第二千六百七十九話 狂える女王(二)
ラムレシアは、周囲を見回せば、セツナの視界も広がった。超巨大飛翔船シウスクラウド号の遙か上空で、セツナはラムレシアに抱えられている。眼下、巨大戦艦とでもいうべき飛翔船に穿たれた大穴より複数の光が追いかけてくる様が見えた。ネア・ガンディアの神々だ。レオンガンドはまだ、セツナの確保を諦めていないということだ。
周囲は、戦場と化している。それも激戦地であることは、空に出たときから明白だったが、改めて周囲を見回せば、それがどれほどのものかも理解できるというものだった。ザルワーン島上空に浮かぶ無数の飛翔船、その間を縫うように飛び回る数多の飛竜たち。それらは魔法などを用いて飛翔船やネア・ガンディアの防衛戦力を攻撃しており、空中各地で凄まじい規模の戦いが繰り広げられていた。
人知を越える戦いの数々は、ザルワーンの天地を震撼させていたのだ。
「これは……」
「おまえを救出するために我が眷属を総動員した。その数もいまや半数ほどになったようだが……」
「半数……? そんな――」
セツナが絶句するのも当然だったが、ラムレシアは、そんなセツナの反応に対して冷ややかだった。
「これは我々が勝手にやったことだ。気に留めることはないし、責任を感じる必要もない。おまえは、この世界の今後にとって必要不可欠な存在でもあるのだからな」
「俺が……?」
「おまえは魔王の杖の護持者だ。おまえの力なければ、あれを討ち滅ぼすこともできない」
ラムレシアは、眼下の飛翔船を見下ろした。あれ、とは、この状況の根源ともいえる存在、獅子神皇のことだろう。それ以外、考えられない。彼女は、ラムレス=サイファ・ドラースの力を受け継いだというのだ。つまり、三界の竜王の一柱になったのだ。三界の竜王とは、イルス・ヴァレを原初より見守り続けてきた神々と言い換えてもよく、イルス・ヴァレの意思といってもいい、らしい。そんな彼女からすれば、獅子神皇を始めとするネア・ガンディアの存在は許しがたいものなのかもしれない。
「……なるほど」
「利害の一致、という奴だ。だから、気に留めるな」
「気にはするし、責任も感じるよ」
自分の愚かな暴走が招いた結果だ。もし、セツナが飛び出さなければ、理性を保ち、冷静に判断することができたならば、こうはならなかった。少なくとも、多くの飛竜が命を落とすようなことはなかったのだ。それだけは確かであり、責任を覚えるのは当たり前のことだと彼は想った。
「ファリアのような奴だな、おまえは」
「そう……かもな」
どこか呆れたような、それでいて納得したようなラムレシアの反応に、セツナはなんともいえなかった。そして、眼下に閃光を見て、視線を向けたとき、彼は予期せぬ存在を認知した。闇夜にきらめく巨大甲冑は、それだけで目立つ。
「って、あれは……」
「さすがに我々だけではこの数を相手にはできないのでな。協力者を集めた」
「協力者って……」
セツナは、思わずうなった。
「ワールドガーディアンじゃないか」
飛翔船を相手に大立ち回りを演じる巨大甲冑は、まさにベノアガルド神託騎士団長フェイルリング・ザン=クリュースの真躯ワールドガーディアンそのものであり、その一太刀が閃くたび、飛翔船が両断される様は圧巻というほかなかった。
ただ、その体躯、質量は、ベノアで対峙したときよりも遙かに巨大であり、身の丈は小型飛翔船ほどもあった。巨人などという次元ではないが、真躯がそもそも神の力によって巨大化した化身である以上、大きさに疑問を持つのはおかしなことだ。注ぎ込む神の力によっては、真躯を巨大化することも、小型化することだって可能かもしれない。しかし、それにしても、巨大な剣を振り翳し、空を舞う騎士の姿は、圧倒的かつ輝かしく、セツナは絶句するほかなかった。
なにより、あれがワールドガーディアンならば、おかしな点が出てくる。
「死んだはずじゃなかったのか……」
「そうなのか? わたしは詳しく知らないのだ」
「詳しく知らないのに協力を仰いだのか」
「ああ。力が必要だった。どうしてもな」
そうつぶやくラムレシアの周囲に飛竜たちが集まってくる。その様子を見る限り、だれもが彼女を新たな竜王として認めているようだ。疑念も懸念も不満も不信もない。全幅の信頼だけが彼女に向けられている。その信頼は、数多の同属が討たれ、死んでいく中でも微塵も揺るがない。それが竜属の絆なのだろうし、そこに人間の価値観が入り込む隙はない。
竜属は、竜王を絶対的な頂点に置くという。
竜王の命令は絶対であり、死ねといえば死に、生きよといえば生き抜くという。この戦場に飛び交う飛竜たちにはどのような命令が下されたというのか。
「俺のために……か?」
「自惚れるな。おまえのためだけに予め戦力を用意しておくわけがないだろう」
「……そりゃそうか」
「偶然だ。運が良かった。わたしの準備も無駄にならなかった、ということだ」
だから、気に留めるな、とも彼女は続けた。たとえセツナの救出作戦がなくとも、飛竜たちの半数が死んだことに違いはない、と。それは彼女が気を遣ってくれているだけだということはわかったが、セツナはなにもいわなかった。
なぜならば、ラムレシアは、セツナを抱えたまま全軍に撤退を指示し、戦場からの離脱を始めたからだ。そのことにより、彼女の目的が当初のものからセツナ救出に変更されたことは疑いようがなくなった。本来の目的は、おそらく船団との戦闘であり、そのための犠牲は織り込み済みだったとはいえ、セツナ救出に変更したことによる弊害が出ていないとは限らないのだ。
そのことが気になって、仕方がなかった。
「俺たちはいいけど、フェイルリングさんはどうするんだ?」
「勝手に離脱するだろう。あれも引き際を弁えているからこそ、今日までネア・ガンディアを相手に戦い続けてこられたのだからな」
「ネア・ガンディアを相手に戦い続けてきた? フェイルリングさんが? ひとりで?」
「いや、救世騎士団と名乗って活動しているようだ。主にガンディア大陸で、だそうだが」
「ガンディア大陸……」
「ネア・ガンディアの本拠地のことさ」
それはいわれずとも想像がついた。
おそらく、いや、間違いなくガンディア本土を含む小大陸のことなのだろうし、だからこそ、ネア・ガンディアと名乗っているのだろうとも思えた。もちろん、指導者がレオンガンド本人であるという事実のほうが大きいだろうが。
「わたしに聞きたい話はいくらでもあるだろうが、いまは離脱に専念させてもらう」
「あ、ああ……色々聞いて悪かったよ」
「気にするな」
ラムレシアは小さく笑うと、翼を大きく広げた。竜王の飛膜は、巨大で美しく、神々しくさえあった。セツナは、そこにラムレスの面影を見出しつつ、ラムレシアの横顔にユフィーリアを見出したりして、複雑な感情を抱いた。ラムレシア率いる飛竜たちは、戦場の真っ只中を突っ切るように飛翔していく。神々の追撃には、それら飛竜たちが盾となり、壁となり、妨げた。撃ち落とされたものも少なくはない。激戦地。戦場を離脱するのも困難を極めるのは当然だろう。
シウスクラウド号が天蓋のように塞ぐ龍府上空を飛び立ち 北東へ。
ついには神々や飛翔船の追撃を振り切り、なにもない海上に辿り着いたかと想うと、眼下の海上に琥珀色の煌めきを見出した。月や星々の光を浴び、輝く琥珀のような柱には、懐かしささえ覚えた。
そこは、美しき海神マウアウの神域。