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第二千六百六十話 神をも統べるもの(五)

「陛下」

 黙考を遮ったのは、女の声だった。聞き慣れた理知的な声。感情の片鱗さえ感じ取れないのは、そうなってしまったからなのか、そう振る舞っているからなのかはわからない。

「セツナを処断しなくとも、構わないのでしょうか」

「なぜだ」

 黙考のため閉じていた瞼を上げ、話し相手を視界に捉える。女神のように美しい女がそこにいる。長い銀髪に金色の目をした女。ナルフォルンという新たな名には馴染みが薄いものの、いまや彼女はその名で呼ばなければならない存在となっている。

 旗艦シウスクラウドの上層居住区、その一室に彼はいる。そこは神皇の執務室であり、彼がいまその部屋に籠もっているのは、考え事をするためだった。でなければ、ナージュとの時間を満喫したことだろうが、いまはそういう気分ではなかった。セツナのことを考えなければならない。

「なぜ、彼を処断する必要がある」

「陛下を害しようとしたのです。当然の処置かと」

「ならば、すべての神々を処断せねばなるまい」

 といえば、ナルフォルンも黙り込まざるを得ない。

 皇神とも呼ばれる神々は、そのほとんどすべてが彼の威に従っている。心服している神は少なく、その多くが彼に敵意を抱いている。戦っても敵わないから従っているだけなのだ。

 従うでもなく下野したわずかばかりの神々は、この壊れきった世界で信仰を集めようと躍起になっているようだが、それもレオンガンドに敵するために違いない。神々にとってレオンガンドは、異常事態なのだ。かつて人間でありながら、神々を凌駕し、神々を付き従える絶対性を得た存在など、人間を見下しきっている神々には到底受け入れがたい存在なのだ。

 それでも、ほとんどすべての神々が彼の支配を受け入れざるを得ないのは、それだけ、彼の力が絶対的だからだ。

 故に神皇。

「君も理解していよう。セツナは、魔王の杖の護持者だ」

「はい」

 ナルフォルンは静かにうなずいた。ふたりのいる神皇執務室は、シウスクラウド号の巨大さを考慮しても広すぎるきらいがあった。真円を描く広大な空間で、天井は半球型となっている。光源はないが、困ることはない。真っ白な床や壁、天井自体が淡い光を帯びているからだ。調度品もなにもなく、あるのは、レオンガンドのための椅子だけだ。執務室というよりは、舞踏会などを催すための広間のように見えなくもない。なぜこのような部屋なのかといえば、レオンガンドがそう作り替えたからであり、ほかのだれの意図したものでもなかった。

「彼を従えることができれば、神々に対する切り札を得られる。仮に将来、異神どもが攻め寄せてきたとしても、セツナと黒き矛があれば対処できよう」

「その程度、陛下のお力があれば……」

「そうでもあるが」

 ナルフォルンの言を認めつつ、彼は、本心を告げた。

「しかし、わたしとしては、セツナを失いたくないのだ」

「……ならば、わたくしどものように」

「それができれば苦労はしない」

 レオンガンドの脳裏には、謁見の間でのことが思い起こされていた。セツナが黒き矛を召喚し、飛びかかってきたときのことだ。レオンガンドは、だれが動くより早く反応し、セツナを制した。そして、セツナを獅徒として生まれ変わらせようとしたのだが、できなかった。

「彼は、魔王の杖の護持者だ。魔王の杖が彼を護っているのだろう」

 魔王の杖とは、百万世界が用意した神々への対抗手段といっても過言ではない。その力は百万世界の神々すべて合わせてようやく釣り合うほどのものといわれているが、無論、その力のすべてを引き出したものは、百万世界の記憶上、存在しない。魔王の杖そのものは様々な世界に現れ、神々やその使徒たちと死闘を繰り広げているようだったし、世界そのものが消滅した例もいくらかあるのだ。ただし、魔王の杖を使いこなしたものはいないともいわれている。

 セツナは、どうか。

 レオンガンドは、セツナにある種の期待を寄せていた。彼がもし、百万世界の歴史上存在しなかった魔王の杖の真の使い手ならば、あるいは、と。

「であればこそ、処断するべきでは」

「先もいっただろう。わたしは彼を失いたくないのだ」

 それもまた本心だという事実が、彼の胸中の複雑さを示している。

 複雑なのだ。

 まるで混沌そのもののように彼の心の中は複雑怪奇であり、自分自身がなにものなのかさえ、忘れることがある。

 それは、代償なのだろう。

 これほどまでの力を得た、代償。

 だからこそ、ナージュがいる。

 ナージュだけが、彼にひとの心を思い出させてくれる存在だった。


 ネア・ガンディアがザルワーン、ログナーへの再侵攻を計画したのは、二月前のことだ。

 ザルワーン島、ログナー島とそれぞれ呼称される島に対する一度目の作戦が見事なまでの失敗に終わったことで、ネア・ガンディアは、根本的な戦略の見直しに迫られた。

 獅徒と従属神を送り込んでの失敗だった。

 現地の戦力が充実しているザルワーン島へは多数の兵をつけ、現地の戦力が手薄なログナー島には、獅徒と従属神のみを送り込んでいる。それがいずれも失敗に終わった。特にザルワーン島攻略作戦においては、多数の飛翔船を撃沈されるという惨事に見舞われたことは、ネア・ガンディア首脳陣の頭を抱えさせた。新造の飛翔船は、決して安物ではなかったのだ。

 ザルワーン島、ログナー島の第一次侵攻が失敗に終わった理由は明白だ。黒き矛のセツナがいたからにほかならない。セツナとその仲間たちの奮戦によって、両島からネア・ガンディアの軍勢は撃退されたのだ。

 つまり、セツナがいなくなれば、それだけで勝機は高まる。

 しかし、それだけでは不安が残るということで、ネア・ガンディアが立てた計画というのは、仮にセツナたちが両島のいずれかに残っていたとしても、圧倒できるだけの戦力を送り込むということだった。

 そして、数百隻の飛翔船と数百の神々、数十万の神兵、聖兵によるザルワーン島、ログナー島侵攻軍が完成すると、レオンガンドは、みずからザルワーン島侵攻軍の指揮を執った。

 神皇の初陣ということもあり、両侵攻軍の戦意は否応なしに高まったのだ。

 もっとも、両島において戦いらしい戦いが起きなかったのは、いうまでもないことだが。

 数百隻もの飛翔船が空を覆うのだ。ザルワーン島の住人もログナー島の住人も、戦意喪失し、降伏する以外の道はなかった。

 ザルワーン島において、ただ一柱、気炎を吐いた神がいたが、その異界の神は、レオンガンドがみずから手を下している。

 そうしてザルワーン島龍府に降り立ったレオンガンドは、予期せぬ、だが待ち望んだ再会を果たした。最愛の妻ナージュと愛娘レオナ、母グレイシアが龍府にいたのだ。

 グレイシアは、ザルワーン島を統治するガンディア仮政府の代表として、レオンガンドたちの前に姿を見せたのであり、そのとき、グレイシアは、レオンガンドの姿を目の当たりにして絶句していた。それはそうだろう。グレイシアたちは、レオンガンドが死んだものとみていたのだ。

 ナージュの話によれば、レオンガンドの生存を信じたかったが、状況から見て生きている可能性は限りなく低いとも想っていたといい、そこにセツナの証言が拍車をかけたようだ。もっとも、そのことでセツナを悪くは想わない。当然の帰結だ。実際、レオンガンドは、死んでいる。死に、生まれ変わって、生きているのだ。だから、死んだはずだという認識に間違いはなく、セツナたちの導き出した結論にはなにひとつ間違っていなかった。

 ナージュはそのようにしてレオンガンドとの再会を心の底から喜び、涙した。グレイシアも、そうだった。喜んでくれたのだ。

 だが、ただひとり、レオナだけは違った。

 レオンガンドとナージュのたったひとりの愛娘は、彼のことを受け入れなかった。

 ナージュは、レオナとレオンガンドの間を取り持とうとしたが、しかし、そこに現れた銀の獅子がレオナを連れ去ってしまったのだ。

 もちろん、レオンガンドの力をもってすれば、銀獅子を掴まえることは容易い。だが、愛娘に拒絶され、傷心の彼には、そのようなことなどできるわけもなかった。

 あの頃から大きく成長したレオナの姿を一目見れただけでも喜ぶべきなのだろうが、しかし。

 レオンガンドは、そのとき以来、心に負った傷の深さに苦しみ続けている。

 ナージュがいなければ、苦しみの中でのたうち回っていたかもしれない。

 そんな状況。

 セツナを手にかけるなど、以ての外だ。

 彼もまた、レオンガンドにとって数少ない心の拠り所だったのだから。


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