第二千六百五十九話 神をも統べるもの(四)
「だが、案ずることはない。たとえ立場が変わろうとも、わたしにとって君の価値は変わらない。輝かしい希望の光であり、憧れの英雄なのだ。そう、これからはわたしが君を護ろう。君の力となろう。君がかつて、わたしのために身を砕き、骨を折ってきたように。今度はわたしが、君に力を貸そうではないか」
レオンガンドは、興奮気味に、そして嬉々としていってきた。玉座より腰を上げ、こちらに身を乗り出すような仕草、態度は、彼の心情をそのままに現しているのだろう。つまり、言葉のままだ。言葉の意味そのままの感情があり、現れている。
それをセツナは、茫然と聞いているほかなかったし、見ているしかなかった。それこそ、彼の知るレオンガンドの本心であることは疑いようがない。レオンガンドは生まれながらの王族であり、支配者として、指導者として君臨するよう生まれ育ち、その通りに成長していたが、とはいえ、彼がセツナの活躍に対して並々ならぬ関心と複雑な感情を持っていたことは想像に難くない。
彼は、セツナのことを英雄と呼んでくれた。
ほかのだれよりも、レオンガンドのその評価が嬉しくて、だから、セツナは戦い抜けたのだ。自分を見出してくれたひとがだれよりも評価してくれる。その事実は、セツナを奮い立たせ、命を滾らせ、魂を燃え上がらせるにたるものだった。
そして、そんなレオンガンドが一方で、セツナと並び立ちたい、ともに戦いたいと想ってくれていたことには、感動すら覚える。
だが、その感動の熱さえ急速に冷え切っていくのもまた、事実だ。
「俺に……力を貸してくださると?」
「そうとも。君がわたしとともに在るというのであれば、力を惜しみはすまいよ」
「陛下とともに……」
「そうだ、セツナ。わたしとともに夢の続きを見よう。この世界にガンディアの名を響かせるのだ」
「夢の続き……」
それは、甘美な誘いのように想えた。
夢。
レオンガンドの夢。
それは、セツナの夢といってもよかった。
かつて、セツナに夢と呼べるものはなかった。目の前の戦いに専念することだけで精一杯だったのもあったし、戦士に夢など必要ないという考えもないではなかった。が、いつしかレオンガンドの夢を叶えることが、彼の夢となっていた。レオンガンドの、小国家群統一という夢のために全力を尽くそう。そのために戦い抜き、生き抜いてみせよう。
いつしか、それがすべてになっていた。
残念ながら小国家群統一という夢は打ち砕かれた。が、レオンガンドは、新たに世界統一という夢に向かって動き出している。それが夢の続きなのだろう。その夢の続きの果てにはなにが待っているのか。ともに夢を見ようという誘いは、狂おしいほどに甘く、強烈だ。
ここでうんといえば、その瞬間、セツナはレオンガンドの家臣となり、彼の覇道に従うことになるだろう。それは、セツナが夢見た未来の形ではあったし、だからこそ、胸に迫るものがあるのだ。が。
「どうした? セツナ。なにを迷うことがある。君は君だろう。かつてわたしに忠誠を誓い、わたしとともに戦い抜くことを約束した君ならば、わたしと夢の続きを追うことになにを躊躇う必要があるのだ?」
問われて、セツナは、彼を見遣った。神々しい光を帯びたレオンガンドの双眸は、ひとのものではない。神々の王、獅子神皇レオンガンド・レイグナス=ガンディアが、セツナの知るレオンガンド・レイ=ガンディアそのひとであることに疑いはない。その生まれ変わり。成れの果て。
「ここで俺があなたに付き従うと約束すれば、それは、ネア・ガンディアがこれまでしてきた非道を認めるということになる。それだけはできません」
「非道?」
彼は、セツナの意見を聞いて、少し困ったような顔をした。まるで理解できない、というわけではなさそうだが、といって、受け入れることはできない、とでもいうような、そんなまなざし。
「この変わり果て、終わりゆく世界に人道も非道もないだろう。むしろ、救いだ」
「救い?」
セツナは、心の奥底に怒りの火が点くのを認めた。救い。その言葉が意味するところは、即ち。
「人間から神人になることが、ですか」
「そうだよ、セツナ。それは救いなのだ」
レオンガンドは、眉ひとつ動かさず、肯定する。
「ひとは、いつか死ぬ。生まれながらにして死を約束されている。だれもがその世界との約束から逃れられない。そしてこんな世界だ。死は、老いや病以外にも様々な理由で襲いかかってくる。死への恐怖が世界に満ちている。耳を澄ませば、ほら、聞こえてくるだろう。だれもが死を逃れる術を求め、救いを望んでいる。ならば、神の力によって生まれ変わればいい。君のいう神人になれば、生きることが持つ死への恐怖からも解放されるのだよ」
「馬鹿げたことを……」
「なにが、馬鹿げている? 真理だろう。人間であり続ける限り、死という絶対的な終焉を避けることは出来ない。君ですら、そうだ。圧倒的、絶対的とさえいえる力を持つ君でさえ、死を逃れる術はない。死ねば終わりだ。それまでなのだ。わたしにはわかる。死の先にはなにもない。無辺無明の闇が広がっているだけ。絶望の荒野が横たわっているだけなのだ」
「だから、神人にしてしまえばいい、と?」
いつの間にか拳を握り締めていたことに気づく、爪が手のひらに食い込んでいる。その痛みが正気を取り戻させる。我を忘れてはならない。怒り狂っては、ならない。この状況で理性を失えばどうなるか、目に見えている。周囲には敵ばかりだ。特にクオンたち使徒は、神に匹敵する力を持っているのだ。完全武装が解かれているいま、再び完全武装状態になるには、もう一度召喚する時間が必要だ。その時間を稼ぐことすらできるのかどうか。
「この世界で、ひとや動物が生きていくにはそれが最適解なのだ。いずれ世界を統一した暁には、すべての人間、いきとし生けるものすべてを神の力によって生まれ変わらせる――それこそ、神々の王たるわたしに与えられた使命というべきだろうな」
「……それが」
セツナは、レオンガンドを睨み付けている自分に気づいたが、止めようとは想わなかった。彼の言動は、もはや人間だったころのレオンガンドのものではなくなっている。
レオンガンドは、人間であることに誇りを持っていた。怪物と成り果ててでも病を克服し、復活を果たそうとした実の父シウスクラウドをその手にかけた彼には、人間で在り続けることへの拘りがあったはずなのだ。人間として生き、人間として死ぬ。それがレオンガンドの選んだ道だったはずだ。
しかし、いま彼の目の前にいるレオンガンドは、もはや人間ではなくなっていた。神々をも越える力によって復活を果たした彼には、人間としての誇りや尊厳など持ち合わせていないのだ。その事実は、ただただ哀しく、重い。
「それが陛下の使命と仰るのならば、俺は」
セツナの脳裏にレオンガンドとの想い出、記憶が無数に蘇り、消えて失せた。激しい感情の振幅。喜びや哀しみ、怒りや嘆きが入り交じり、心の深淵で乱舞する。視界が滲んだ。だが、止まらない。止まるわけにはいかない。認めるわけにはいかないのだ。だから、彼は告げた。
「俺の使命は、あなたを討つことだ」
踏みだすと同時だった。呪文を口走り、左右の敵が動くのを認めた。呪文が完成し、爆発的な光が全身より溢れる。光の中に具現するのは黒き矛。その柄を手にした瞬間、カオスブリンガーの狂おしいまでの怒りを感じ取った。
そして、レオンガンドが目の前にいた。