第二千六百四十九話 魂、燃え尽きるまで(二)
つぎの目的地がザルワーン島だということを知ったのは、つい先日のことだ。
ファリアを始め、船の仲間たちは、いずれも、この船がつぎにどこへ向かうのか、想像だにしていなかったし、ましてやザルワーン島に戻ることになるなど、想ってもいなかった。無論、セツナがいまもなおガンディアに忠誠を誓っていることは理解している。帝国での役割を終えたのだから、仮政府の本拠地であるザルワーン島に戻るのは、理屈から言えば当然のことなのかもしれない。
ファリアたちがセツナと合流したとき、セツナが帝国本土を目指していたのは、西ザイオン帝国との契約があったからだ。セツナたちに船を貸し出してくれた大総督ニーナ・アルグ=ザイオン、海軍大将リグフォード・ゼル=ヴァンダライズへの恩返しでもある。その契約は、南大陸における東西紛争の終結によって、終えた。そして、予期せぬ女神戦争への参戦と死闘の果て、大いなる女神ナリアを打ち倒すことが出来たのは僥倖というべきなのかどうか。
いずれにせよ、帝国における契約以上の働きを終えた一行は、旅のつぎの目的地を考えることになったのだが、それがザルワーン島であると定めたのは、セツナだ。
そして、そのとき、セツナは、ようやくファリアたちに隠していたことを話してくれたのだが、それは驚くべき内容だった。
ナリアはセツナによって討ち滅ぼされたのではなく、滅びの寸前、突如現れた第三者の神によって取り込まれたというのだ。神が神を取り込むことなどできるのか、という疑問については、マユラ神が認めたことで解消されたものの、それにしたって信じられない話であるとともに、セツナがなぜいままで黙っていたのか、という疑問も湧いた。
『勝利に沸き立つところに水を差したりなんてしたくないだろ』
ナリアが消え去ったのは事実だから、とも彼はいった。
セツナの言い分は十二分に納得できるものではあった。実際、あのとき、すべての決着がついたと想った矢先にナリアが別の神によって取り込まれた、などという発言がセツナがしたとすれば、だれもが勝利の余韻に浸ってなどいられず、帝国も不安を抱えたままだったかもしれない。ナリアのこともあり、すべてにすっきりと決着が付いたわけではないにせよ、あの戦いは、あのまま終わらせておくべきだったのだ。
そして、そのとき現れた神がセツナに告げたことが、ザルワーンの情勢に関するものであり、セツナは、長い眠りからの覚醒後、すぐにでもザルワーン島に飛び立ちたかったようだが、ニーウェハインの説得により、まずは体力や精神力の回復を優先することにしたようだった。
その話を聞いて、ファリアたちが真っ先に想ったことは、ニーウェハインへの感謝だった。ニーウェハインがセツナを説得してくれなければ、彼は回復も待たずに飛び出し、結果、心身に多大な負担をかけたことだろう。それがどのような事態を招くのか、想像もつかない。良い方に転ぶことだってあるだろうが、悪い結果に結びつく可能性のほうが高い、と、ファリアたちは見ている。
「セツナってば、本当無茶ばっかりするんだから……たまには反省して欲しいわ」
ミリュウの嘆息が大きく反響する。彼女がいかにセツナのことを愛し、心配しているのかが伝わってくるようであり、ファリアも同調せざるを得なかった。
ウルクナクト号上層は、大浴場。船内の浴場というにはとても広い空間の中に、ファリア、ミリュウ、エリナ、シーラの四人がいた。浴槽も広く、女性陣全員が一緒に入っても問題がなく、おそらくそこに男性陣を足したとしても余裕があるだろう。もちろん、男性陣との混浴を企画するものなど、だれもいないが。
浴槽の縁にもたれかかりながら、シーラがうなずく。
「まったくだな。ひとの気も知らないでさ」
「お兄ちゃんは、頑張ってるよ……」
「そりゃあ、わかってる。だれもあいつが頑張ってねえなんていってねえし、想ってもいねえよ。むしろさ」
「頑張りすぎなのよ、セツナ」
エリナのいいたいこともわからないではないが、だからといってすべてを肯定し、受け入れたくはなかった。わかってはいる。理解してはいるのだ。敵は、神属だ。人間とは比較にならない力を持つ存在であり、セツナがすべての力を注ぎ込まなければならない相手だということくらい、わかりきっているのだ。ファリアたちが命を賭けて戦った分霊ですら、本体とは遠く及ばななかった。その本体とたったひとりで渡り合い、戦い続けたのがセツナだ。セツナがいなければ、戦線は容易く崩壊し、統一帝国軍は壊滅の憂き目を見ていたことだろう。
それは、わかっている。
だが、理屈ではわかっていても、心情としては納得したくないという想いもまた、存在するのだ。
ファリアにとって、セツナは、この世にふたりといない最愛のひとだ。だれよりも失いたくなかったし、彼を失うくらいなら死ぬほうが増しだと想っている。その想いは、この場にいるだれもが持っていることだ。ミリュウだってそうだし、シーラだって、エリナだって、そうなのだ。皆、セツナを愛し、必要としている。だからこそ、セツナには、休めるときには休んで欲しいし、無理をしないでもらいたいと想うのだ。
「わかってるわよ。セツナじゃなきゃできないことがあるってことくらい。でも、それでもさ、あたしだって、なにかできるでしょ。あたしたちにだって、手伝えることはあるわよね?」
ファリアは、不意にミリュウに詰め寄られて、その上気した顔を見つめた。わずかに汗が滲んでいるのは、浴槽に満たされた温水の温度のせいだろう。決して熱すぎることはないが、温くもないのだ。ちょうどいい温度、というべきか。その透明な温水の中、ミリュウは当然一糸纏わぬ姿で、なんの遠慮もなくファリアに迫ってきていた。
「ええ。先の戦いだって、十分に役割を果たせたと想うもの」
「ああ。間違いなくな」
「うん!」
「そうよね……うん、そうよ。これからだって、あたしたちが支えていけばいいのよ。ひとりじゃないわ。あたしたちも、セツナも。ひとりじゃないの」
「ええ、そうね。ひとりじゃない」
ファリアは、肩に頭を乗せて甘えてくるミリュウの頭を撫でながら、彼女の気持ちを肯定した。
「皆がいるわ」
それは、セツナ自身だったわかっているはずだ。だからこそ、女神戦争では全員を信じ、送り出してくれた。個々の実力を信じ、勝利を信じたからこその作戦だった。もちろん、危機に陥ればマユリ神が助けてくれるだろうという信頼もあっただろうが、それ以上にファリアたちを信じ、頼ってくれたという事実のほうが、強く、大きい。
だからこそだ。
だからこそ、セツナには、今後も自分たちを信じ、大いに活用して欲しいと想う。
戦いを終え、十日もの間眠りについていたセツナのことを思い出せば、そういう考えに至るのは自然だろう。だがしかし、彼女たちの想いは、そう簡単には結実しなかった。
『聞こえるか、諸君。緊急事態だ』
突如、浴場内に響き渡ったのは、通信器を通して届くマユラ神の声だった。マユラ神の発した緊急事態という一言にファリアたちが目を見合わすと、マユラ神はさらに、驚くべきことを告げてきた。
『今し方、進路上に敵船団を捕捉した。ザルワーン島上空にだ』
「なんですって!?」
浴場内が騒然となる中、通信器を通した声は淡々と続けてくる。
『セツナだけでも機関室に来たまえ。方針の確認がしたい』
「あたしたちも行くわよ!?」
「ええ」
ファリアは、ミリュウがすぐさま湯船を飛び出す様を見遣りながら、立ち上がった。
セツナに対し、ナリアを取り込んだ男神が告げたのは、ザルワーン島の情勢が云々という話だ。ザルワーン島に緊急事態が訪れている可能性は、決して低くはなかった。故にこそ、セツナは覚醒後、即日ザルワーン島に向かおうとしたのだ。
あのとき、ニーウェハインの説得に応じず、真っ先にザルワーン島に向かうべきだったのか。
(いいえ……)
きっと、違う。
セツナは、十日も眠っていたのだ。もし、覚醒後、ザルワーン島に直行していたとしても、状況に変化はなかっただろう。
ファリアは、そう想うことで心の安息を得ようとする自分が嫌になった。
結局、なによりもセツナの無事を優先しているのだ。