第二千六百六十六話 魂を灼け、我が怒り(二)
「どうした? 両者互いに武器を得て、対等な条件になったんじゃあないのか?」
意識が復活するなり突きつけられてきた圧倒的な現実に対し、セツナは、歯噛みした。再び、黒き剣を召喚し、構える。アックスオブアンビションの絶対的有利性に変化はない。それはそうだろう。攻撃範囲が絶望的なまでに違う。黒き剣はせいぜい剣の届く範囲しか攻撃できないが、対する紫黒の大斧は、男の前方広範囲を一瞬にして破壊できてしまうのだ。そして、その破壊の力は、対象物に触れている限り、逃れることはできない。
(触れている限り……か)
セツナが知る限り、それがアックスオブアンビション固有の能力だ。世界には多種多様な召喚武装が存在するが、召喚武装は形状や属性、能力によって分類されることこそあれ、それら能力は固有のものといって差し支えない。
たとえばルウファのシルフィードフェザーとグロリアのメイルケルビムはいずれも風の属性に分類され、大気を支配、制御する能力を持つが、いずれも本質的には異なるものであるといわれている。事実、シルフィードフェザーは召喚武装そのものが翼となるが、メイルケルビムは光の翼を発生させる召喚武装であり、差違があるのだ。
そんなことはどうでもいいが、ともかく、アックスオブアンビションの能力とは、広範囲を破壊する能力であり、その範囲というのは使い手がどれだけアックスオブアンビションの力を引き出せるかによる。もっといえば、その対象範囲に強大な力の塊をぶつけて破壊するのではなく、斧刃を叩きつけた地点を中心とする広範囲か、起点とした前方広範囲に破壊の力を伝播させ、破壊の連鎖を起こすのだ。
つまり、破壊の力の伝播そのものを回避することができれば、破壊から逃れることも可能ということだ。
無論、簡単なことではない。力の伝播は一瞬。瞬間的に範囲内に伝わりきり、破壊が起こる。大斧が接触する瞬間に飛んでかわそうとしても間に合わないかもしれない。アックスオブアンビションの行動を完全に先読みしなければならないだろう。
「残念ながら、この状況で対等と言い張れるのは有利に立っている奴だけさ」
「だが、元来戦いとはそういうもんだ」
「……そうだな」
返す言葉もなく、セツナは肯定した。そして、相手に向かって駆け出している。アックスオブアンビションは余裕の態度だ。こちらの反応速度、召喚武装の能力を見切っているとでもいいたげなくらいだった。それなのに、怒っている。不満げで、物足りなさそうなまなざし。
(なにを怒っている?)
セツナには、アックスオブアンビションの心情が理解できなかったし、そんなことを考えている余裕もなかった。男が大斧を軽く振り下ろす。その速度から接触までの時間を見切り、跳躍する。瞬間、斧刃が男の前方に叩きつけられた。広域破壊が起こったとき、セツナは空中にいた。大地が粉々に打ち砕かれていく圧倒的な光景を目の当たりにする。当然、セツナ自身は破壊されていない。
(やった……!)
アックスオブアンビションの攻略法を見つけた嬉しさに喜んだのも束の間だった。着地の瞬間、激痛が全身を打ち砕いていくのを認めた。骨という骨が砕け散り、内臓も皮膚も、肉体を構成するありとあらゆる要素が粉砕されていく。
(え――!?)
愕然としたセツナだったが、意識が消えゆく寸前、アックスオブアンビションが同じ名の大斧をさっきとは異なる位置に叩きつけていることに気づいた。彼は、セツナが着地した瞬間、もう一度斧を叩きつけ、広域破壊を引き起こしたのだ。
彼は、セツナが跳躍によって破壊の伝播を回避するのを見越していた。
「まったく、弱い。弱すぎる」
アックスオブアンビションは、大斧を手放していた。
「あんたの能力が卑怯すぎるんだよ」
セツナは、吐き捨てるように言い返して、男を睨んだ。そして呪文を唱え、黒き剣を召喚し直す。
死ぬ度に黒き剣が送還されているのは、ここが現実ではないからだ。
死は一瞬。一瞬後にはすべて元通りになっている。痛みがわずかに残っている上、いまだ体がばらばらになっているような違和感があるが、体そのものは無事だ。ここは夢の世界。現実では起こりえないことが起こる。死も生も幻想に過ぎない。ならば、ここの修行の意味があるのかと聞かれれば、どうかわからない。もしかしたら、なんの意味もないのかもしれない。無意味に時間を過ごしているだけかもしれない。いやそもそも、時間が経過しているという感覚さえ、錯覚なのではないか。一晩の間にみる夢に過ぎないのではないか
そんな風な疑問も、いまは遠い昔のことのように思える。
「いったはずだぜ。俺は悪魔だってな」
「それがなんなんだよ」
「悪魔は卑怯と相場が決まっている」
「いや、戦いに卑怯もなにもないっていったのはあんただろ」
「そうだが……おまえがあまりにも卑怯卑怯とうるせえから、もしかするとそうなんじゃねえかと思い始めたんだ」
なにやら腕組みして神妙な顔をする相手から、余裕綽々といった様子が窺い知れるが、その口から紡がれた言葉に対しては、ひとつの感想しか浮かばない。セツナは思わず告げた。
「……あんた、馬鹿だろ」
「ああん!? だれが馬鹿だって!?」
怒り狂ったように吼えるなり大斧を引き抜いた男は、大斧を地面に叩きつけるのではなく、地を蹴った。巨躯が躍動し、迫り来るのを認めて、セツナはむしろ好機と判断した。男の沸点がよくわからないものの、怒り狂い、冷静さを失ったというのであれば、隙を突くこともできるのではないか。相手は中空。当然、そのまま飛びかかってくるしかない。対するセツナは地上。いくらでも動きようがある。
着地する相手の背後に回り込むように踏み込み、振り向けば、敵の背中が見えていた。しかし、剣を突き出すのと、男がこちらを振り返るのはほとんど同時であり、セツナは、大斧の一撃から逃れるため、剣の腹でもって斧刃を受け止めざるを得なかった。凄まじい激突音が響き渡り、衝撃が全身を貫いた。男が、獰猛な笑みを浮かべていた。
「さすがに折れねえな」
彼のいうとおり、黒き剣は折れなかった。アックスオブアンビションの破壊の一撃さえ耐え抜いたのだ。だが、セツナの肉体は、ばらばらに砕け散るのを止められなかった。破壊の力が、黒き剣よりセツナの全身に伝播したのだ。
そして、何度目かの死と復活を繰り返す。
全身がもうずたぼろなのではないかという錯覚に囚われながら、それでもなんの問題もないことにこそ違和感を禁じ得ず、セツナは、混乱を振り切るのに必死にならなければならなかった。生と死の振幅。繰り返すたびに気が狂っていくような、そんな感覚がある。地獄で、既に数え切れないほど死に、蘇った。その積み重ねがここになってなんらかの不具合をもたらしているのではないか。
手足の感覚はまともだ。彼の想うとおりに動いている。体は軽く、アックスオブアンビションの跳躍に反応できるくらいだ。戦闘行動そのものに支障はない。ないのだが、妙な気分だった。まるで自分が自分じゃなくなっていくような、漠然とした違和。
「……こんなもんじゃねえ、よな?」
アックスオブアンビションは、やはりなにか怒っているようだった。理由は、なんとなくわかりかけてきた。セツナがあまりにも弱いことに対して、怒っているのだ。
ランスオブデザイアがそうだったように。
彼らは、自分の主たる黒き矛こと魔王の杖が選んだ人間には、強くあって欲しいと願っているのだ。いや、強くあるべきだと、強くなければならないと想っているのかもしれない。
「この程度、死んだ数には入らないさ」
「普通、人間、一度死んだら終わりだぜ?」
アックスオブアンビションの苦笑には、返す言葉もなかったが。
「武装召喚」
黒き剣を召喚したセツナには、そんなことは関係がなかった。
なんとしてでも試練を突破し、この地獄を終えなければならない。
でなければ、約束を果たすことなど出来ないのだから。