使い手たる武装召喚師は、魔法染みた現象を引き起こすことができる。それが召喚武装の能力なのだが、召喚武装の能力はなにも戦闘のみに作用するものではなかったし、対象を強制的に眠らせるようなものがあったとしてもなんら不思議ではなかった。疑問があるとすれば、ベノアガルドには武装召喚師がほぼいないということだ。ただ、なんらかの目的を持った武装召喚師がベノアガルドの外から入ってくる可能性については、否定できない。
とはいえ、武装召喚師以外の可能性も大いにあり、断定するには早すぎた。
現場検証をしようにも、若い従騎士たちが壁にもたれたり床に寝そべったりして眠っているだけで、なにか手がかりのようなものがあるわけでもなく、彼は周囲を見回したのち、通路を進んだ。眠ったままの従騎士たちを放っておくのもどうかと想ったが、どうしようもないのも事実だった。まずは、原因を究明するほうが先決ではないか。そう想えば、行動せずにはいられない。もしかすると、彼ら以外にも多くの騎士が同じように眠りについているのではないか。
いやそもそも、現時刻を考えてみれば、眠っている騎士のほうが多いのだ。起きている騎士の数のほうが圧倒的に少ない。
いますぐ騎士たちを叩き起こし、警戒させるべきか。
(いや……)
逡巡は一瞬だった。
彼は、頭を振ると、通路をまっすぐに進んだ。そして、本部内の各所で先程と同じように寝入っている従騎士の姿を発見し、それらが一切の反応を示さないことも確認した。やはり、騎士団本部はなにかしらの攻撃を受けていると考えるべきだろう。その目的はまったくわからないが、彼は警戒を強めるとともにいつでも戦えるように気構えをした。
騎士団本部を出たのは、無意識だった。
まるでなにかに導かれるようにして騎士団本部の外に出た彼は、正門の警備に当たっている従騎士たちすら熟睡していることを確認した。
真夜中。
頭上には、膨大な星々が輝き、巨大な月の青ざめた光がベノアの町並みを照らしていた。
ベノアは、復興の真っ只中にある。“大破壊”以降、様々な難事に遭ってきたベノアだが、ネア・ベノアガルド騒動の終息によってようやく落ち着きを取り戻し、復興に全力を注げるようになったのだ。近隣諸国のいずれも自国のことで忙しく、が攻め込んでくる可能性は極めて低く、そのために戦力を割く必要がなかった。騎士団騎士を復興のために費やしたとしても、なんの問題もないくらいだ。
それもこれも、ネア・ベノアガルドに関する様々な事態に決着がついたおかげであり、名誉騎士セツナ=カミヤのおかげといっても過言ではない。彼には感謝してもしたりないし、故に彼のことを考えるのも、日課の如くなっていた。彼が無事に目的を果たすことができたのか、それがオズフェルトら、彼と関わりを持った十三騎士たちの気にするところだったのだ。
遠い空の果て、彼はいまも無事だろうか。
ふと、そんなことを考えたのは、平穏無事な夜のベノアを見渡し、その光景が彼という英雄の存在あってのことだからだ。ベノアの現状については、彼なしでは語れないのだ。
「異様な気配に誘われて見れば、騎士団長閣下ではありませんか」
どこか荒々しい雰囲気を持つ声音を見遣れば、ひとりの大男が星明かりの下を歩いてくるのが見えた。ベイン・ベルバイル・ザン=ラナコート。十三騎士のひとりである彼は、その巨躯だけで認識できるほどに大きい。
「卿は、起きていたか」
「起こされたんですが」
「起こされた? だれに」
「だれに……っていうか、夢に?」
「夢……」
ベインの訝しげな、自信の持てない反応を見る限り、彼も、なにが原因とは特定できないようだった。おそらく、彼は自分の屋敷で眠りについていたのだろうが、夢の途中、違和感に叩き起こされたのだろう。オズフェルトのように、だ。
「わたしと同じか」
「閣下も、ですか」
彼は、腑に落ちないといった顔をした。すると、
「奇遇ねえ。わたしも、なのよ」
女のような口調で割り込んできたのは、ルヴェリス・ザン=フィンライト。十三騎士のひとりである彼は、ベインとは別方向からこちらに向かって歩いてくるところだった。
「フィンライト卿まで?」
「変な夢を見て、ね。起こされたの」
ルヴェリスは、寝起き故の不快さを前面に押し出すようにして、いった。彼にしてみれば、せっかくの眠りを邪魔されたのだ。不機嫌になるのもわからなくはない。特に彼のように美容に気を遣っている人間にしてみれば、このような状況など、好ましくもなにもないはずだ。
三人が三人、同じように異様な夢に起こされ、彼ら以外は眠りについているというのは、偶然にしては、出来過ぎではないか。
「ということは……」
「同じく」
不意に、ぼそりと反応を示したのは、いつの間にかオズフェルトたちの近くにいた男だった。ロウファ・ザン=セイヴァス。彼もまた十三騎士のひとりだ。
「いつのまにいやがったんだ?」
「先程から」
ロウファは、あくびをもらしながら、ベインに応え、ベインは頭を振った。とりつく島もない、とでもいいたげな反応だが、ロウファの態度もわからなくはない。彼も眠たいのだろう。だが、眠れない。オズフェルトと同じだ。奇妙な夢が、いまも意識に取り巻いている。
存命中の十三騎士五名の内、四名が真夜中の騎士団本部前に集ったのは、奇妙というほかなかった。