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第二百六十六話 ルウファについて(二)

 ルウファ・ゼノン=バルガザールは、激痛の中でのたうち回る自分の姿を幻視して、苦笑を浮かべた。背中や腹部が熱い。痛みを訴えてきているのがわかるのだが、どうしてやることもできない。衛生兵による応急処置も、軍医による適切な治療も済んでおり、これ以上はどうすることもできなかった。痛みには耐えるしかない。

 耐えることには慣れている。と、ルウファは考えていた。しかし、昨夜、ザインとの戦闘で負った傷は、彼のこれまでの価値観を激変させるほどに深く、重かった。あれから一日が経つが、痛みは一向に和らぐ気配はない。それどころか、時折、ルウファへの憎悪をむき出しにするかのごとく暴れだし、彼を閉口させた。

 任務や仕事の苦痛を耐えるのと、肉体的な苦痛を耐えるのとでは、わけが違うのだということを改めて思い知ることになったのだ。

 瞼を開くと、闇があった。

 魔晶灯が消されているのだ。馬車の荷台。星明かりや月の光が届かぬ空間だ。深い闇が、全周囲に蠢いている。

 風が馬車を撫でる音が聞こえるが、眠る前はあれだけうるさかった兵士たちの話し声は聞こえなくなっていた。皆、馬車や所定の位置に戻ったのだろう。あるいは、眠りについたのか。

「起こしてしまいましたか?」

 声をかけてきたのは、衛生兵の女性だ。昨夜から付きっきりで看護してくれており、いまも、ずっと見てくれていたのだろう。闇に慣れ始めた目が、彼女の輪郭を視界に映し出していく。

「いや、君のせいじゃないよ」

 ルウファは即座に否定して、笑顔を作った。真っ暗闇の中だ。彼女には見えているのかどうかもわからない。それでも、ルウファは彼女に悲しい思いをさせたくないのだ。実際、彼女のせいで起きたわけではない。痛みのせいで、跳ね起きそうになっただけのことだ。

「本当ですか? わたし、ドジで間抜けで騒音発生器っていわれるくらいなんですけど……」

 不安そうな彼女の声音に、ルウファは殊更に声を和らげる。

「昨日の夜だって、君が看病してくれていたんだろう?」

「そうですけど……」

「君のおかげで眠れたんだよね、昨日は。今日だって、そうさ……」

 ルウファが告げると、なぜかどたばたとけたたましい物音が鳴った。彼は一瞬なにが起こったのか理解できなかったが、彼女の輪郭が目の前から消失したのはわかった。

「いたたたた……」

「どうした? なにがあった?」

「いえ、その、どじをしてしまっただけです、はい」

「怪我はしていないかい?」

「はい、それはもう、だいじょうぶです!」

 ルウファが、妙に溌剌とした衛生兵の返事に困惑したのはいうまでもない。

「それならいいんだけど」

 ルウファは、彼女が椅子に座り直すのを音だけで察した。椅子から転げ落ちでもしたのだろうか。だが、どうやって転落するというのか。彼女が椅子の上で、維持をするのも大変な姿勢をしていたのならわかるのだが、事前に見えていた輪郭は、普通に腰掛けているというものだった。少し、こちらに向かって身を乗り出していたようだが。転倒するような要素は微塵もない。そこがどじで間抜けといわれる所以なのかもしれず、ルウファはこっそりと微笑んだ。

「あー! いま笑いましたね!」

「ご、ごめん」

「あ、いえ、いいんですよ。わたしのほうこそ、なにいってるんだろう……」

 ルウファは、なぜか突然落ち込みだした彼女の顔が輪郭しかわからないのが残念でならなかった。落ち込んでいる表情を見たいというわけではない。ただ、彼女の顔を見たいと思った。彼女とは昨夜知り合ったばかりで、名前もまだ知らない。それもそうだろう。ルウファは苦痛に耐えるので精一杯だったし、言葉を交わす機会などほとんどなかった。

 会話するだけの余裕が出てきたのは、一日近くが経過してからだ。つまり、ついさっきといっても過言ではない。

 それくらいの傷を負ってしまった。

(強かったな……あいつ)

 ザイン=ヴリディア。ザルワーンの五竜氏族ヴリディア家の人間なのだろう。五竜氏族といえば特権階級であるはずなのだが、彼は武装召喚師として前線に出てきていた。しかも、ルウファよりも数段上を行く戦闘力の持ち主であり、まともにぶつかり合えば敗北するのがわかった。

 敗北とは、死そのものだ。

 ザインがルウファを生かしておく道理はない。ルウファが彼を殺すことを躊躇わなかったのと同じように、彼もまた、ルウファの殺害を逡巡することはなかっただろう。それが戦場を支配する法理だ。互いに殺し合いをしている。殺すことを躊躇えば殺される。単純な掟だ。原始的ともいえる。

 だれもがその原始的な掟に従い、戦っているのだ。

 ルウファは、持ちうる限りの力を駆使して、ザインに対抗した。ザインの打撃をまともに喰らえば、一撃で殺されかねなかった。威力だけが恐ろしいのではない。目にも留まらぬその速度も、脅威となった。だから、あんな方法で彼の行動を縛るしかなかったのだ。

 結果的に、ルウファはザインを倒すことができた。彼の肉体は、落下の衝撃に耐え切れなかった。セツナを投下したときよりもさらに上空だったのだ。黒き矛程度の性能がなければ、落下の衝撃を殺すことなどできなかっただろう。もっとも、ファリアが相手をしたというクルード=ファブルネイアの光竜僧こうりゅうそうならば、落下死させることなどできなかったのだが。

 それ以前に、光化したクルードを拘束することは、ルウファとシルフィードフェザーでは不可能だ。召喚武装の相性の良し悪しではない。光竜僧とやらの能力が凶悪すぎるのだ。光化による攻撃の無効化と、その状態での移動、さらに光弾を飛ばしての遠距離攻撃まで備えているという。話に聞く限りでも、非の打ち所のない召喚武装だといえる。そんな召喚武装を使う相手によく勝てたものだ。

(やっぱり凄いな、あのひとも)

 ファリア=ベルファリアが、リョハンの戦女神の孫娘だということは、一部では有名な話だ。リョハンを守護し続ける戦女神ファリア=バルディッシュの名は、《大陸召喚師協会》に属する武装召喚師なら知らないはずはない。また、リョハンではファリア=バルディッシュは大ファリアと呼ばれ、ファリア=ベルファリアが小ファリアと呼ばれているという。混同を避けるためだろう。

 彼女は生まれながらにして武装召喚師としての英才教育を受けてきたに違いない。リョハンといえば、武装召喚師の故郷ともいえる地だ。《大陸召喚師協会》誕生の地であり、武装召喚術の歴史はそこから始まったといっても過言ではない。そこで、彼女は武装召喚術を叩きこまれ、なぜかガンディアに流れてきた。

 彼女がガンディアに流れてこなければ、歴史は大きく変わっていたかもしれない。

 ふと、そんなことを考えて、彼は苦笑を浮かべた。激痛を堪えながら、それでも笑ってしまう。馬鹿げた妄想だ。ファリアに話せば、笑われてしまうだろう。

「あ、あの、お邪魔でしたら、外に出ていますけど」

「いや、いてくれると助かる」

「た、助かりますかね?」

「うん……すごく、ありがたい」

 ルウファは彼女の輪郭の中心を見据えながら、告げた。こんな夜に独りにされるのは、さすがのルウファでも耐えられないかもしれない。孤独が怖いのではない。背中や腹で疼く痛みと熱に耐え切れず、悲鳴を上げてしまうかもしれないというのが、恐ろしいのだ。そこにだれかがいるというだけで、ルウファは強気になれた。自分を取り繕うことができた。綻びだらけであっても、仮面を纏うことができたのだ。

 ルウファ・ゼノン=バルガザール。バルガザール家の王宮召喚師ルウファ。家名を汚すことはできない。たとえそれがどれほど小さなことであっても、だ。

「わ、わたしなんかでよければ、いつまでだって……」

 口ごもる彼女の顔が見えないことだけが無念なのだが、だからといって、この闇の静寂を壊したくもなかった。

 魔晶灯の光は冷たすぎる。そして、煩すぎる。

 この静かな時間を堪能するには、暗闇を甘受するしかないのだ。

(俺は……どうなるのかな)

 瞑目し、考える。

 状態を鑑みれば、このまま西進軍の戦列に復帰できるとは思えない。数日で完治するような傷ではない。最低、一月は様子を見た方がいいといわれていた。皆のいうように、後方で治療に専念し、つぎの戦いに備えるのが一番なのだ。ザルワーン戦争が終わって、即座に別の国との戦いが始まるということは、まずありえない。一月から二月、じっくりと休む時間はあるはずだ。

(それが最善……)

 つまり、ザルワーン戦争での自分の役目は終わってしまったということだろうか。

 国境突破以来、苦楽を共にしてきた仲間たちと別れなければならないのか、とも考える。

 とはいえ、彼が主に関わってきたのは、やはり《獅子の尾》のふたりであり、つぎに軍団長以上の面々だった。部隊長以下の兵士たちと関わり合う機会はそれほど多くはなかった。特に、西進軍を構成するのはログナー人なのだ。ガンディアの名門たるバルガザール家の人間に対して、そう簡単に打ち解けられるものでもなかったのかもしれない。

 セツナは、《獅子の尾》の隊長に相応しく成長しつつあるようだ。自分の弱さを認め、克服しようと懸命になっている。その涙ぐましい努力は、いつか彼に報いるはずだ。そして、その弱さの上に、圧倒的な強さがある。なんとも不均衡な存在だ。彼自身はきわめて弱い。召喚武装を用いぬ戦いなら、一般の兵士ですらセツナに勝てるだろう。だが、彼が黒き矛を用いたとき、世界は変わる。彼は絶対的な強者となって君臨し、一般兵は物言わぬ屍へと成り果てるのだ。

 戦禍。

 ルウファは、昨夜目撃した戦場の有り様に、そんな言葉を思い浮かべた。まるで天災のように吹き荒ぶ漆黒の嵐は、逃げ惑う敵兵も撫で斬りにしていった。血飛沫が闇夜を赤く染め、無数の死体が空に躍った。黒き矛の二刀流。ひとつは偽物だったらしいが、なんであれ、セツナの戦闘力は数倍に膨れ上がっていたのだろう。いつも以上に凄惨な殺戮劇にルウファでさえ息を潜めた。

 彼が味方で良かったと心底想うのだ。彼が敵としてルウファの前に立ちふさがるような状況など、想像さえしたくなかった。一瞬で殺される未来しか見えなかった。彼は自分のことを小さく見すぎているのだ。確かに、黒き矛の力に頼ってはいるだろう。しかし、そんなことをいえば、ルウファたち武装召喚師だって召喚武装の能力に頼りきりなのだ。召喚武装を用いずとも戦えるとはいえ、武装召喚師が重宝されるのは、その召喚武装の魔法染みた能力のおかげともいえる。武装召喚師程度に鍛え上げた戦士くらい、いくらでもいる。戦士の数を揃えるだけなら、傭兵を雇うほうが早い。それでも武装召喚師を使うのは、召喚武装によっては、優れた戦士の数十人分の働きが期待できるからだ。そしてセツナは数十人分どころではなく活躍している。彼はみずからを誇っていいのだ。黒き矛の力に飲まれることなく戦い抜いてきただけでも賞賛に値するといえるのだが。

(うちの隊長、もう少し自信を持ってくれればいいんだけど)

 ルウファは、ファリアにはその点を期待している。彼女がセツナの心の支えとなっているのはだれの目にも明らかだ。《獅子の尾》隊に直接関わりのない人間にもそれとわかるだろう。セツナはファリアを特別視しているし、ファリアも満更ではなさそうだ。彼女なら、セツナに自信をつけてくれるのではないか。自身を持ったセツナはまさに無敵だろう。

 が、後送されれば、無敵となるかもしれないセツナの戦いが感じることさえできなくなるのが残念だった。

(でもまあ、他に方法はない、か)

 ビューネル砦から龍府まで連れて行ってもらったとして、戦闘に参加できないのだ。ただの足手纏いにほかならず、それこそバルガザールの家名に傷をつけるものではないのか。

 ルウファは、嘆息とともに屋根を睨んだ。

 朝は遠い。

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