第二千六百六十四話 龍府事情(四)
ネア・ガンディアの飛翔船による戦闘行動は、突如として巻き起こり、そして、ザルワーン島の空を戦火に染めた。
飛翔船が光を発したかと想えば、天地を震撼するほどの爆発を引き起こし、余波だけで龍府も揺れた。龍府市民に動揺が広がり、混乱が生まれるのは当然のことだった。龍府の上空こそ超巨大飛翔船によって覆われ、戦闘空域から遠く離れているものの、その戦闘空域は、急速に近づきつつあったのだ。
なにが起こったのか。
だれもが騒然とするなか、エリルアルムはグレイシアやリノンクレアとともに空を見上げ、沈みゆく飛翔船を目の当たりにした。船体に大穴を開けられ、煙を上げながら墜ちていく船、船体を真っ二つに断ち割られる船、大爆発に飲まれる船――飛翔船の撃沈の仕方は様々だが、外敵の強さが異様だということはエリルアルムにもわかった。
ネア・ガンディアが有する飛翔船は、ただの空飛ぶ船ではない。船が空を飛ぶ事自体異様ではあるが、それ以上に恐るべきはその船体に用いられる金属の強度であり、その上、神の力によって保護されているという事実だ。並の攻撃では、船体を傷つける以前に神の防御障壁を打ち破ることなど敵わない。つまり、飛翔船をつぎつぎと撃ち落とす外敵は、並々ならぬ力を持っているということだ。それも、神々に対抗しうるほどの力を持っていると推測された。
『なにものなのでしょう……?』
グレイシアの疑問ももっともだったが、エリルアルムには、ただのひとりを除いて、考えられる人物などいなかった。
『おそらくは……セツナ様かと』
『セツナ殿? セツナ殿が……なぜ?』
『主は、ネア・ガンディアが敵であると想っておられるはずですから』
セツナは、ネア・ガンディアを敵と断定していた。ネア・ガンディアと名乗っているのは、ガンディア領土を取り込むための方便であり、レオンガンド・レイグナス=ガンディアは偽者がそう名乗っているに過ぎないのだ、と。それは当時のナージュを除く仮政府首脳陣の意見でもあり、セツナがいまもなおそう想っていても不思議ではなかったし、彼がザルワーン島上空に無数の飛翔船を見出したとすれば、たったひとりで飛び込んできたとしてもなんら不思議ではなかった。
『ならば、セツナ殿にあの船団を追い払ってもらいたいものだが』
リノンクレアの小さなつぶやきは、彼女の複雑な心境を覗かせた。レオンガンドが生きていた事実は喜ばしいし、彼女としても嬉しいはずなのだが、レオナとレイオーンの反応は、リノンクレアにレオンガンドへの警戒心を覚えさせたのだ。リノンクレアはレオナの教育係であり、もしかするとナージュ以上にレオナのことを理解しており、レオナがレオンガンドを拒絶したことを重く受け止めているようだった。そんな彼女からすれば、いまはとにかく、レオンガンドと距離を取り、冷静になりたいという想いを持っていたとしても不思議ではなかった。
『そう……ですね』
グレイシアも、静かに同意した。グレイシアもまた、複雑な心境だったのだろう。愛する我が子が生きていたことには、だれよりも喜んだだろうし、素直に受け止めたかったはずだ。素直に、受け入れたかったはずだ。仮政府指導者としての立場を返上し、レオンガンドの母親、レオナの祖母に戻れるのだ。これほど嬉しいことはなかっただろう。だが、どうやらそう単純な話ではなさそうだという状況が生まれてしまった。守護者レイオーンの対応は、ガンディア王家の人間としては見過ごせないものだったのだ。
故にいまは、考える時間が欲しかったのではないか。
ナージュは、いない。
ナージュは、仮政府のネア・ガンディアへの合流が決まると、早々にレオンガンドの元へ行ってしまった。ネア・ガンディア大船団旗艦シウスクラウド号へ。彼女はいまごろ、レオンガンドとともに成り行きを見守っているに違いない。
エリルアルムも、ふたりに同意だった。
セツナが一時しのぎでもこの船団を追い払ってくれれば、それで多少なりとも状況は良くなるのではないか。少なくとも、堂々巡りに考え続け、終点のない迷宮をさまよい続けるよりはずっとましなはずだ。
そう想った。
けれども、状況に変化は起きなかった。
飛翔船は十数隻ほど墜ちたが、それだけだった。
戦闘は終わり、空には沈黙が戻った。
エリルアルムは、理解した。セツナが敗れたのだ、と。
そして、囚われたに違いない、と。
レオンガンドのことだ。セツナを殺すわけがない。
「セツナはきっとエリルアルムを助けに来たに違いないぞ」
不意に思考を真っ白に染め上げたのは、予期せぬ声が聞こえてきたからだったし、その内容も理解不能だったからだ。
エリルアルムがいるのは、天輪宮泰霊殿に設けられた彼女の私室だ。セツナと思しきものとネア・ガンディア大船団の戦闘が呆気なく終わった翌日、その午前中のことだった。彼女は日課となっている朝の鍛錬を終え、自室に戻ったところだったのだ。そして、昨日のことを思い出しながら、セツナのことを考えていたところ、突如として予期せぬ声が飛び込んできたものだから、動転して寝台から転げ落ちかけた。すると、彼女の机の下からのそりと銀の獅子が這い出てくる様が目に入り、ますます彼女は驚かざるを得ない。
その銀獅子のもっさりした体毛に埋もれるようにして、背中にしがみついている幼女はだれあろう、レオナ・レーウェ=ガンディアだ。彼女はこちらを見て、きょとんとしていた。
「なにをしておる?」
「そ、それはわたしの台詞です!?」
「声が裏返っておるが……どうしたのだ?」
「どうもこうもありませんよ」
思わず声が大きくなりそうなのを必死に抑えなければならず、彼女は苦心した。驚くのも当然だったし、動転して我を忘れかけたとしても、エリルアルムに落ち度のあることではあるまい。少なくとも、普段から沈着冷静で知られる彼女が想わず声を裏返らせるほどの事態なのは、紛れもない事実なのだ。
なにせ、ザルワーン島が占拠されて以来、姿を隠していたレオナがひょっこり現れ、何食わぬ様子で話しかけてきたのだ。まるでつい先程まで会話していたかのようだった。当たり前のように、といってもいい。ともかく、レオナには、エリルアルムの反応こそ不思議でならない、とでもいいたげな様子だった。
「いままでどこにいたのですか、殿下。それにレイオーンも……」
「わからぬ」
「わから……?」
レオナの反応にエリルアルムは思わず声を荒げかけて、自分の口を塞いだ。すると、レイオーンがこちらを見た。銀獅子は、人語を解する。
「この島にいては、レオナの身が危険だと判断した。故に別の島に逃れていたのだ」
「は……?」
「わたしにはわからぬが、どうやらそういうことらしい」
「どうやら……って、あれから一月ほどですよ?」
エリルアルムは、レオナの頓着のなさに愕然とする想いだった。
「一月あまり、なにも考えずにおられたのですか?」
「なにも考えなかったわけではないぞ。お母様やお祖母様、叔母様にそなたのことも考えたりしたぞ」
「は、はあ……」
エリルアルムは、レオナの反応になんといっていいかわからず、頭を抱えかけた。レイオーンに助けを求めたところで意味がないことはわかりきっている。レイオーンは、ガンディア王家の守護者ではあるが、レオナの在り方について口出しするようなことはしないのだ。ガンディア王家の未来が危ぶまれたときにこそ現れるが、現状、レオナの有り様がガンディア王家の存続を危ぶむものでもないのであれば、どうでもいいと考えているのだろう。
「セツナのこともな」
レオナがエリルアルムの目を覗き込むようにして、いってきた。
「セツナはきっと、エリルアルムを救いに来たに違いないのだ」
「な、なぜわたしなんですか」
「婚約者を救わずして、なにが英雄か」
「こ、婚約者!?」
エリルアルムは、思わず素っ頓狂な声を発してしまった。
確かにかつてはそうだったが、いまは違うのだ。だが、そんなことをいってもレオナにはわからないかもしれないという事実が、エリルアルムに今度こそ頭を抱えさせた。