第二千六百八十一話 獅子姫、その覚悟(一)
「どうしたのだ? なにゆえ、ひっくり返っておる?」
「それは、おそらくですが、殿下がここにいることに驚いたからではないでしょうか」
レオナの率直な疑問に対し、冷静にエリルアルムが考察する。ふたりの当然のような態度がセツナには理解できなさすぎて、思考が追いつかない。
「そうなのか? セツナ」
「は、はい……それはもう、その通りで」
もちろん、エリルアルムとガンディアの守護獣レイオーンがともにいることにも驚いたのだが、一番の驚きとなれば、やはりレオナだろう。なぜ、ガンディアの王女レオナが船に乗っているのか、まったく理解できなかったし、想像もできないことだ。突如姿を見せれば、腰を抜かすほどの驚きを覚えるのも当然だ。
「ふむ。そういうことならば理解もできるが……そなたらは説明せなんだのか?」
「そ、それがですね、殿下」
「いま説明しようと想っていたところなのでございます!」
レオナに半眼を向けられて、慌てた反応をしたのはファリアとレムだ。レオナは、齢三歳くらいの幼女ではあるが、王者としての教育を受けてきたこともあってか、威厳と貫禄があり、言葉遣いも立派だった。少なくとも舌足らずではない。
「ならばよい。思う存分説明せよ。さすれば、セツナも納得できよう」
「は、はい」
「ということで御主人様、レオナ殿下やエリルアルム様がここにいる理由、聞いていただけますか。聞いて戴けますね、では」
幼女らしからぬ威厳に気圧されるようにして、ファリアとレムがセツナに向き直り、口早にいってきた。セツナに同意を求めながら、同意するまでもなく説明を始めるレムの様子を見れば、ふたりの関係性がわかろうというものだ。まあ当然ではある。レオナは、セツナの主筋であり、レムはセツナの従僕だ。主の主となれば、丁重にもなろう。ファリアがレオナに平身低頭といった態度なのも、彼女がガンディアに対して深い思い入れがあり、ガンディア王家への忠誠心を失ってはいないからだ。
その点、ミリュウやシーラは違う。ミリュウは便宜上ガンディア王家に仕えていただけだし、シーラやエスクはセツナをこそ主君と仰いでいた。シーラの立場的にはレムと同じような反応を見せてもおかしくはないのだが、ふたりには想うところがあるのかもしれない。
ガンディア王国民だったエリナやミレーヌ、ゲインらは緊張のあまり、身動きすら取れないといった有り様だが。
「なるほど……そういう理由でしたか」
レムの説明を受けて、セツナは、得心がいったものの、故にこそ、レオナを見る目を変えなければならないと想った。
ウルクナクト号にレオナたちが乗船することになった理由。
それは、セツナ救出作戦中に起きた突発的な出来事による。
セツナ救出作戦は、ウルクナクト号の元へ、ラムレシア=ユーファ・ドラースが現れたことに端を発する。元々は、ウルクナクト号の戦力のみで決行するつもりだった――とミリュウなどはいっているが、マユラ神が反対しただろうことは目に浮かぶ――が、そんなとき、突如としてラムレシアが現れ、彼女が協力を申し出てきたことで状況は動き出す。それまでなんの目処も立っていなかったセツナ救出作戦が現実味を帯びたのだ。
蒼白衣の狂王ことラムレシアとその眷属たる数多の飛竜に加え、ベノアガルド神卓騎士団長フェイルリング・ザン=クリュースが共同戦線を張ってくれるというのだ。ウルクナクト号の面々が俄然盛り上がり、やる気になっただろうことは想像に難くない。
それでも困難を極めるものであり、マユラ神は乗り気ではなかったが、ファリアたちの説得とラムレシア、フェイルリングの後押しによって、仕方なく応じたとのことだ。そのことについて不満をもらしていたミリュウたちではあったが、マユラ神の立場を考えれば、そうなるのも無理はなかったし、たとえマユリ神が前面に出てきていたとしても、同じような判断を下したのではないだろうか。神々にしてみれば、ファリアたちを失う可能性があることはしたくないのだ。
それは、セツナのさらなる暴走に繋がる。
とはいえ、セツナを囚われたまま放っておくことの危険性を考えれば、多少の無茶をしてでも救出作戦を決行するのも仕方のないことだった。それに、ラムレシアが計画した作戦に従えば、ファリアたちが危険に曝される可能性は極めて小さく、そのことがマユラ神には良かったようだ。
セツナ救出作戦は、ウルクナクト号、飛竜たち、フェイルリングが船団を攻撃し、ネア・ガンディアの注意を集めたところにラムレシアがセツナの奪還を行うというものであり、ファリアたちが矢面に立つような場面はなかったのだ。
そして作戦は実行に移され、ネア・ガンディア船団への総攻撃が始まった。
ネア・ガンディアの飛翔船の数は二百に近く、その戦力も圧倒的というほかがない。ラムレシアも真正面から戦い、勝利できるなどと想ってはおらず、敵の虚を突き、セツナを奪還することのみを考えて行動したようだ。そのための陽動が、ファリアたちを乗せたウルクナクト号の役割であり、当初はその予定通りに動いていたのだが、途中、船はその針路を変えている。
マユラ神が拾った地上の声が、彼女たちを作戦とは別の行動を取らせた。それが龍府への急接近であり、空中要塞シウスクラウドの直下を駆け抜けたという。そして、マユラ神の力によって、レオナとレイオーン、エリルアルムらを船内に転送、龍府上空を脱したとのことのようだ。
ちなみに、グレイシアやリノンクレアも船に転送しようとしたが、彼女たちはウルクナクト号に乗ることを拒んだ。グレイシアは仮にもガンディア仮政府代表だったことの責任があるといい、リノンクレアは、レオンガンドを放ってはおけない、といったという。
では、レオナはどうなのか。
というと、グレイシアもリノンクレアも、レオナが龍府を脱し、ネア・ガンディアの支配下から逃れることには大賛成であり、その護衛にエリルアルムを連れて行くことを推奨したのもふたりだった。
レオナは、ガンディアの正当なる王位継承者であり、いずれガンディア王家を継ぐものだ。彼女さえいれば、どのような未来が待っていようと、ガンディアを再興することは決して不可能ではない。たとえ彼女の代で出来なくとも、命を繋いでいけば、いつかは――。
そんな想いが託されたということはつまり、グレイシアもリノンクレアも、レオンガンド率いるネア・ガンディアを認めていないということにほかならない。その心中、察するに余りある。なぜならば、レオンガンドは、レオンガンドなのだ。人外に成り果てたとはいえ、だれがどう見てもレオンガンド・レイ=ガンディアそのひとであり、だからこそ、ナージュはレオンガンドについていったのだろうし、仮政府のネア・ガンディアへの合流も認めたのだろう。
だのに。
セツナは、てっきり、レオナもレオンガンドとともにいると想っていた。なぜならば、レオンガンドの側にはナージュがいたからであり、ナージュがレオナを手放すとは考えにくかったからだ。なにせ、レオナは、レオンガンドとナージュの愛娘だ。レオンガンドがいまもなおナージュを愛し、側に置いているというのならば、レオナも迎え入れようとするはずだった。
だが、実際には、レオナは、ナージュのようにレオンガンドを受け入れることができず、レイオーンとともに龍府に潜伏していたという。
そして、ウルクナクト号に合流し、いまに至るということだ。
「理解できたか? セツナよ。わたしはしばらくおぬしらの世話になるぞ」
「は、ははあ……」
生まれながらの王者には、平伏するしかないが、悪い気はしなかった。レオナは、レオンガンドの血を引いている。人間だったころのレオンガンドとナージュの愛の結晶であり、その事実は、彼女の愛らしい容貌の中に詰め込まれているといってもよかった。
そんなレオナに忠を尽くすのも、悪くはない。
いやむしろ、レオンガンドと敵対したいま、レオナにこそ忠誠を誓うべきだ。
ガンディア王家が主筋であることに変わりはないのだから。