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第二千六百八十二話 獅子姫、その覚悟(二)


「セツナ。おぬしは、あの船に捕まっていたそうだが、そこであの男に会ったか?」

 レオナ・レーウェ=ガンディアがセツナに問い質してきたのは、甲板から船内に移り、通路を歩きながらのことだった。レオナは、銀獅子の膨大な鬣に埋もれるようにしてその背に跨がりつつ、まっすぐなまなざしをセツナに向けてきている。レオンガンドとナージュの面影のある容貌は、齢三歳の幼女とは思えないほどに美人だ。

 セツナは、肉体的には万全な状態であり、皆と並んで歩くのも苦にならなかった。なぜかといえば、ラムレシアの魔法によって肉体的な疲労が回復したからだ。その魔法を受けたとき、ラムレシアが竜王に転生したという事実を再認識したものだった。彼女は、人間ではなくなったのだ。

「あの男……」

「偉大なるお父様の名を騙るもののことよ」

「ええ……まあ」

「それで、どう想った?」

「どう……とは」

「おぬしは、わたし以上にお父様のことを知っておろう? ならば、あれがお父様ではないと証明できるはず」

「証明……」

 レオナの言葉を反芻し、セツナは考え込んだ。レオナがレオンガンドと対面したときのことは聞いている。レオナはレオンガンドを否定し、レイオーンを呼んだという。レイオーンはレオナの魂の叫びに呼応し、彼女を救ったのだ。レオンガンドの手から。

 もし、そのときレイオーンが応えなければ、レオナはいまごろナージュともどもネア・ガンディアの一員になっていただろう。

 父レオンガンドと母ナージュとともにいることは、本来、レオナにとって喜ばしいことであり、幸福なことであるはずなのだが、彼女は難しい顔をして、いうのだ。

「お母様は、すっかり騙されてしまったようだが……お祖母様も叔母様も、わたしの意見に賛同してくれている以上、あれがお父様であるとはとても想えぬ」

 とても幼子とは想えない表情に口調は、彼女が生まれながらに背負った立場や役割によるものに違いない。王位継承権を持って生まれた彼女は、将来、ガンディアを背負って立つ人間としての教育を受けている。それは“大破壊”以降も変わらなかったという話であり、教育係であるリノンクレアの影響を多分に受けたのだろう口調からは、威厳さえ感じ取れた。

 とはいえ、腑に落ちないこともある。

「……殿下は、何故、彼が本物ではないと断定なされるのです?」

 レオンガンドは、見た目だけでなく、なにからなにまでレオンガンド本人だった。口調も、性格も、立ち居振る舞い、ちょっとした仕草の癖もなにもかも、レオンガンド・レイ=ガンディアだったのだ。セツナは、その姿を見た瞬間、レオンガンドとの再会に感動さえしたものだ。セツナでさえそうだったし、伴侶たるナージュなどはレオンガンドを当然のように受け入れているようだった。レオナは、なぜ、彼を否定できたのか。それが不思議でならない。

 レオナは、レイオーンの鬣に埋もれながら、こちらを見た。

「わからぬ」

「は?」

「勘じゃ!」

「勘……」

「王家の血が、そうさせるのだろうな」

 どこか誇らしげに告げてきたのはレイオーンだ。人語を解する銀の獅子は、レオナと同じくレオンガンドを否定したというが、ガンディア王家の守護獣たる彼の判断が間違っているとは考えにくい。つまり、レオナの判断も正しいといっていいのではないか。

 と、彼女たちの判断に縋ろうとしている自分の弱気に気づき、彼は胸中憮然とした。決めたのは、自分だ。断じたのは、己なのだ。レオンガンドと否定し、レオンガンドと決別したのは、自分自身の意思なのだ。そのことを忘れてはならないし、他人の判断で補強するような惰弱な真似はするべきではない。それでは、自分がなくなる。

 自分は、自分だ。

 だからこそここにいて、前に進む。

「セツナよ、おぬしはどう想ったのだ? 奴らに囚われたおぬしは、レオンガンドと名乗るものと遭うたのだろう?」

「はい。会いました。会い、話を聞き、ある確信を得ました」

「確信?」

 セツナは、レオナとレイオーン、それにファリアたちの視線を感じながら、どう伝えるべきか、悩んだ。すべてをありのままに伝えれば、レオナを傷つけることになりかねない。威厳に満ちた王者の風格を漂わせる彼女だが、まだ三歳かそこらの幼子に過ぎない。父と母、家族を愛し、家族に愛されることを望む、幼子なのだ。そんな彼女に真実を伝えることは、その幼い心に深い傷をつけることになるのではないか。

 だから、セツナは、散々に苦悩したものの、レオナのまっすぐなまなざしを受け、正直に応えることにした。その結果、彼女が傷つき、哀しむことになったのであれば、その業のすべてを背負おう。そう、覚悟を決めた。

「彼は……」

 セツナは、告げた。

 彼は、レオンガンド・レイ=ガンディアそのひとである、と。

 そして、彼は、ひとの道を踏み外した、ともいった。

 人外の怪物へと生まれ変わり、成り果てたのだ、と。

 だが、それそのものを悪と断じることは出来ないだろう。人外に生まれ変わること、転生そのものを否定するというのであれば、ラムレシアを否定しなければならない。ラムレシアだけではない。サグマウとして生まれ変わることで現世に留まり、皇帝への忠を尽くさんとしたリグフォード、神へと変わり果てたニーウェハインまでも否定し、拒絶しなければならなくなるはずだ。

 ひとの身を捨てるという意味では、同じなのだから。

 ではなぜ、セツナは、レオンガンドを否定し、決別したのか。

 ネア・ガンディアに降らなかったのか。

 理由は単純だ。

 認められなかったからだ。

 納得できなかった。

 個人的な感情といってしまえばそれまでのことだが、結局のところ、人間とはそれがすべてだ。理性や計算だけで生き続けられるような生き物ではない。感情こそがすべてを優先する。故にセツナは、レオンガンドを拒絶した。レオンガンド・レイグナス=ガンディアと名乗るあの化け物を否定し、敵対する道を選んだのだ。

「つまり、おぬしはあれをお父様と認めた上で、敵対するというのだな?」

 セツナの説明を受けてもなお。レオナの気持ちに変化はなさそうだった。

「そういうことになります」

「ふむ。ならばわたしはおまえに命じようではないか」

「は……?」

「獅子神皇レオンガンド・レイグナス=ガンディアを討つのだ」

「殿下……?」

「おぬしがいうからにはあれはお父様なのだろう。だが、わたしは、王者たるもの、自国民に犠牲を強いるようなやり方をしてはならぬと教わった。わたしは、マルウェールの惨劇を忘れぬ。マルウェールの民草がなにをしたというのだ。彼らは懸命にこの時代を生きていただけではないか。それをあやつらは……」

 苦渋に満ちた表情からは、彼女が自分の立場を理解していることがはっきりと見て取れた。やはり人間、年齢ではないのだ。どうやって育ち、どうやって生きてきたか。それが人格の形成に大きく影響するのだろう。少なくともセツナは、レオナに尊敬の念すら抱き始めていた。

「マルウェールの一件だけではないぞ。ネア・ガンディアが所業、そのすべてを認めることなど出来ぬ。そして、その支配者たるレオンガンドもな。それがたとえ本当にわたしのお父様なのだとしても、認めてはならぬのだ。それは、ガンディア王家の人間であることを辞めるということにほかならぬ。わたしはレオナ・レーウェ=ガンディア。ガンディアの王女なのだ」

 レオナの発言に心を打たれたのは、セツナだけではないだろう。齢三歳の幼子とは到底想えぬほどに成熟した精神性を見せつけられ、さらに王家の人間としての覚悟を伝えられれば、だれだって心を揺り動かされるはずだ。

 獅子神皇が、レオンガンドが転生した存在であるという事実を受けても、彼女の決意は揺るがなかった。その小さな体のどこにそこまでの胆力が備わっているのか、想像もできない。だが、だからといって、まったく動揺していないとは想えず、セツナは、レオナの前に膝を突き、彼女の目をまっすぐに見つめた。青く美しい瞳は、濡れているように見えた。

「どうしたのだ?」

「このセツナ=カミヤ、ただいまより殿下のために全身全霊を尽くすことを誓いましょう。殿下のお望みとあらば、どのような敵も必ずや討ち倒し、殿下の御前にその首並べて見せましょう」

「そのような趣味はないが……」

 一瞬、なにを想像したのか青ざめたレオナだったが、すぐさま太陽の如く明るくなった。

「しかし、頼もしいぞ! セツナ! 我が英雄よ!」

 英雄。

 その言葉が呪いのように感じられたのは、きっと、気のせいではあるまい。

(英雄)

 レオンガンドの言葉が、セツナの心を取り巻いていた。




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