第二千六百六十三話 龍府事情(三)
静寂が強いられる日々、彼女にできることといえば、目立たないことだ。
ネア・ガンディアの連中に目をつけられれば船に連れて行かれる可能性が高くなる。たとえ、グレイシア直々に側に置いておくよう懇願され、許可されたとはいえ、立場を弁えなければ、そんなものは一瞬で消し飛ぶだろう。そしてそのようなことがあれば、グレイシアに面目が立たないし、来たるべき好機に対応できなくなる。
好機。
そう、好機だ。
反撃の機会を、待っている。
レオンガンド・レイグナス=ガンディア率いるネア・ガンディアに対し、ザルワーン島を統治するガンディア仮政府は、合流を選択した。政府の会議によって決まったことであり、反対者はいなかった。ネア・ガンディアがレオンガンドを王として推戴しており、そのレオンガンドが偽者などではなく、当の本人であることが判明した以上、仮政府は、当初の予定通り、そのすべての権限をレオンガンドに明け渡す以外の道はなかった。
抵抗する理由も、抵抗する意味もない。
抵抗すれば、その瞬間、龍府は火の海と化し、罪なきひとびとが殺されたか、神人へと成り果てただろう。マルウェールがそうだったように。
そのことを思い出せば、ネア・ガンディアを信用するべきではない、という想いがわき上がってくるのだが、しかし、ネア・ガンディアがレオンガンドによって率いられているという事実はいかんともしがたく、仮政府のネア・ガンディアへの合流を止める理由にはならなかった。
仮政府は、来たるべきガンディア再興のために存在したのであり、レオンガンドがみずから新生ガンディアを率いて現れたというのであれば、喜んで差し出すのが道理というものだ。
仮政府の指導者であったグレイシア・レイア=ガンディアも、王妃ナージュ・レア=ガンディアも、リノンクレア=ガンディアも、ネア・ガンディアとの合流を支持し、納得した。
ただひとり、レオナ・レーウェ=ガンディアを除いて。
レオナは、レオンガンドと対面したとき、拒絶反応を示したのち、レイオーンに連れ去られるようにして姿を消した。レイオーンもまた、レオンガンドに敵対するかのような言葉を投げつけており、レオナとレイオーンの反応、態度は、その場にいた多くのものに衝撃を与えている。
特にレオンガンドは、再会を待ち望んでいた最愛の娘から直接拒絶されたことで多大な衝撃を受けたようであり、この上なく動揺していた。レオンガンドにしてみれば、数年ぶりの再会であり、成長したレオナを目の当たりにするのは初めてのことだったのだ。レオンガンドは、それこそ、心の底から再会を喜び、レオナの成長した姿に涙さえこぼしそうな表情をしていた。
それなのに、レオナは拒絶した。
さらにはレイオーンが現れ、レオナを連れ去ってしまった。
仮政府は動かせる人数を総動員してレオナの捜索を行い、ネア・ガンディアもそれに倣うようにして人員を派遣、龍府の隅から隅まで洗い出すような捜索活動を始めたが、レオナもレイオーンもその影すら見つかっていない。ネア・ガンディアに属する神々の力を用いても探し出せないというのは、それだけレイオーンが特異な存在ということを示しているのか、どうか。
レオナがレイオーンとともに姿を隠すと、もはやどうにもならないということは、エリルアルムたち仮政府の人間にはわかりきったことであったし、ひとの手で探し出すことは不可能だと想っていた。これまで何度もそうやって姿を消したかと想うと、数時間から数日後、ひょっこり姿を見せるのがレオナとレイオーンなのだ。まさか、神々の力でもってしても探し出せないほどとは想いも寄らなかったが、逆にいうと、ひとの手で探し出せないのは道理だったというべきかもしれない。
だが、レオナの不在が仮政府の方針に影響を与えるかといえば、そのようなことはなく、仮政府の権限の移譲は速やかに行われることとなった。
ただし、レオナの拒絶反応とレイオーンの言動を目の当たりにしたグレイシアやリノンクレアは、レオンガンドに疑念を抱いたようであり、そのことをエリルアルムにだけ打ち明けている。
『彼は、レオンガンドです。長年あの子のことを見守ってきたわたしがいうのですから、間違いありません。ですが、レオナが彼を拒絶し、レイオーンが彼を敵と見做したこともまた、事実』
『レオナ様はともかく、レイオーンはガンディアの守護者。ガンディア王家を古来より見守り続けてきた彼の判断については、その理由を知る必要がある』
グレイシアとリノンクレアは、レオンガンドとの再会という喜ぶべき事象を守護者によって水を差され、複雑な気持ちだったに違いない。レイオーンがガンディア王家の守護者として姿を現したのは“大破壊”以降だが、それ以来、レイオーンがガンディア王家の後継者たるレオナを護り続けているのは事実であり、レイオーンがレオナを見守ってくれているからこそ、グレイシアたちも安心していられた。どんなときでも、どんなことがあっても、レイオーンがいるかぎり、レオナは安全だったからだ。それ故、レイオーンのこの度の行動も、レオナを護るためのものだという確信を抱かざるを得ないのだ。
なぜ、会議の場でいわなかったのかといえば、レオンガンドとの再会をだれよりも喜ぶナージュの気持ちを踏みにじりたくないから、という感情からだろう。“大破壊”以来沈み込んでいたナージュの心は、レオンガンドとの再会によって一気に浮揚し、レオナが拒絶した事実さえ、彼女の中では些細な問題になってしまっているようだった。レオナには、レオンガンドの記憶が薄く、故によくわからず拒絶してしまったのだろう、というナージュの意見は、必ずしも間違いではないかもしれない。
実際、レオナは、レオンガンドのことをほとんど覚えていないため、周囲のものにレオンガンドの話をせがむことが多かった。そこから想像したレオンガンドの姿と本物のレオンガンドの姿とでは、差違が生まれるのは当然のことだが、だからといってあそこまで強烈に拒絶するものでもないだろう。
なにかしら、理由があるのではないか。
そういう想いが、エリルアルムをして、ネア・ガンディアを警戒させた。
仮政府のネア・ガンディアへの合流、全権移譲は、つまり、仮政府の領地のみならず、所属するすべての人間がネア・ガンディアに移るということでもある。当然、エリルアルムと彼女率いる銀蒼天馬騎士団も、ネア・ガンディアに所属を移すことになるのだが、彼女は、主君たるセツナの同意なく、勝手に所属を変えることはできない、という名目で、ネア・ガンディアに取り込まれずに済んでいた。その上、グレイシアがレオンガンドに直訴したことで、天輪宮にいられることとなったのだ。グレイシアにしてみても、ネア・ガンディアを完全に信用できない以上、信頼できる人間をひとりでも多く側に置いておきたかったに違いない。
状況によっては、王家の人間だけでも龍府から脱出させなければならないかもしれないのだ。そういうとき、戦力として信用できるのはやはりエリルアルム率いる銀蒼天馬騎士団なのだろう。
故にエリルアルムは、沈黙した。
ネア・ガンディアの連中に目をつけられないよう、言動に気をつけながら、日々を過ごしていた。
そんな日々が終わりを告げたのは、十月二十四日のことだった。
ザルワーン島の空に蓋をするかのようにして浮かんでいた無数の飛翔船が突如として動き出したかと想うと、いままでにない戦闘行動を取り始めたのだ。
そしてそれは、ザルワーン島への攻撃ではなかった。
外敵を迎撃するための戦闘だったのだ。