第二千六百七十七話 夢追うもの
「まずはあれらをどうにかしないとだが」
セツナは、ハサカラウが捕まっていた部屋の外の通路に集まりつつある神々を睨み、告げた。この部屋は狭く、ほかに出口はない。どうしたところで神々のいる通路にでなければならず、そうなれば交戦はやむなしだ。セツナたちを見逃してくれるわけもない。
「汝は相当な人気者のようだな。相当数の神がここに向かっているようだぞ」
「皮肉にしても、笑えないな」
「事実だ」
「さいですか」
ハサカラウの妙にひんやりとした体とその重みを感じながら、セツナは前方に黒き矛を掲げた。無造作に“破壊光線”を撃ち放ち、出入り口を塞ぐ神々が散開した瞬間に通路へ飛び出す。同時に左右から攻撃が浴びせられるが、そこはメイルオブドーターの翅が対応する。翅の障壁が神々の攻撃を受け止め、セツナとハサカラウ自身は護られる。壁を蹴り、進路に向き直れば、複数の神々が視界に満ちた。男神も女神もその姿形は様々だが、多くは人間に近い。人間の祈りが生むのが神々ならば、その姿形もまた、人間の想像力を越えられないのかもしれない。
前方、通路を塞ぐように障壁が展開された。神威の障壁は多重かつ複合的であり、神々が協力してセツナの脱出を妨害しようとしていることがわかる。反対側を振り向くと、そちらも同じだった。神々は、セツナを力で取り押さえるのではなく、逃げ場をなくすことに全力を費やそうとしている。
広い通路の前後を完璧に近く封鎖され、セツナは足を止めた。障壁はどうやら前後のみならず、上下と左右にも構築されていて、セツナは、神威の結界に捕らわれてしまったようだった。
(突っ込んだのは、失敗だったな)
(まったく、考えなしに飛び込むからだ)
ハサカラウの叱責には返す言葉もなく、セツナは黙ってうなずいた。複合的かつ多層構造の結界は、十数の神々が協力して生み出しているだけあり、極めて強力なものに違いない。“破壊光線”の一撃で貫けるものでもあるまいし、たとえ一枚二枚貫けたところで、突破できるものでもない。
と、そのときだった。進路上、通路を塞いでいた神々が道を空けるように左右に展開し、その向こう側から巨躯の銀甲冑が近づいてきた。ナルガレス、ナルノイアと名乗ったあのふたりとよく似た甲冑を着込んだものは、神の結界を通過し、セツナの目の前に立ち止まった。あのふたりの甲冑をさらに大型化し、金の装飾を施したような鎧は、胴体が獅子を想起させる作りになっている。その落ち着いた立ち居振る舞いには、見覚えがある。
「ここまでにしませんか、セツナ殿」
「……アルガザードさん」
思わず反応したセツナだったが、想像通りの人物の声が聞こえてきたことには衝撃と落胆が激しかった。ラクサスとミシェルと対等、あるいはそれ以上の立場の人物となれば、アルガザード以外には思いつかないとはいえ、まさか、アルガザードまでもがレオンガンドの手先として人外の存在に成り果てているとは、考えたくもなかったことだ。
「貴殿は、陛下の忠臣中の忠臣。ガンディアの英雄でもある。再び、陛下の夢のため、我らとともに戦いましょうぞ」
「……ラクサスさんやミシェルさんにもいいましたが、俺が忠誠を誓ったのは、陛下なんですよ」
「ええ、ですから――」
「人間の」
そう告げれば、アルガザードは言葉を飲み込んだ。そして、その後方から黄金の光が差し込んでくるのがわかり、セツナは、警戒した。黒き矛の痛々しいまでの警戒心は、それの接近を伝えている。レオンガンド・レイグナス=ガンディア。獅子神皇。
「そうか」
「陛下……」
アルガザードが背後を振り返れば、黄金の鎧を身に纏う神々の王が結界を通過してきた。黄金色の頭髪、金色の眼、黄金の鎧。なにもかもが神々しい黄金に彩られたその男は、まさに神々の王に相応しい威容があり、圧力と迫力も兼ね備えていた。ハサカラウが身震いする。神が畏れるほどの相手。セツナがそこまでの畏れを感じずに済むのは、もしかすると人間だからなのかもしれない。
「セツナ。あのとき、君が激昂していたことは知っていた。故に時間を置き、頭を冷やせば、考え直してくれるものと想い、白理の間に留め置いたのだが……それでも考えは変わらぬか」
そういって残念がるレオンガンドだが、それは彼の本心なのだろう。彼は、心からセツナを部下として迎え入れ、ともに戦うことを夢見ていたのだろう。その気持ちを嬉しくないとは思えなかったし、感情が激しく揺さぶられもした。だが、それでも、セツナには受け入れがたい事実もあった。
「俺の主は、人間であるレオンガンド・レイ=ガンディア陛下ただおひとりなんですよ」
忠誠を誓った相手は、人間だった。人間としての誇りを持ち、矜持を持ち、自負した人物。そのすべてから乖離した存在であり、真逆の道を行く目の前の人外では、ない。
「ひとの身を捨てたあなたには、従う道理がない」
それは、レオンガンドとの決別を示した。
敵対の意図を明確にする言葉であり、それ故、アルガザードが手を掲げた。両手に光が収束し、長柄戦斧が具現する。獅子の横顔が刻まれた戦斧は、アルガザード愛用の一品をさらに凶悪化したような印象を受けた。
「止めよ、ナルドラス」
「はっ……」
レオンガンドの一言にアルガザードの長柄戦斧が消えて失せる。ナルドラス。それが生まれ変わったアルガザードの名前なのだろう。クオンがヴィシュタルというように、ラクサスがナルガレスというように。ではなぜ、レオンガンドはレオンガンドのままなのか。
「わたしの夢だ。わたし自身に決着をつけさせろ」
「夢……? 決着……」
「そうだよ、セツナ」
レオンガンドがこちらを見るまなざしは優しく、どこか眩しげだ。
「君は、わたしの夢そのものだ」
彼の言葉がセツナの感情を激しく揺らす。
「君が、わたしに夢を見させたのだ。あの日、あのとき、あの場所で、君と出逢わなければ、君と知り合わなければ、君を見出さなければ、わたしは夢を見ずに済んだ。ガンディアという弱小国の王として、夢見ることなく生涯を終えることができたのだ。君がわたしを駆り立てた。君がわたしを突き動かした」
鼓動が高鳴る。心が揺れる。意識が不安定になる。それもこれも、レオンガンドの言葉を聞いているからだということに気づいても、もう遅い。術中に嵌まっている。ハサカラウがなにかをいった気がする。だが、聞こえない。聞こえるのは、いまやレオンガンドの声だけだった。
「すべては、君なんだよ。セツナ」
レオンガンドの金色に輝く目だけが、見えていた。その瞳の奥底に吸い込まれていくような、そんな感覚があった。それは極めて心地よい感覚であると同時に至極恐ろしいもののように感じた。だが、どうすることもできない。反発を感じる。矛からだ。ならば手放せばいい。鎧を脱ぎ、武装を解除し、吸い込まれよう。そうすれば、なにも考えずに済む。失わずに済む。哀しまずに済む。そう、彼に従えばいい。レオンガンドの意思の元、彼とともに夢を見ればいいだけではないか。
永遠の夢を――。
直後、轟音とともに閃光が視界を灼き、爆圧がセツナの体を吹き飛ばした。頭の上から転げ落ちたハサカラウが腹の上に着地する様が緩やかな世界ではっきりと見えた。音が復活し、不安定だったなにもかもが正常化し、明瞭化していることに気づく。手の先から激しい怒りが突き刺さってきて、彼は心の中で謝り倒した。
危うく、レオンガンドに支配されるところだった。
では、その支配の力を断ち切ることができたのは、どういうわけか、といえば、外部からの圧力にほかならない。神々の構築した結界ごと天井をぶち抜き、降ってきた光。その着弾地点に満ちた爆煙の中から、その声は聞こえた。
「ようやく、見つけた」
聞き知った女の声は予期せぬものであり、彼は、本日何度目かの衝撃を受けた。