第二千六百五十六話 神をも統べるもの(一)
「セツナ!?」
「嘘!?」
「そんな!?」
「お兄ちゃん!」
「御主人様!」
「セツナ!」
機関室内に悲鳴が上がるのは、当然だった。
それまで圧倒的かつ一方的ともいえる戦いを繰り広げていたセツナが突如動きを止めたかと想うと、数多の神の攻撃を受け、沈んでいったのだ。遙か遠方にいるエスクたちには、どうすることもできない。為す術もなく、ぼろぼろになったセツナが神々に取り囲まれ、どこかへ連れ去られるのを見届けるしかなかった。
だれもが認めがたい現実に心を打ち砕かれ、絶句していた。
エスクは、そんな中にあっても冷静さを失わない神を睨んだ。エスクたちがなにもできないのは、この船の支配者たるマユラ神が動かないからにほかならない。マユラ神がもしあのとき動いてくれていれば、セツナを護れたのではないか。そんな想いがエスクの中に燻っている。
「……マユラさんよ、どうすんだ?」
「どうもこうもない。見ての通りだ」
「見ての通り……って」
「偉く冷静ね! セツナが……!」
「案ずるな。セツナは囚われの身となっただけだ。彼が殺されることなどありえぬ」
ミリュウが詰め寄る中、マユラ神は涼しい顔でいう。だれもが悲観的になる中で、その冷静さは軽薄に映りかねない。だが、マユラ神には関係のないことなのだろう。この場にいるだれにどう想われようと構わないのだ。
「いや、死ぬことはありえぬというべきか」
「どういうことよ……?」
「だが、セツナを救い出すのは至難の業ではあるな」
「ちょっと、あたしの質問に答えなさいよ」
「詮無きことだ」
「はあ!?」
素っ頓狂な声を上げるミリュウだが、マユラ神は、絶望的なまでに冷徹だ。
「いまは、セツナの救出作戦を練るべきではないか?」
「そりゃあ……そうだけど」
「そうね……いまここで自棄になっても仕方がないわ。セツナは奴らに捕まった。それが事実。でも、それはセツナが生かされている、生かす価値があると想われているということでもあるはずよ。つまり、セツナを救出する時間はたっぷりあるということ」
ファリアがようやく冷静さを取り戻したことで、ほかの連中も少しは頭が回るようになってきたようだった。エスクはやれやれと想いながらも、自分もまた、頭に血が上っていた事実を認める。結局、だれもかれもセツナのこととなると我を忘れてしまうのだ。
「時間はあっても、戦力がな」
「戦力……でございますか」
「そうね……」
現状、船の戦力ではセツナを救出するなど無理もいいところだ。
撃墜されるか、捕獲されるだけだろう。
考えるべきは、戦力を確保する方法だ。
「いつまでそうしているつもりだ。陛下の御前であるぞ」
聞き知った声に呼び起こされて、セツナは瞼を開けた。全身が焦げるように熱く、痛みが絶えず体中を巡っている。肩、胸、腹、腰、腿――様々な箇所に穴が空いているような、そんな感覚。そして、その穴からなにかが零れ続けているようでもあった。それはおそらく、神々の攻撃を避けきれなかったせいだろう。一瞬の油断が命取りとはまさにこのことだが、同時に生きていることそのものへの疑問も生まれる。
なぜ、自分は生きているのか。
神々の猛攻を受けたのだ。
死ぬのが普通だ。
セツナの肉体そのものは人間なのだ。黒き矛と眷属たちによって護られているとはいえ、その防御を貫くような攻撃を受ければ、耐えられない。肉体は容易く損壊し、命もあえなく砕け散る。だが、彼の意識は無事に目覚め、全身の激痛によって生の実感を得ている。
(なぜだ。なぜ……)
疑問とともにどす黒い感情が意識を塗り潰す中、彼は、顔を上げた。そして、愕然とする。
そこは広間のようだった。まるで獅子王宮の謁見の間をそのまま広くし、さらに荘厳な作りにしたような空間であり、大きな高低差があった。出入り口のほうが低く、奥へいくほど高くなっているのだ。そして高所にはふたつの玉座があり、ひとつにはレオンガンドが座し、もうひとつにはナージュが腰を下ろしている。
(え……?)
疑問が沸き上がる。レオンガンドがあの当時の姿のままそこにいることもそうだが、なぜ、ナージュがいるのだろう。いや、王妃なのだから、レオンガンドの側にいるのは当然かもしれない。彼女のどこか不安そうな表情は、セツナを見てのことのようだ。痛々しい姿を見せているのだから、当然といえば当然だろうが。
セツナは、夢なのだろう、と、思った。
神々に敗れ去り、命を落とす寸前に見ている走馬燈。
そのわりには現実感があり、ゆっくりと時が流れていることからは目を背ける。
見るべきは、レオンガンドのほうだ。彼は、玉座に座り、こちらを見下ろしていた。黄金色の頭髪の上には王に相応しい冠を乗せ、金糸をあしらった絢爛豪華な装束を身に纏っている。顔立ちは、あのときのままといっても過言ではない。男が見ても惚れ惚れするほどに美しく整った顔立ち。しかし、違和感がある。目だ。虹彩が金色だった。神々や使徒の如く、金色の目をしていた。
その事実を直視した瞬間、セツナは、これは現実なのだ、と理解した。だが、だからといって、玉座に座っているのが本物のレオンガンドであるかどうかについては、信じようもなかった。
「まず、謝らせて欲しい。配下のものたちが手荒い真似をして、済まなかったな。セツナ」
穏やかで優しげな声は、レオンガンド・レイ=ガンディアそのひとのものであり、セツナは、危うく涙ぐみそうになる自分に気づいた。そう簡単に心を許すべきではない。信じるべきではない。神ならば、その程度のこと造作もなくやってみせるだろう。それは、セツナの父親を模した神の存在からも明らかだ。死体を操ることもできれば、成り代わることだってできるのだ。
セツナは、レオンガンドを凝視した。その顔つき、表情の変化に違和のひとつでも感じ取ることができれば、偽者と断じ、即座に斬りかかることもできるのだが。だが、そのためには自分の置かれている状況を確認することも重要だ。
彼がいるのは、高低差の大きい室内における最下段であり、最上段の玉座まではそれなりの距離があった。が、その程度の距離ならばなんの問題もない。一足飛びに到達することは可能だ。問題は、最上段に至るまでの左右に並んでいるものたちのほうだ。神皇と名乗る彼の側近たちだろう。右手に並んだ白甲冑の連中は、セツナもよく知るものたちだ。ヴィシュタルを筆頭とする使徒たち。ミズトリス、ウェゼルニルも無事な姿を見せていた。使徒を除く連中も屈強そうだった。少なくとも使徒たちに並ぶ実力者に違いないのだ。それらの妨害をかいくぐり、レオンガンドを斃すには、完全武装状態にならなければならないだろうが、その時間を稼ぐのは至難の業だ。
「どうした? セツナ。わたしの顔になにかついているのかな?」
レオンガンドは、いつものように、そして当たり前のように質問してくるものだから、彼は調子を狂わせざるを得なかった。いまもなお身を焦がす怒りがわずかに揺れる。それは、レオンガンドが当然のような態度で接してくるというのもあるだろうが、ナージュが普通に隣にいるということもあるだろう。
ナージュは、偽者ではなさそうだった。少なくとも、レオンガンドのように金色の目をしてはいないし、セツナに対し心配そうな表情をしていることからも、なにものかに操られているというわけでもなさそうだった。つまり、ナージュは、レオンガンドを受け入れ、ここにいるということなのだろう。
「セツナ。さっきからなぜ黙っている。わたしと話すのも嫌か?」
「……あなたがレオンガンド陛下ならば、喜んで話もしましょうが」
「ふむ。疑っているのか……」
レオンガンドがつぶやくと、側近のふたりの手が動いた。腰に帯びた剣の柄に触れたのだ。甲冑を着込んだ二名は、兜のせいもあって顔がわからない。しかし、その身のこなしには見覚えがあった。記憶の奥底から呼び起こされるのは、ガンディアでの日々。それこそ走馬燈のように駆け抜け、甲冑の騎士に合致する。ラクサス・ザナフ=バルガザール、ミシェル・ザナフ=クロウ。レオンガンドの剣と盾たる二大騎士にして、セツナの同僚だったふたり。
セツナは内心愕然とした。なにかの勘違いだと想いたかった。しかし、呼び覚まされた記憶は、二名の騎士がラクサスとミシェルであるといって聞かないのだ。それは受け入れがたいことだったが、もし、ふたりがレオンガンド同様になにものかがなりすましていたり、神の使徒と化しているのであれば、ありえないことではない。セツナの胸中に動揺が広がるのを抑えられない。
そのふたりの動きをレオンガンドが手で制した。
「いや……確かに。君の心情、痛いほどわかるよ、セツナ。疑念を抱くのも無理からぬことだ」
レオンガンドは、ふたりの騎士が姿勢を正すと、穏やかにうなずいた。そして、静かに告げてくる。
「わたしは一度、死んだのだから」