第二千六百五十四話 魂、燃え尽きるまで(七)
「あれが……セツナなの……?」
ファリアは、映写光幕に大写しにされた彼の姿を網膜に焼き付けるようにして、自分の胸に手を当てた。映写光幕には、ザルワーン島上空で繰り広げられる激闘が大写しに映し出されている。ウルクナクト号は、ザルワーン島より遙か南東の海上に浮かんでいるのだが、最大望遠によって映し出された戦場の様子は、はっきりとしたものだったし、セツナの姿もしっかりと確認できた。
それをセツナと呼んでいいものかどうか。
ファリアでさえ迷ったのは、その姿があまりにも禍々しかったからだ。
いわゆる完全武装状態なのだろうが、それにしたって、悪魔的な禍々しさがあった。普段の黒装束の上からメイルオブドーターを身につけ、マスクオブディスペアを頭に乗せ、マスクオブディスペアの能力によって生み出した闇の腕にロッドオブエンヴィーとアックスオブアンビションを握らせている。エッジオブサーストは、メイルオブドーターと同化させているようだ。二枚の悪魔のような翼と一対の黒い翅がそれを示している。ランスオブデザイアはどこにあるのかといえば、彼の臀部から伸びた尾のようなものが、どうやらランスオブデザイアであるらしかった。尾は途中から螺旋を描く穂先となっていた。
よく見れば、マスクオブディスペアも、メイルオブドーターも、その形状に変化が起きている。より禍々しく、より悪魔的な意匠に変形しているようなのだ。
召喚武装の形状が変化、変形することそのものは、決してあり得ないことではない。ルウファのシルフィードフェザーなどはその典型だったし、ミリュウのラヴァーソウルも変形といえなくもない。だが、黒き矛の眷属たちが変形することなど知らなかったし、そのような状態を見るのははじめてのことだった。
だから、異様に感じるのか。
(違う。そうじゃない……そういうことじゃないのよ……)
ファリアは、外見的な変化だけではないものをセツナに感じていた。マスクオブディスペアの下、彼の顔は狂暴に歪んでいるように見えた。ネア・ガンディア軍との戦い、神々との闘争を愉しんでさえいるような表情。神々の理不尽なまでの力を圧倒的な暴力でもってねじ伏せることに快感を覚えているような、そんな様子。もちろん、杞憂かもしれない。考えすぎかもしれない。彼が怒り狂い、暴発したのはファリアだって知っているのだ。彼がいま、闘争を愉しんでいる余裕などないことくらい、わかりきっている。
なのに、ファリアは、不安を覚えずにはいられない。
このままでは、セツナは、黒き矛や眷属の力に飲まれ、自分を見失うのではないか。
かつてミリュウが逆流現象によって我を失いかけたように、彼もまた、黒き矛の力に魅入られてしまうのではないか。
「圧倒的……でございますね」
「でも、こんなのがいつまでも続くわけない」
「ああ……そうだな」
機関室にいるだれもがセツナの闘争に見入り、その戦いの行き着く先に不安しか感じていなかった。
それはそうだろう。
セツナはいま、確かに圧倒的だ。なにやら進化したかのような完全武装状態は、以前にも増して凶悪で強力無比だ。さながら悪魔そのものの如き戦いぶりは、神々さえ手のつけようがないといったところだった。神人など、障害にすらならない。飛行するセツナと掠っただけで吹き飛ぶ神人の肉体を目の当たりにすれば、いまのセツナがどれほど圧倒的なのかもわかろうというものだ。
神属さえ、手玉に取っている。
だが、それもいまだけだ。
彼は、人間なのだ。
人間には限界がある。神のように無尽蔵に近い力を持っているわけではないのだ。限界がきたとき、それが彼の敗北のときだ。
いまは一方的なまでの攻撃を受けながら、むしろ一方的に神々を薙ぎ倒しているが、それもいつまで持つものか。
ファリアは、セツナがいずれ力尽きるのを見守らなければならないという事実に絶望に近い感情を抱いていた。
「さすがは……セツナだ」
神皇は、恍惚とした様子でいった。
超大型飛翔船シウスクラウド中枢、神皇の座の壁面に展開された幻光幕には、周辺空域で発生した戦闘の様子が映し出されている。
幻光幕とは、いわば映像媒体のようなものだ。飛翔船が捕捉した外部の様子を映像として映し出す機能であり、すべての飛翔船に備えられている。幻光幕には、外部映像を出力するほか、記録した映像を出力することもでき、様々な利用法があるが、いまはどうでもいいことだ。
重要なのは、周辺空域での戦闘が、この船団の旗艦ともいうべきシウスクラウド号にまで及ばないかということであり、その確信が持てない以上、常に緊張していなければならないという事実だ。いつ何時、彼がこの船に迫ってくるかわかったものではない。ディナシアやイルトリが出向いた以上、大事に至ることはないとは想うのだが、常に最悪の事態を想定しておくのは必要なことだ。でなければ、いざというとき、対応できなくなる。
幻光幕に映し出されているのは、セツナの戦いぶりだった。まさに圧倒的という言葉が相応しい戦闘は、人間が神を相手にしているという前提情報がなければ、神々の闘争と勘違いしてもおかしくはなかった。それほどまでにセツナの戦いぶりは極まっていた。少なくとも、ヴィシュタルが以前、リョハンの地で遭遇したときの彼とは別人といっていい。
いや、セツナ本人なのは間違いないのだが、別人といってもいいくらい強くなっていた。
彼自身の成長もあるだろうが、それ以上に黒き矛の力をさらに深く引き出せるようになったことが大きいのだろう。セツナがどれだけ成長しようとも、人間である以上、そこには限界がある。人体の強度は上げられないし、皮膚は容易く裂け、骨は軽々と折れるものだ。人間の生身では、神に敵うわけもない。根本からして作りが違うのだ。
だが、セツナはいま、神々を相手に大立ち回りを演じながら、圧倒的な強さを誇っている。
それは、彼が黒き矛こと魔王の杖の護持者であり、その力を引き出すことができているからだ。
神の敵対者たる魔王の杖の力ならば、神々にも対抗できる。
人間の力には限界があれど、魔王の力には限界がない。
セツナが成長すればするだけ、魔王の杖はその力を発揮することだろう。神々を滅ぼし、世界を滅ぼし、百万世界を暗黒の深淵に突き落とすほどの力だ。その一部でも発揮できれば、彼に敵はいなくなる。
ヴィシュタルは、しかし、不安を覚えずにはいられない。その限界なき深淵の力は、いつか彼の身を滅ぼすのではないか。それは、いまの彼の戦いぶりを見る限り、的中すると想わざるを得ないのだ。
「敵を褒めて、よろしいのですか?」
「彼に斃されたものなど、所詮はその程度だったということだ。いまここで彼に敗れずとも、いずれどこかで敗れていただろう」
神皇は、神将の苦言を一蹴しながらも、幻光幕を食い入るように見ていた。
神皇にしてみれば、かつて憧れた英雄が再びそのあざやかな戦いぶりを見せつけてくれているのだ。興奮するのも当然だろうが、神将たちにして見れば面白くないのも確かだろう。セツナによって、ネア・ガンディアの戦力が削り取られているのもまた、事実なのだ。
「なに、心配はいらぬ。いまの彼では、わたしには勝てない」
神皇の断言は、神将たちの心を落ち着かせるには十分だったし、ヴィシュタルもまた、その静かな迫力に平伏せざるを得なかった。
神々の王たる獅子神皇の前では、神将も獅徒も等しく小さな存在なのだ。