第二千六百七十一話 この世の真実を(一)
大陸暦五百三年十一月二十七日。
世界は、大陸暦始まって以来、最大にして最悪の事態に瀕していた。
大陸を四分する三大勢力、ヴァシュタリア共同体、ザイオン帝国、神聖ディール王国が引き起こした最終戦争、その最終決戦は、小国家群中央、ガンディア王国王都ガンディオンを巡るものであり、その場には、セツナもいた。
セツナは、わずかばかりの戦力を率い、数百万からなる三大勢力の軍勢と戦っていたのだが、クオンは、別の戦いの真っ只中にいたという。
彼は、セツナたちが知るよりもずっと前から、最終戦争が起こる可能性を知り、その原因をも知っていたのだ。つまり、聖皇復活の儀式と“約束の地”のことだ。三大勢力を支配する神々が“約束の地”の争奪戦を繰り広げることがすなわち世界大戦(=最終戦争)そのものであると理解したクオンは、それを止める方法を模索した。だが、至高神ヴァシュタラにせよ、二大神にせよ、聖皇復活による本来在るべき世界への送還という悲願の達成のためならば、いかな犠牲も厭わないという覚悟を持っており、世界大戦の勃発を回避することは不可能だという結論に至らざるを得なかったのだ。
ヴァシュタリアの神子と合一し、神子そのものとなった彼にも、至高神ヴァシュタラの意向をねじ曲げることは不可能であり、そんなことをすれば、クオンの意識そのものが改変される恐れがあった。
それ故、クオンは、ヴァシュタラの神子として、至高神の意向に唯々諾々と従う振りをした。表面上、神の使いとして完璧な役割をこなしながら、その裏では、世界大戦の果て、“約束の地”で起こりうる最悪の事態を止める方法の模索に全力を注いでいたのだ。
たとえば、“約束の地”で起こることが聖皇ミエンディア・レイグナス=ワーグラーンの復活だけならば、なにも焦る必要はなかっただろう。世界大戦の勃発が小国家群に多大な犠牲を強いるだろうが、それでも、その果てに待ち受けるものが、聖皇復活の儀式の完成というだけならば、それによって神々が送還されるだけならば、勝手に送還されてしまえばよく、その後の世界の混乱を考えると頭は痛いものの、どうにかなるものだ。
だが、聖皇の復活そのものがこの世界イルス・ヴァレの滅亡を示すというのであれば、話は別だ。
なんとしてでも聖皇の復活を食い止め、世界を滅亡から救わなければならない。
「だったらなんでそれを早くいわなかったんだよ」
「君にいえば、ヴァシュタラにも知られてしまうからね。ぼくらだけで事を進める必要があった」
ふてくされるセツナに対し、クオンは穏やかな表情で告げてきた。最終戦争のときではなく、もっと早く、彼の目的を教えてくれていれば、と、想わずにはいられなかった。
「それに、君を失うわけにはいかなかったからね」
「ん?」
「聖皇復活の儀式を失敗させるんだ。それなりの犠牲を払う覚悟をしなければならなかった」
それはつまり、自分たちの命を犠牲にするつもりであり、実際にそうなった、ということをいっているのだろう。
クオンは、《白き盾》のウォルド=マスティア、マナ=エリクシア、イリスらに加え、戦鬼グリフを引き連れ、ガンディオンへ向かった。三大勢力の神々が争奪戦を繰り広げた“約束の地”は、ガンディオンの地下深くに発見された遺跡であり、その遺跡でこそ聖皇復活の儀式が執り行われていたからだが。
「保険なんだよ」
「保険?」
「そう。ぼくたちが失敗した場合のね」
「あのときの俺が保険になんてなるわけねえよ」
矛が折れた以上、セツナには戦う力がなかった。彼はそのことをいったのだが、クオンは取り合わなかった。
「なったさ。実際、君を失わずに済んだから、こうして君と敵対できた」
「は……」
「ぼくらは、死んだ。この世界を救うために。聖皇復活の儀式を阻止するために。神々の思惑を打ち砕くために。それはそれでよかった。それが目的だ。それが悲願だった。世界のため、ひとびとの未来のために命を費やすんだ。後悔はなかった。本当だよ」
「……だろうな」
セツナは、クオンの目を見つめながら、彼の言動に一切の嘘が混じっていないことを認めた。彼は、他人のために命を投げ出すことをなんとも想わない人間だ。善人であり、正義のひとなのだ。自分よりも他人をなにより優先する。他人の幸福こそが自分の幸福という彼の考え方、価値観は、昔はわからなかった。でもいまは、少しは理解できる気がして、それが少しばかり悔しかった。彼に感化されている自分がいる。それも、認めるしかない。
「ぼくにウォルド、マナ、イリス……《白き盾》の皆と、グリフやロウたち聖皇六将、そしてフェイルリング閣下率いる十三騎士に救世神ミヴューラ。皆の力を合わせ、儀式そのものを壊すことに成功したんだよ」
「ちょっと待て」
「ん?」
「聖皇六将ってグリフ以外にもいたのかよ?」
「ああ、そのことか。いたんだよ。みんな、ね。そしてみんな、聖皇復活を止めるために力を貸してくれた。そうすることが自分たちにかけられた呪いを解く方法だと考えたんだろうね」
そして、クオンにより、巨人の末裔たる戦鬼グリフのほか、鬼属のロウ、天人属のエル、魔属のミィア、地人属のサグというものたちがともに行動していたことを知る。レヴィアはいなかった。当然だろう。レヴィアは子孫に呪いを受け継がせるようにして死んでいったのだ。ほかの六将は、レヴィアと同じような方法を用いることも出来ず、この五百年、世界をさまよっていたらしい。聖皇復活の儀式の完成が近づいたことで目覚め、“約束の地”に参集した、ということのようだ。そして、クオンの目的を知り、協力関係を結んだというが。
「レヴィアがいなかったから失敗した、とかいうんじゃねえだろうな」
「そのことなら心配しなくていいよ。レヴィアがいようが、結果は変わらなかっただろうからね」
クオンは、セツナの心情を理解してなのか、目を細めた。そして、静かに続ける。
クオンたちは、王都から遺跡の深部へと至り、そこで聖皇復活の儀式を目の当たりにした。世界との約束によって紡がれた聖皇ミエンディア復活の儀式。大陸に流れる血と死が魔力となり、繰り返される闘争が呪文となって結ばれる術式。その完成を間近に控え、遺跡には莫大な力が満ちていたという。クオンたちは、その真っ只中へと向かい、そして、力を合わせ、儀式そのものを霧散させようとした。
クオンの召喚武装シールドオブメサイアを中心にそれぞれが持ちうる力のすべてを集中させ、復活の力を封印しようとしたのだ。そうすることで儀式そのものをなかったことにして、聖皇と世界の約束を踏みにじろうとした。約束が破られれば、聖皇は二度と復活できない。クオンたちには、確信があった。だからこそ、命を燃やした。
魂を。
そして、儀式は霧散した。
成功したのだ。
復活の儀式の阻止そのものには。
「けれど、君も知っての通り、世界は崩壊した」
クオンは、口惜しげに目を伏せた。彼にとっては、予期せぬことであり、許せないことだったのだろう。自分の非力さに怒りさえ覚えている、そんな表情。
「聖皇は、神々の王たる力の持ち主だった。その復活の儀式だ。莫大な力が集まっていることもわかっていた。儀式を阻止すれば、その力が発散し、世界に悪影響を及ぼしかねないことも理解していたんだ。だから、ぼくらはその力を天に向けようとした」
復活のために集まった力を拡散させるのではなく、天の一点に収束させることで被害を防ごうとしたのだ。だが、それはならなかった。なぜか。
「ぼくらは、そのときにはもう、力尽きていたんだ」
無念だと、彼はいった。