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第二百六十七話 ミリュウ

「それしかない、か」

 セツナがファリアとともにアスタルの元を辞したのは、ルウファの処遇についての相談が終わったからだった。

 頭上、夜空を覆う雲の量が増えてきている。月は陰り、星々はほとんど見えなくなっていた。明日には雨が降るかもしれない。そんなことを考えながら、草深い休憩地を歩いて行く。周囲には馬車の群れがあり、休憩中の兵士たちの姿が散見される。馬車の荷台だけでは収まりきらないのだ。荷台に詰め込むことならできるかもしれないが、その状態では休憩もままならない。なので、荷台と外で交代しながら休んでいるらしい。

 馬車が足りないのは、セツナのために馬車一台を借りきっていたというのもあるかもしれない。ほかにも重傷者は多数おり、彼らも馬車の荷台を専有している。ルウファも同じだ。さすがに重傷者を馬車の外で休ませるわけにはいかないだろう。当然の判断だ。

「ルウファには可哀想だけど、彼だけ特別扱いするというのもね」

「うん……」

 セツナは、歩くたびに足の裏から全身に走ってくる衝撃に辟易しながら、ファリアの言葉にうなずいた。前述の通り、ルウファ以外にも重傷者は多数いる。戦闘に参加できそうもない彼らは、投降兵ともども、バハンダールへの後送が決まっていた。難攻不落のバハンダールなら、療養に専念できるというものだ。グラード=クライドという頼もしい守将もいる。重傷者も安心して休めるだろう。

 バハンダールが攻撃を受けたという報告はないらしい。西進軍がバハンダールを発して一日足らず。そんな簡単にバハンダールへの攻撃が実施できるはずもなく、安堵していいわけではないということだ。依然、厳重な警戒が必要だった。とはいえ、バハンダールから離れた西進軍が、グラードたちのためにしてやれることといえば、一日にも早くビューネル砦を落とし、龍府を制圧し、この戦争を終わらせることだけだ。

 そのためにも、ルウファにはバハンダールで療養してもらうことだ。

「ルウファは、十分以上に働いたわ。休めるときに休むべきなのよ」

 ファリアのいうことはもっともだった。ルウファは武装召喚師を撃破するという大役を果たした。対峙し、勝敗が決するまでの時間稼ぎなどではなく、打ち倒したのだ。セツナでさえ、敵武装召喚師を倒せなかった。誇るべきだろう。その結果負傷してしまったが、幸い、療養すれば完治するらしい。手や足を失ったのではないのだ。

 セツナは、隣を歩く女性を横目に見た。凛々しい顔だ。傷だらけだが、だからこそ、凛々しさを強調しているようだった。強い人だ。戦士とは彼女のような人物のことをいうのだろう。弱音を吐かず、前だけを見据えている。そういう意味では、ルウファとファリアはよく似ていた。

 とはいえ、セツナは彼女のことが心配でならない。自分を巻き込まなければ出し抜けない相手と死闘を繰り広げ、辛くも勝利を手にした彼女は、全身に火傷を負い、太腿や腹部にも傷を受けたらしい。そのため全身に包帯を巻きつけることになったといい、そこに後悔しているようだった。

「ファリアもね」

 セツナが告げると、ファリアは驚いたように目を瞬かせた。

「わたしは、だいじょうぶよ。君とは、鍛え方が違うのよ。何度もいってるけど」

「そうだね、それは知ってる。でも、無理はしないで欲しい」

「……隊長命令?」

 ファリアが、こちらの表情からなにかを読み取ろうとでもいうように。じっと見つめてくる。見つめ返して、頭を振る。

「ううん。俺からのお願いだよ」

 セツナの言葉に、彼女はきょとんとしたようだったが、少しすると、静かに息を吐いた。ため息ではないだろう。

「セツナからのお願いね……わかった。今日はもう休むことにするわ。セツナは、どうするの?」

「もう少し歩き回ってから寝ることにするよ」

「そう……。無理はしちゃ駄目よ」

 妙に心配そうなファリアの表情に、セツナは笑顔を返す。

「わかってるよ」

「それ、わかってないってことよね」

「なんでそうなるんだ」

 セツナが憮然とした表情を浮かべると、彼女は満足気な顔になった。

「うふふ。じゃあ、また明日。おやすみなさい」

「うん。おやすみなさい。また、明日」

 セツナは、ファリアと挨拶を交わすと、彼女が離れていくのを見送った。毅然としたファリアの足取りは、満身創痍だということを忘れさせるのだが、そうはいっても歩く速度は緩やかだ。無理をしているというのが遠目にもわかる。それだけ、クルードとの戦いが熾烈だったということだろう。

 彼女もまた、ルウファと同じだけの戦果を上げたのだ。

 敵武装召喚師を倒せなかったのは、《獅子の尾》でセツナだけだ。もっとも、セツナは戦いの勝敗を決するだけの戦果をもたらしている。が、気にはなった。

 隊長がこれでいいのだろうか。

 確かに、大勝を導くほどの活躍はしただろうが、求められたのは敵武装召喚師の撃破ではなかったか。無論、ミリュウ=リバイエンを東の森に釘付けにし、さらに無力化することができたのだから、結果的にはそれでよかったのかもしれないが。

 ファリアの姿は、次第に小さくなっていく。彼女が向かっているのは、《獅子の尾》隊に与えられた馬車だろう。もしかしなくとも、セツナが寝かされていた馬車に違いない。セツナのためだけに馬車を割くほど、西進軍に余裕があるとも思えなかった。

「さて」

 セツナは、彼女の姿が見えなくなってから、腕を組んだ。

(歩き回るっていっても、なあ)

 ファリアにはああいったものの、特に考えがあるわけでもなかった。目的もなく散策するような場所でもない。西進軍が休憩しているのは、昨夜の戦場からほど近い場所であるらしい。だだっ広い草原の真っ只中だ。草原を北上に突破すれば、ビューネル砦へと直行することができるということだが、中央軍や北進軍との連携を考えると、即座に攻めこむということにはならない。兵を休ませる必要もある。戦ったのは、セツナたちだけではない。

 草原を埋め尽くすかのような馬車の群れの中を歩いて行く。騎馬兵の馬の数も多く、馬車の隊列から離れたところで休ませているようだった。馬車の荷台から足を投げ出している兵士や、馬車の影でなにやら囁き合っている男女がいたり、休憩地の光景は平和そのものだ。

 昨夜の戦いが嘘のようだった。戦勝直後の光景よりも余程穏やかな空気が流れており、緊迫感とは無縁のように思える。無論、警戒は怠っていないだろう。戦場のすぐ側にはルベンという都市があり、そこに滞在する龍鱗軍の部隊が攻撃してこないとも限らない。注意すべきは人間だけではない。この世界には皇魔という存在がある。人間を敵視するそれらは、ザルワーンの兵士たちと違って、降伏してくるとは思えなかった。

 最近、皇魔と遭遇すること自体、めっきり減ってしまったものの、だからといって油断していいわけではない。始まりは皇魔だった。皇魔との戦いが、セツナの戦いの記憶の始まりだったのだ。

 しばらく歩いていると、異様な空気に包まれている馬車に遭遇した。というのも、何人もの武装した兵士たちが荷台の後方と御者台方面を固めており、いかにも厳重な警備をしているといった風情だったのだ。穏やかな休憩地の中で、その馬車だけが異様なほどの緊張感の中にあった。よく見ると、警備に当っているのは、エイン率いる第三軍団の女性兵ばかりだ。そのうちのひとりが、こちらを見て、驚いたように声を上げてくる。

「あれ、セツナ様? もう歩き回ってもだいじょうぶなんですか? 軍団長が心配していましたよ」

「うん、もう平気だよ」

 当然のように嘘を吐きながら、セツナは彼女に歩み寄った。エイン親衛隊を名乗る部隊長のひとりで、煩すぎるほど活発な部隊長と物静かな部隊長に比べるとこれといった特徴はないかもしれないが、話しやすい人物ではある。物騒な周囲と同様に鎧兜を見につけ、あまつさえ武器を携帯している。

「エインにはさっき逢ったよ。彼も元気そうでなによりだ」

「元気なのはいいんですが、だからといって休んでくれないのは困りものですよ」

「そりゃそうだ」

 部隊長の文句を聞いて、セツナは、苦笑を漏らした。あれだけセツナに対して怒っていたエインだって、自分の体調など顧みず、影に日向に働き回っているのだろう。

 だれもが無理をして、無茶をしている。

 その現状を変えることは容易ではない。皆が無理を通しているからこそ、回っているのかもしれないのだ。だれかが手を抜けば、途端に止まってしまうかもしれない。だが、このまま無理をし続けて、見えている破綻に向かって突き進むよりはましだろう。いまはまだいい。歯車が噛み合い、上手くいっているのだから。

 そんなことがいつまでも続くはずもない。

 アスタルやエインだって、そんなことは理解しているはずだ。その破綻が龍府攻略後までこなければ十分だと考えている可能性も捨てきれないが。

「で、これは?」

「捕虜の監視ですよ」

「それにしては厳重すぎないか?」

「戦意のない投降兵なんて、武器さえ取り上げておけばなにもできないんでしょうけど。この中にはミリュウ=リバイエンがいるんですよ」

「ミリュウか」

 セツナは、あの女の名前を反芻するようにつぶやきながら、この重苦しい緊張感と厳重な警備に納得した。いくら召喚武装の行使を封じているとはいえ、警戒するに越したことはない。なにが起こるかわかったものではないし、ミリュウがなんらかの手段を講じて抜け出した場合、即座に対応するには十分な武装が必要だ。もっとも、彼女が召喚武装を用いて脱走すれば、それこそ手が付けられなくなるのだが。

 幻像による撹乱は、彼女の実体を捉えにくくするだけでなく、セツナたちに召喚武装の行使を躊躇わせるものだ。黒き矛の複製は、二度と作り出させてはならない。背筋に冷たいものが流れるのを感じ取る。嫌な汗だ。

「はい。セツナ様に預けられたわたしが監視することになってしまって」

「それは……すまないことをしたかな」

「いいえ。むしろ、戦闘では貢献できなかった分をこうやって取り戻せることができるのなら、お安いご用ですよ」

「そういうものか」

「はい」

 にっこりと微笑む部隊長の顔は、よく見なくとも美人だというのがわかる。セツナが少し照れたのは、そのせいだった。

「……面会、できるかな」

「少し前にファリア隊長補佐殿も面会していましたし、構わないと思いますよ」

(そういえば、そんなことをいっていたな……)

 ファリアはミリュウと言葉をかわしており、その中で、黒き矛についての言及が有ったのだ。ミリュウが意識を失うほどの召喚武装を使いこなせている、という結論には納得はできない。なぜなら、ミリュウのほうがより強く、激しく、力を引き出せていたからだ。それはつまり、セツナがカオスブリンガーを使いこなせていないという証左ではないのか。

 そのことについても問いただせるものならば、問いただしたいところだ。

 ミリュウ本人に直接聞けば、いろいろとわかることもあるだろう。

「じゃあ、会ってみるよ」

「あ、でも、気をつけてくださいね。相手は武装召喚師です。なにをしてくるかわかりませんし」

「わかっているよ」

 セツナは部隊長の言葉にうなずくと、荷台の後部に回った。エイン隊の女性兵士たちが、セツナの姿を一目見て、一斉に姿勢を正す。セツナはぎょっとしたが、階級的に考えれば、当然の反応だったのかもしれない。王宮召喚師にして王立親衛隊《獅子の尾》隊長という立場は、普通ならば一般兵士が気軽に話しかけられるようなものではないのだろう。セツナはまったく頓着していないし、むしろ、兵士に話しかけられないのはそれとは別の理由によるところが大きいということも知っていた。

 黒き矛のセツナという雷名は、ログナー人には悪鬼のように忌み嫌われ、ガンディア軍人にさえ恐れられているという。セツナのこれまでの戦果を考えれば当然のことで、その事実を殊更否定する気はない。数えきれないくらいログナー兵を殺してきたのだ。恨まれて当然だったし、憎まれるのも当たり前だった。

 そしていま、ザルワーンの怨敵になろうとしている。国境突破以来の戦闘で、二千人ほどは殺しただろうか。数えるのも不可能なほどに敵兵を殺戮し、ガンディア軍、西進軍の勝利を彩ってきた。

(あと、何人……)

 セツナは、馬車の荷台に上がり込みながら、茫然とした。

「また尋問?」

 女の声に、セツナは現実に回帰した。

 馬車の中は漆黒の闇が横たわっていて、なにも見えなかった。夜の闇に慣れたはずだったが、荷台の中はさらに暗かったのだ。女が身動ぎする音だけが、セツナの耳をくすぐる。

「魔晶灯は天井にぶら下がってるわよ。見えないかもしれないけど」

 荷台の中を少しばかり前進して、女にいわれる通りに天井付近の虚空をまさぐる。なにかが右腕に引っかかった。紐だろう。魔晶灯を括りつけているのだということは、なんとなくわかった。紐の先に触れる。ひんやりとした感触があり、青白い光が灯った。魔晶灯がセツナの指先から生命力を感じ取ったのだ。

 冷ややかな光が、荷台に沈殿していた闇をあっという間に退けていく。様々な荷物がそこかしこに積み上げられた空間は、捕虜を拘束するには相応しいとはいえない空間ではあった。荷台の片隅で適当に作られた寝台の上、上体を起こした女が眩しそうに目を細めている。

「あなたは……」

 ミリュウは、こちらを認識すると、なぜか間の抜けた顔をした。

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