第二千六百五十三話 魂、燃え尽きるまで(六)
「随分と、遅かったじゃあないか」
聞き知った声が降ってきたのは、唐突だった。
万を越える神人、神獣、神鳥が周辺空域の飛翔船から飛び立ち、セツナを包囲し始めたちょうどそのときだった。声は、頭上から聞こえた。女神戦争を終わらせた張本人たる、セツナの父親の顔をした男神。その声は、記憶の奥底から呼び覚まされたセツナの父親そのものだ。振り仰ぎ、睨み付ける。
「待ちくたびれて……黙殺されたのかと想っていたよ」
やはり、その男神は、在りし日のセツナの父親の姿をしていた。髪が黒いだけならばまだしも、目まで紅く染めているのは、そこまでしなければセツナの父親になりきれないという拘りからなのだろう。黒い装束を身に纏い、虚空に浮かんでいる。
「おまえは……!」
「わたしに対してそのような口の利き方をするのは、感心しないな」
「知ったことか!」
叫び、羽撃く。一対の悪魔の翼と二枚の黒き翅によって一瞬にして最高速度に達し、黒い男神に肉薄したかと思いきや、セツナが振り抜いた矛は空を切り、斬撃が遠方の神人を切り裂いていた。さらにランスオブデザイアとアックスオブアンビション、ロッドオブエンヴィーの自動的ともいえる攻撃が数多くの神人や神獣を滅ぼす。セツナの怒りに突き動かされたように苛烈で激しい攻撃だった。力の渦が、神人たちの巨躯を容易く引きちぎり、露出した“核”を粉砕していく。
気配を追って振り向けば、黒い男神は、悠然と空中に浮かんでいた。その背後から無数の神鳥が物凄まじい勢いで飛来してくるのがわかる。
「おまえは! 俺の父さんでもなんでもねえだろ!」
矛を翳し、力を解き放つ。黒き穂先が白く膨張し、噴出するのは破壊の光の奔流。男神の体を透過するようにしてセツナに殺到した神鳥の群れは、彼が横薙ぎに振り回した矛の切っ先より迸った“破壊光線”に薙ぎ払われ、尽く消滅した。“破壊光線”の威力も、限りなく高まっている。
だが、これでは奴を斃せない。
「ははは、やはり、素晴らしいな。素晴らしい力だ」
声を振り返る。男神は、こちらを見て笑っている。その様子がセツナの怒りをただひたすらに熱していく。ただでさえ怒り狂っているというのにだ。もはやセツナは、自分を制御できなくなっていた。
「その力があれば、神皇陛下の夢を叶えることも容易かろう」
「神皇陛下だと!」
「そうだ、セツナ。わたしとともに獅子神皇レオンガンド・レイグナス=ガンディア陛下の為に尽くそうではないか。それこそ、ひとの道理というものではないかな?」
「道理……?」
男神を睨み据えながら、セツナは周囲に出現した気配が発する圧力に眉を潜めた。これまでの敵とはそれだけで格が違うことがわかる。神人や神獣ではなく、神だ。セツナを包囲するように展開した周囲の飛翔船の数々から無数の神々が出撃してきたのだ。
「そう、道理だ。おまえは陛下に忠誠を誓ったはずだ。陛下の覇道に力を尽くすと約束して見せたはずではないのか?」
「なにを……」
いっているのか。
セツナは、男神の言葉を聞きながら、なにも考えられなくなっている自分に気づいた。周囲には、多数の神が出現している。光背を背負い、金色に輝く瞳を持つものたち。その存在感、威圧感は、神人や神獣の比ではなかったし、人間に身を窶した男神とも迫力が異なるものだった。ネア・ガンディアの皇神たち。かつて至高神ヴァシュタラの一部だった数多の神々だ。その力は、ナリアに比べれば遙かに小さいが、それはナリアと比べるからであり、個々の力は、人間とは比較にならないほどに強大だ。通常、人間が神に敵うことなどありえない。
そんな神々が無数に出現し、セツナの前後左右上下を覆い尽くさんばかりに布陣したのだから、セツナもそちらに意識を向けざるを得ない。
(百か)
ザルワーン島上空の船団には、二百以上の神々の気配を感じるとマユラ神はいっていた。その半数ほどがセツナを迎撃するために動員されたということだろうが、だとすれば、過大評価も甚だしいのではないか、と想わざるを得ない。
(いや)
胸中、頭を振り、顔を上げたとき、セツナは、自分が狂暴な笑みを浮かべていることに気づいた。
「いいぜ、相手になってやる!」
吼え、羽撃いた瞬間、数多の光芒が一瞬前までセツナがいた空間を貫いた。が、そのときにはセツナは上空へ至り、多腕の神に斬りかかっている。六本腕の男神は、それぞれの腕に得物を持っていた。金色に輝く神々しい武器の数々で黒き矛の一撃を受け止めた神は、冷ややかな表情でセツナを見据えた。飛び退く。他方から飛来した鎖がセツナの眼前を通り過ぎ、頭上から熱を感じた。さらに引き下がれば、大火球が視界を紅蓮に灼き尽くす。神々はおよそ百。それらが見事なまでに連携しているのだから、セツナの攻撃する機会など、ほとんどない。
だが、戦える。
セツナは、確信を持った。完全武装状態は、以前にも増して強化されていた。まるでセツナの肉体や精神に馴染み、魂との同調を深めているかのようであり、実際に、だからこそ完全武装状態は進行していた。進行。そう、進行だ。マスクオブディスペアの能力によって生み出された闇の腕に握られていたランスオブデザイアは、いつの間にか、悪魔の尾の如く変化していた。つまり、臀部から伸びた漆黒の尾、その先端がランスオブデザイアの穂先となり、近づくものを自動的に攻撃するのだ。
セツナは、それがどういうことなのか、深く考えることもなく理解した。なんとなく、だが、わかるのだ。それが完全武装。黒き矛と六眷属の完全なる融合。いまはまだ、完璧とはいえない状態だということにほかならない。だが、並の神を滅ぼすには、この状態でも十分なはずだ。
「哀しいぞ、セツナ。おまえは、我々と敵対する必要はないのだ。おまえは、陛下の忠臣。陛下にとっての英雄ではないか。おまえが刃を振るうたび、おまえが我々と敵対するたび、陛下がどれほどお心を痛め、哀しんでおられるか、想像したことはないのか?」
「戯れ言を!」
セツナは、もはや父の姿を偽る神の言葉などに聞く耳を持つつもりもなくなっていた。神々の猛攻を回避し、あるいは捌き、あるいは受け止めながら、攻撃の機会を窺うには、男神の言葉にいちいち反応している暇はない。それはきっと、男神の策略だ。セツナの油断を誘い、味方にセツナを仕留めさせるための罠に過ぎない。それがわかるから、セツナは燃えたぎる怒りの赴くまま、視界に映る神に飛びかかり、黒き矛を叩き込むのだ。
神々の攻撃は、間断なく続いていたし、苛烈で凄まじいとしかいえないようなものだ。そんな暴威ともいえる攻撃の中を潜り抜けられるのは、完全武装状態だからであると同時にその力をさらに引き出せるようになったからにほかならない。飛行速度が上がり、防御障壁の硬度も上がっている。攻撃の威力も、高まっている。黒き矛の斬撃は、神の腕を容易く切り落とし、神を愕然とさせた。
防戦一方ではないのだ。
回避に専念しつつも、見出した好機を逃すセツナではなかった。
神々の一糸乱れぬ連携も、同胞を巻き込まないように注意しなければならない以上、必ずどこかに隙が生まれる。その隙がどれだけ一瞬のものであっても、見逃すセツナではなかった。一秒に満たないわずかな時間がセツナに攻撃の機会を与える。そして、その攻撃は神にとって致命的なものになりかねない。黒き矛の攻撃は、一撃が凄まじい。神の肉体を容易く切り裂き、軽々と突き破る。もはや、矛を受け止めても無駄だ。強引に押し切り、武器ごと胴体を両断して見せる。
そうして、神を一体、二体と斃していく中でセツナは、黒き矛の歓喜の声を聞いた。
神の敵対者たる魔王の杖には、この状況ほど喜ばしいものはないのだろう。
セツナもまた、その歓喜に同調し、吼えた。
ザルワーン上空を地獄に変えてやろう。