第二千六百六十八話 魂を灼け、我が怒り(四)
「もっとだ。もっと速く。もっと、深く」
アックスオブアンビションの声は、復活の中で聞こえた。
「その程度じゃ、俺には届かねえ」
全身、完全無欠に元に戻っていく中で、感覚だけは異様なままだ。殺された余韻、ばらばらにされた残像とでもいうべきものが脳裏に蠢き、吐き気を催す。だが、意識があり、戦える以上、戦うしかない。いや、戦えなくとも、戦うしかない。それ以外に道がないのだから、そうするほかなかった。
ここは地獄。
前に進む以外の道はなく、引いたところで、戻ったところで、救いはない。
剣を召喚し、両手で掴む。冴え渡る感覚が相手との距離感を精確に把握させる。先程のように相手が余裕を見せてくれなければ辿り着けない程度の間合い。そして、黒き剣では、その間合いを詰めなければどうしようもない。ロッドオブエンヴィーを使うことができれば話は別だが、召喚に応じてくれない以上、そこに活路を見出しても仕方がない。
「もっと、速く。もっと、深く……」
「そうさ。できるだろ? できねえとはいわせねえ」
アックスオブアンビションは、当たり前のことだといわんばかりにいってくるのだが、セツナは、その余裕に満ちた態度に腹立ちを覚えるほかなかった。速度の問題ではない。アックスオブアンビションの能力には、速度など関係ないのだ。セツナの肉体と黒き剣で引き出せる速度では、破壊の波動を飛び越え、アックスオブアンビションに到達することもできない。たとえ一度飛び越えることができたとしても、あの手この手の二撃目が襲いかかってくる。それをどうにか対処できたとして、三撃目、四撃目と立て続けに襲いかかってくるのだから、どうしようもない。
破壊の力は、伝播する。
その強力さ、理不尽さを思い知らされて、アックスオブアンビションを見直す思いだった。同時に怒りが湧く。さらに深く。さらに強く。
ふつふつと燃え上がってくるような感覚の中で、セツナは、地を蹴った。一直線に相手を目指すのではなく、右に飛ぶ。すると、アックスオブアンビションは、呆れたように大斧を打ち下ろした。無造作な一撃が破壊の波動を広範囲に伝播させ、大地を粉々に打ち壊していく。その圧倒的な光景を空中で見届け、着地するときには剣を突き出している。立て続けの二撃目を剣からの跳躍でかわし、着地と同時に剣を抜き取り、前へ。目の前が真っ暗になった。
(え……?)
「遅え」
アックスオブアンビションの声が間近で聞こえた。顔面を覆っているのは、彼の手のひらだろう。頭蓋が割れるように痛い。握力だけで圧壊するのではないか。そう思ったのも束の間、後頭部が割れるような激痛があり、全身が砕け散った。後頭部から地面に叩きつけられ、透かさず大斧の追撃が決まったのだろう。
また、振り出しに戻る。
これで、何度目なのか。
まだ、数えるほどだ。これまでどれくらい死んできたのかを考えれば、たいしたことはない。
だのに、これまで以上に理不尽なものを感じずにはいられないのは、恐らく、アックスオブアンビションの力に対処しようがないからだ。現状、セツナの持ちうる手札では、対応策がない。跳躍での回避は、着地の瞬間を狙われるか、あるいは土砂による遠隔破壊という手段もある。なんとか回避できたとして、先程のようにアックスオブアンビション本人の圧倒的な身体能力による攻撃も待ち受けているのだ。それらすべてに対応するのは、いまの自分には不可能ではないのか。
「どうした? こんなもんじゃねえだろ。おまえの怒りはよ」
「……うるせえ」
「なにがうるさい? 俺は至極真っ当なことをいっているんだがな」
アックスオブアンビションは、口の端を歪めて、いってきた。
「それともなにか、おまえに足りてねえのは、頭のほうだっていいたいのか? まあ確かにそうかもしれねえな。色々と残念らしい」
「さっきからごちゃごちゃうるせえってんだよ!」
叫んだときには、飛び出している。アックスオブアンビションへの対処法など、いくら考えたところで仕方がない。避ける以外の手段がないのだから、全力で避けることに集中するだけのことだ。そして、それが無意味で無駄であることも知っている。だが、それでもやらなければならない。なんとも理不尽で、なんとも腹の立つことだ。
呪文を唱え、剣を呼ぶ。黒き剣。手にすれば、それだけで力が湧く。
「俺に届かない程度の小さな力だがな」
まるで心の中まで見透かしたかのような相手の一言に、セツナは睨み付けた。大斧が旋回している。暴風のような斬撃。思わず、剣で受け止めた。結果、衝撃が全身を貫き、肉体がばらばらに粉砕されてしまった。そして、意識が消し飛び、再構築される。
「勢いだけでどうにかなるなんて、思ってねえだろうな?」
「……うっせえ」
吐き捨て、再び挑みかかる。
とにかく、前に進むしかない。考えても意味がないのなら、考える時間も勿体なかった。体力が続く限り、精神力が持つ限り、挑み続ける以外に方法はない。そうすれば、いつか突破口が開けるかもしれない。
それから、どれほどの生と死を繰り返したのか。
死んだ回数を考えるのも虚しくなるほどに殺され続けたセツナの心は、もはや荒みきっていた。それもそうだろう。アックスオブアンビションの能力は圧倒的だ。広範囲を瞬時に破壊する波動を連発してくるのだ。飛んでかわすことさえ至難の業だった。仮に、アックスオブアンビションの攻撃速度を見切ったと思ったとしても、そうなると、攻撃間隔をずらしてくるものだから、対処できなくなる。それが続けば、見切ったはずの攻撃さえ食らってしまうようになり、死に続けることになる。
理不尽の極みだ。
「いい加減にしろってんだ!」
「それはおまえだろ」
アックスオブアンビションが呆れ果てたような顔をした。
「いい加減、諦めろよ」
「だれが!」
叫び、跳ね起きる。全身がずたずたに破壊された感覚が次第に重く、強くなってきている。このまま破壊され続ければ、そのうち起き上がることもできなくなるのではないか、という漠然とした不安があった。そうなれば、この試練を突破することはおろか、挑戦し続けることもできなくなる。そういうわけにはいかない。こんなところで、終わっていいわけがない。
「だれが諦めるかよ、この野郎!」
「威勢だけで乗り越えられる試練じゃねえっていってんだろ、雑魚が」
「だれが雑魚だ! だれが!」
「おまえだよ」
アックスオブアンビションの冷ややかな反応も、もはやセツナの激情を静めることはできなくなっていた。理不尽に殺され続けた結果、セツナは、怒りの炎を燃えたぎらせていた。だがそれは、アックスオブアンビションの理不尽なまでの力へのものではなく、無策で飛び込み、無残に殺され続けるしかない、無力な己に対する怒りだ。
力がないから、この地獄へ堕ちた。
力を求めて、地獄に逃げた。
力が欲しい。
だれにも負けない、だれもかれも護れるだけの力が欲しい。
そのためだけにここにいる。
それだけがすべてで、それ以外はどうでもよかった。自分のことなんて、どうだっていい。いくら死のうが、そのせいで体がぼろぼろになろうが、心が壊れようが、関係がない。
力だ。
力がいる。
セツナは呪文を唱えた。武装召喚の四字。それによって召喚した黒き剣を握り締め、構える。
「そうだな……まったく、その通りだ」
アックスオブアンビションの言葉を肯定し、自認する。
自分は、弱い。
弱すぎて話にならないから、地獄へ落ち延びたのだ。
だが、それは、力を得るためだ。
力がいるのだ。
こんなところで足止めされている場合ではないのだ。