第二千六百八十六話 何処かで待つ誰かの為に(一)
「そういえば、ワールドガーディアン……いや、フェイルリングさんはどうなったんだろう。ラムレシアはなにもいわなかったが……」
セツナが予てより抱いていた疑問を口にしたのは、場所を機関室から船内大広間に移してからのことだ。
目的地が決まり、船が動き出した以上、機関室に留まっている理由はない。むしろ、邪魔になるからさっさと出て行って欲しいといってきたのがマユラ神であり、その点でもマユリ神とは大違いだとミリュウたちがいった。ミリュウやエリナは、船の移動中もマユリ神と交流していたし、そうすることが力になるとマユリ神がいっていたことでもある。
マユラ神とマユリ神は表裏一体の存在であり、その有り様も大きく異なる。もしかしなくとも、マユラ神は、マユリ神のような扱いを受けるのが嫌いなのだろう。
大広間に入ると、真っ先に動いたのはレイオーンだった。白銀の獅子は、室内にある一番大きな椅子の前で屈み込むと、レオナに座るよう促したのだ。レイオーンにしてみれば、ガンディアの姫である彼女には、もっとも豪華な椅子こそ相応しいとでもいうのだろう。
レイオーンのそういう対応は、むしろ健気すぎるきらいがあり、セツナたちは顔を見合わせて微笑んだものだ。
広間には長卓を囲むようにいくつもの長椅子が配置されており、そのひとつにセツナが腰掛けると、当然のように左右にはファリアとミリュウが座った。ミリュウの隣にはエリナが、その隣にはミレーヌが腰を下ろし、シーラ、エスク、ネミアらは対面の席に座っている。ゲイン、ダルクスはそれぞれ別の椅子だが、レムとウルクは、セツナの背後に控えるようにして、立っている。セツナが座れといっても、彼女たちは座らない。
『従僕でございますから』
『ございます』
ふたりの満足げな対応を見る限り、どうしようもなかった。
「わたしたちに聞かれても……ねえ」
「そうそう。あのひと、彼女が連れてきたんだもの」
ミリュウがいう彼女とは、ラムレシアのことだろう。ファリアは彼女をいまもなおユフィと呼んでいるが、ミリュウは、彼女のいずれの名も口にすることを躊躇っているようだった。竜王に対するなにがしかの記憶がそうさせるのか、どうか。
「連れてきた……か」
そこが、疑問の生まれるところではある。
ベノアガルド十三騎士団長フェイルリング・ザン=クリュースは、死んだはずだ。聖皇復活の儀式、その完成を阻止するため、クオン率いる《白き盾》と協力し、命を燃やし、死んだのだ。それは、ベノアの十三騎士たちが確認している。十三騎士には、特別な魂の繋がりがあり、フェイルリングらは間違いなく死んだのだ、と。その結果がこの世界の現状である、ということも彼らは認識していた。
なのに、ワールドガーディアンが現れた。そして、ファリアたちの話によれば、ラムレシアが連れてきたのはどうやらフェイルリング・ザン=クリュースそのひとであるらしいのだ。つまり、生きていた、ということになる。
(いや……)
セツナは、胸中、頭を振った。
死んだはずなのに生きていた人間を何人も見てきたではないか。そして、その方法ならば、フェイルリングにもできなくはない。つまり、転生だ。クオンたちが使徒として転生を果たしたように、レオンガンドが神々の王として転生したように。フェイルリングもまた、救世神ミヴューラの力によって転生を果たしたのではないか。
それならば、色々と説明がつく。
そして、フェイルリングならば、その力を世界の救済のために使うことは想像に難くない。
フェイルリングたちは、救世のためならば、死をも厭わない正義の味方だった。
「セツナ救出作戦には必要不可欠だって、ね」
「まさか、あそこまでの力があるなんて想いませんでしたが」
とは、エスク。だれもが彼の感想に相槌を打つ。船内から、ワールドガーディアンの戦いぶりが見えていたということだろう。
「ラグナが覚悟を決めるほどの相手だ。あれくらいは当然だろうさ」
そして、ネア・ガンディア船団との激闘を思い起こせば、ベノアでの戦いにおいて、ラグナが命を賭した空間転移魔法を用いなければならなかったのもわかるというものだ。神々を相手に引けを取らないどころか、むしろ圧倒さえしているようなワールドガーディアンの姿は、まさに戦神というべきものであり、不完全なラグナでは相手にならなかったのだろう。
「ラグナ……」
「どこにいるのかしらね」
「どこかに、いるわよね?」
「いるさ。どこかで俺たちのことを待っているに違いねえよ」
確信があるわけではない。
だが、転生竜たる彼女が転生するために必要なだけの力は、この世界に満ちあふれていたはずだ。それも黒き矛の力を吸って転生したとき以上の力を取り込むことができただろうし、それならば、彼女の復活もより万全なものとなったとしてもなんら不思議ではない。
だとすれば、自分の居場所を報せてくれてもいいはずだ、と、想わなくもないが。
ラグナのことだ。
じっと、セツナたちが来るのを待っているのかもしれない。
不意に目が覚めたのは、夢の中に違和感が走ったからだ。
それは最初、ただの夢だった。ありふれた、目が覚めれば忘れるような夢の出来事。それが忘れられなくなったのは、違和感のせいだろう。幸福とも不幸とも言い難い微妙な空気感をぶちこわしにした違和感は、空間に穿たれる剣閃だった。斬撃が走り抜け、意識が切り裂かれた。
死を、感じた。
そして目が覚め、動悸と目眩、全身から噴き出した尋常ではない汗の量に茫然とする。
オズフェルト・ザン=ウォードは、夜の闇に支配された寝室の中でゆっくりと息を整え、そして、夢の違和感が再び眠りを誘うことはないだろうと悟った。寝台を抜け出し、汗を拭って服を着替える。寝間着から、普段着へ。着替えても、心が落ち着くことはなく、全身総毛立っているという事実の前に困惑する。
なにかが、起きている。
(なんだ……? これは)
彼は、真夜中の冷ややかさとは無縁の汗の量に辟易しながら寝室を出ると、騎士団本部のわかりやすい通路を進んだ。新たに建設された騎士団本部は、以前の複雑な内部構造からは考えられないほどに風通しのいいものになっている。入り組んだ通路は廃し、迷宮めいた作りではなく、使いやすく、わかりやすい空間作りを徹底しているのだ。それでは防衛機能に問題が出るのではないか、という声もあったが、オズフェルトは、そういった声に対し、以前の騎士団本部が一瞬にして壊滅した事例を持ち出して、反論とした。どれだけ防衛機能を重視しようと、ああいった手合いの前ではいかんともしがたい。
それになにより、騎士団本部内の警備は昼夜問わず行われており、見通しのいい作りであればあるほど、警備担当にとってもいいことであるはずだった。実際、日々警備に当たっているものたちからは、新騎士団本部の構造は評判がよかった。
そんな、オズフェルト渾身の力作ともいうべき新本部内を彼自身が真夜中歩き回るのは、別にめずらしいことでもなかった。騎士団長という重責を担う以上、心労が絶えず、眠れぬ日々を過ごしていた。今宵の目覚めも、そういった日常の一環に過ぎないと想ったのだが、どうやら、そうではない。
彼は、予期せぬ事態を目の当たりにして、目を細めた。
「これはいったい……」
新本部の夜回りを行っているはずの従騎士たちが、通路の角で眠りこけていたのだ。
誇り高き十三騎士団の従騎士たちが任務を途中で放り出すことなどありえない。
異常事態だった。