第二百六十四話 獅子の尾
「俺、倒したんですよ。敵の武装召喚師を」
ふと、ルウファが昨夜のことをいってきた。
ザイン=ヴリディアとの死闘について、セツナは詳しく知っているわけではない。だが、彼が苦境に追い込まれたのだということは、その姿を見れば一目瞭然だ。
「ああ、聞いているよ。よくやったと想う。凄いよ、本当に」
セツナは、実感を込めて、いった。ファリアの情報によれば敵武装召喚師は皆、ザルワーンの武装召喚師養成機関・魔龍窟出身だという話だった。ミリュウ=リバイエンも、クルード=ファブルネイアも、ザイン=ヴリディアも。ミリュウと戦ったセツナには、魔龍窟の武装召喚師の実力というものが実感として理解できたのだ。ミリュウが三人いたと思えばいい。凄腕の武装召喚師だ。武装召喚術のみならず、体術も、技量も凄まじい物があった。
そのうちのひとりを、ルウファはたったひとりで撃破したのだ。
ルウファが、じっとこちらを見上げている。瞳が、揺れた。
「隊長……俺、隊長のその言葉が聞きたかったんだ」
感極まったかのようなルウファの反応に、セツナは、どんな顔をすればいいのかわからなかった。彼がそこまで喜んでくれるとは思いもよらなかったのだ。いつもの彼なら、軽く笑って受け流しただろう。彼は両目に大粒の涙を浮かべているのだが、その表情は彼らしからぬものだといえる。が、それがルウファの本心ならば、こんなに嬉しいことはない。素顔を見ることができたということにほかならないから。
セツナは、はにかみながらいった。
「大袈裟だよ」
「いや、でも、俺、これでやっと王宮召喚師と名乗っても恥ずかしくないのかなって思えましたし、隊長にも認めてもらえたと想うと……」
ルウファは右腕で涙を拭うと、照れくさそうに笑った。
セツナは頭を振る。
「俺はずっと、認めていたよ」
「え?」
「ルウファもファリアも、俺よりずっと凄い武装召喚師じゃないか。俺はただ召喚武装の力に頼っていただけの素人なんだ。それなのに、ふたりは文句もいわずに隊長、隊長といってくれる。認めてもらうために頑張らなきゃいけないのは、俺のほうなんだ」
セツナは、思い切り本音をぶちまけた。思っていることを正直に言葉にすることは、恐怖を伴うものだ。自分をひた隠しにして生きてきた。この世界にきて、ファリアを始め、たくさんのひとと出逢い、ようやく自分というものを外に出せるようになってきてはいたが、いまでも躊躇してしまうことがある。その言葉を口にして、傷つけてはしまわないか、嫌われるのではないか、そんなことばかりが胸中に渦巻き、セツナの思考を圧迫するのだ。踏み出した後、後悔することも少なくはなかった。
気が付くと、ルウファの目が微笑んでいた。
「隊長こそ、なにをいっているんですか? 隊長はこれまで散々頑張ってきたじゃないですか。いまさら、認めるもなにもないですよ」
「そうですよ。隊長はどっしり構えていればいいんです。隊長の戦果に口出しできる奴なんてガンディア軍にはいませんからね」
「でも、俺は……」
セツナは、ふたりの励ましを嬉しく想う反面、彼らの言葉に応えるだけの実力を欲した。確かに、ルウファの言うとおり、これまで散々頑張ってきたつもりだ。右も左も分からない世界で戦い抜いてきた。黒き矛頼りではあったが、とにかく、いわれるまま、命じられるままに敵を殺してきた。何百、何千の敵兵を殺した。昨夜だけで千人以上の敵兵を殺戮したのだ。普通の戦果ではない。ファリアがいったように、だれにも口出しなんてできはしないだろう。
だからこそ、セツナ=カミヤは、ガンディアの黒き矛と称えられ、王宮召喚師、王立親衛隊《獅子の尾》隊長に選ばれた。しかし、それらはすべて黒き矛の力のおかげなのだ。黒き矛がなければ、セツナにはなにひとつ成し遂げられなかった。そして、黒き矛の力はもっと巨大で凶悪だということが、ミリュウとの戦いで判明してしまった。
それは、セツナがもっと力を引き出せていれば、さらなる戦果をガンディアにもたらせていたということであり、ファリアやルウファが黒き矛を用いれば、セツナ以上の活躍が見込めるということでもある。セツナが黒き矛を召喚し、彼らに貸し与えれば、昨夜の戦闘も一瞬でケリが付いたかもしれない。
セツナは、黒き矛を召喚するだけの存在になればいいのではないか。
黒き矛の召喚師になってしまえばいい。
そうすれば、彼自身は戦う必要はなくなる。殺し合いをすることも、返り血を浴びたり、臓物が飛び散る瞬間を目撃することもなくなる。数多の死を感じ取る必要も、化け物と恐れられ、忌避される理由もなくなるのではないか。
それはそれで、楽な人生かもしれない。
もっと楽になるには、黒き矛を召喚した後に殺されるということだ。たとえセツナが死んだとしても、黒き矛はこの世界に残り続けることになる。ルクスのグレイブストーンのように、だれかの代名詞として使われ続けることになる。
そこまで考えて、セツナは頭を振った。
(逃げてどうするんだよ……! 俺の馬鹿野郎)
強くなると誓ったばかりではないか。もっと上手く使いこなし、黒き矛の主として相応しい人間になるのだと思ったばかりではないか。セツナは自分の心の揺れやすさに情けなくなりながら、静寂を感じた。
ルウファも、ファリアも、セツナの言葉を待っている。
「いいのかな、俺はこのままで」
「もちろんですよ。いまだって、毎日訓練しているじゃないですか。向上心を持って前に進もうとするものを笑う人間なんていませんよ。少なくとも、我が隊には、ね」
日課の訓練に言及されて、セツナは、気恥ずかしさを覚えた。熟練の武装召喚師のふたりからすれば、子供の遊びのようなものかもしれないと思わないでもないのだ。だが、ルクスに言い付けられた通りの訓練を繰り返しているうちに、体力がついてきたのも確かなのだ。このまま続けていれば、間違いなく肉体は、黒き矛の行使に耐えうるものになっていくはずだ。ルクスも、そうやってグレイブストーンの使用に耐えられる体を作っていったというのだ。武装召喚師ではない彼を師匠としたのは正解だったということだ。
「副長の言うとおりですよ。昨夜だって凄かったじゃないですか。ミリュウが意識を失うほどの召喚武装をふたつも同時に扱って、平然としていられるんですもの。ミリュウだって驚いていましたよ」
「ミリュウが?」
セツナは、目が覚める想いでファリアを見た。ファリアは、セツナの反応に驚いたようだった。複雑そうな目つきで、こちらを見返してくる。
「え、ええ」
「そうか……」
セツナの脳裏を駆け抜けたのは、夢での一幕だ。カオスブリンガーを嫌々ながらも名乗る、漆黒のドラゴンの言葉。
『ミリュウ=リバイエンは、俺に触れたがために己を見失った。結果、おまえは生き延びた』
ドラゴンの言葉が真実ならば、セツナはカオスブリンガーを制御できているということになる。制御できているからこそ、自分を見失わないのだということだ。黒き矛を手にしたセツナが意識を失うのは、いつだって疲労と消耗からであり、矛の力に飲まれて気を失ったことはなかったはずだ。
「ど、どうしたの? わたしの顔になにかついてる?」
「いや……」
セツナは、ファリアがなぜかぎこちない微笑を浮かべるのを眺めながら、一方で、ドラゴンとミリュウの影を脳裏に追っていた。黒き矛の力をセツナ以上に引き出し、その絶大な火力を見せつけてきたザルワーンの武装召喚師。彼女は戦いの最中、セツナを終始圧倒し続けたものの、あと一歩というところで意識を失った。ドラゴンの言を借りるなら、カオスブリンガーに触れたが故に意識を失ったということだ。
しかし、セツナはそういう事態に陥ったことはない。本物と偽物、二本の黒き矛を手にした時でさえそうだ。多大な情報が流れ込んできたし、一瞬、自分を見失いかけた。が、すぐにすべてを把握した。二本のカオスブリンガーによって拡張された五感がもたらす情報量の多さに戸惑うことはあっても、困ることはなかった。むしろ、積極的に利用した。ファリアやルウファの無事を確認し、戦場を把握するために大いに活用したのだ。
力に酔ったことは何度もある。敵を蹂躙することに快感を覚えたことだって、当然あった。皇魔の群れを蹴散らし、雑兵を殺戮する瞬間、得も言われぬ感覚に襲われ、高揚感に苛まれるのだ。それは決していい兆候ではない。いまはまだ敵味方の区別が付いているとはいえ、力に惑溺すれば、それさえもわからなくなるかもしれない。いや、わかっていても、味方もろとも攻撃してしまいかねない。攻撃すれば最後、絶命させてしまうに違いない。
カオスブリンガーは、おぞましいばかりの力を秘めている。それこそ、セツナのような子供が手にするべきではないような力だろう。それはずっと前からわかっていたはずだ。理解していたはずだ。認識していたはずなのだ。だが、それらの認識を改める必要が出てきた。
ミリュウが黒き矛の力の一端を見せつけてきたとき、そして二本の黒き矛を手にしたとき、セツナは、カオスブリンガーに秘められた力の大きさを再認識したのだ。セツナが制御し、振り回している力など、カオスブリンガーにとっては大したものではなかった。そんなものに恐れ慄いていた自分が馬鹿らしくなるくらいに。もちろん、これまでセツナが扱っていた力も十分に強い。分厚い城門を破壊し、敵陣を圧するほどの力はあった。しかし、ミリュウに見せつけられたのは、それらを遥かに上回る可能性であり、二本の矛は、力の行き着く先を示すかのようだった。
呆然とする。
いまのいままで、そんな力をなんの考えもなしに振り回していたのだということに気づく。黒き矛を振り回し、敵を倒すことしかできないのだから当然だったのかもしれないが、だとしても、もう少し考えてしかるべきだったのではないか。
「あ、あのー。俺のことは?」
おずおずと声をかけられて、セツナは、はっとなった。自分が周りを置き去りにして思索に耽ってしまっていたことに気づき、慌てて謝る。
「あ、ああ、ごめん。すっかり忘れてた」
「ひどいっすよ、隊長」
愕然とするルウファに、ファリアの笑い声が重なった。
「大勝利を上げても、副長の扱いは変わらないってことね」
「そんなあ」
寝台の上に寝転んだままだったが、彼が肩を落としたのはセツナにもわかった。意気消沈といった反応だったが、ファリアの冗談だということは理解しているだろう。
「はは、ルウファの気持ちはわかるよ。でも、これ以上無理はさせたくないな」
「無理はしませんってば」
「無茶をするのは隊長の特権ですものね」
どこか刺のある言い様にセツナはぎくりとした。隣を見ると、澄まし顔のファリアがこちらを見つめていた。仕方なしに肯定する。
「まあそういうこと。というわりには、ファリアだって相当無茶をしたようだけど?」
「ファリアさんって、俺より重傷に見えるんですけど」
ルウファが心配そうにいうのもわからないではない。ファリアは、顔面にも火傷を負っていて、一見すると、ルウファ以上の深手を負っているように思えた。服の下は包帯まみれらしく、動きにくい上、蒸れてかなわないというのが彼女の意見だったが。
「傷の深さでは君には及ばないわよ。本当、たいしたことなんてないんだから」
ファリアが、嘆息するように告げた。戦闘が終わってからというもの、同じようなことを何度もいわれてきたのかもしれない。
もっとも、ルウファは納得してはいないようだったが。
「そうですかねえ」
「ファリアだって、ゆっくり療養してくれていいんだけどね」
ビューネル砦へ辿り着くまで、戦闘行動に入る予定はないのだ。敵軍が攻めてくるようなことさえなければ、じっくりと休むことができる。
「だから、大丈夫だっていってるでしょ。ほとんど、自分でつけた傷なんだから」
「自分で?」
「そうしなければ相手を出し抜けなかったって話よ」
彼女は、包帯を巻きつけられた手のひらを見つめながら、自嘲するようにいった。どんな方法で出し抜いたのかまでは不明だが、ファリアの発言から、敵武装召喚師の実力が窺えるというものだ。ファリアに自分を巻き込ませる覚悟をさせるほどの相手。
ファリアといえば、セツナの中では優れた武装召喚師という印象がある。彼女の戦いぶりは何度となく見てきたものだが、身体能力も召喚武装を用いての戦闘技術も、セツナの遙か上を行っていた。セツナが彼女よりも多大な戦果を上げることができているのは、カオスブリンガーとオーロラストームの性能差に過ぎないのだ。
「クルード=ファブルネイア……か」
セツナは、光の槍を手にした白髪の男を思い浮かべながらつぶやいた。すると、ファリアが小声で訪ねてくる。
「彼は、セツナの元に向かったみたいだけど、どうなったか知ってる?」
「クルードは、死んだよ。多分、ファリアとの戦いで致命傷を負っていたんだ」
「やっぱり、そうなのね」
「うん……」
うなずきながら、彼の最期を思い出す。ミリュウ=リバイエンの無事だけを祈り、死んでいった男。セツナは、彼にミリュウのことを託されてしまった。勝手な話だ。ひとりで勝手に盛り上がって、勝手に託してきたのだ。セツナにしてみれば知ったことではない。無視しても構わないはずだ。そもそも、ミリュウの扱いに関して、セツナが口を挟めるはずもない。
確かに、セツナの立場は西進軍の中でも特殊だといえる。王宮召喚師にして、王立親衛隊《獅子の尾》隊長。国王直属の存在であり、王と彼の間にはなにものも入り込む余地はない。たとえ西進軍の中にあっても、その立場が揺らぐことはない。が、かといって、特別な権力があるわけでもない。彼の一言で、ミリュウの待遇が変わるはずもないのだ。
もっとも、クルードの発言がセツナの立場を鑑みてのものとはとても思えないが。
彼がガンディアの内情に精通しているとは考えにくい。クルードがセツナに託してきたのは、目の前にいたのがセツナだったからに違いない。例えば、彼の目の前にいたのがファリアならファリアに、ルウファならルウファに託したことだろう。もし、彼がミリュウのことをファリアに託していたならば、事情も少しは変わったかもしれない。彼女ならば軍団長や将軍に話を通すことくらい簡単にやってのけそうだった。
(ファリアなら……な)
セツナは、横目でファリアを見た。彼女は、自分の右手を見つめている。結果的に、クルードを死に追いやったということを思い、考えこんでいるのかもしれない。
「じゃあ、ファリアさんも大金星じゃないですか!」
ルウファが発した大声にびくりとする。
ファリアは一瞬戸惑ったようだが、すぐさまにやりとした。
「《獅子の尾》の副長と隊長補佐が敵武装召喚師を撃破するという快挙を成し遂げたわけね。あれ、隊長様は?」
「俺は敵軍を壊滅させただろ」
セツナが口を尖らせると、ルウファもファリアも大いに笑い、同時に苦痛にうめいた。セツナも、痛みの中で笑うしかなかった。
戦闘の苛酷さも、無残さも、辛さも、激しさも、仲間との触れ合いが忘れさせてくる。
セツナは、ふたりがいるから戦えるのだと、改めて思い知ったのだった。