第二千六百四十八話 魂、燃え尽きるまで(一)
南ザイオン大陸を離れたウルクナクト号は、一路、ザルワーン島を目指していた。空の旅。邪魔するものはなにもなく、ウルクナクト号内部も穏やかなものだった。
ただひとり、セツナの心中を除いては。
セツナは、南大陸を飛び立って以来、嫌な胸騒ぎを感じていた。ナリアとの死闘、その結末を夢に思いだしたからだろう。夢の終わり、セツナの父と同じ顔をした神は、いった。
『ザルワーンの情勢が気がかりなら』
そのようなことを告げた神は、まるでセツナを試すような表情をして、消えた。
夢から覚めたとき、全身が汗でぐっしょり濡れていた。嫌な汗だ。そして、悪い夢だ。ザルワーン島でなにが待ち受けているのか。少なくとも、あの神とも関係のあることに違いないが、あの神がナリアとの戦いの経過を見守っていたと考えると、あの神が直接関与していることではないだろう。あの神が属する勢力、組織によるなんらかの行動と考えられる。そして、神が属する勢力や組織など、限られているということに思い至れば、あの神がなにものなのかも想像が付く。
ネア・ガンディア。
おそらくは、あの神もネア・ガンディアに所属しているのではないか。
ナリアのことを知っていたのだ。皇神に違いなく、皇神ならば、二柱の大神以外の神々はすべて、ヴァシュタラへと統合されていた。“大破壊”後、ヴァシュタラはどの結合を解き、神々は本来の在り方に戻ったという。海神マウアウや闘争神ラジャムがそれだ。おそらく、あの神も、ヴァシュタラから分離した神の一柱であり、ネア・ガンディアに属しているのではないか。
マウアウ神やラジャム神のようにネア・ガンディアに属していない可能性も皆無ではないが、限りなく低いように想う。でなければ、ザルワーンの情勢がどうこういえないのではないか。無論、あの神に協力者がいて、それがザルワーン島を攻撃しているということだった可能性もなくはないが。それならば、まだ安心できる。ザルワーン島には守護神がいる。
「あれだけの戦いのあとですぜ。もう少しゆっくりしていてもよかったんじゃないですかね?」
エスクの言い分ももっともだったが、セツナは頭を振った。訓練室の一角。訓練着に着替えたふたりは、それぞれ特殊素材の得物を手にしている。訓練着も特別製であり、織り込まれたマユリ神の力により、専用の得物による衝撃を吸収し、痛みを軽減してくれるという。それは以前にはなかったものであり、マユリ神がセツナたちのために提供してくれたものだ。
つまり、訓練施設も順調に進化しているということだ。
特殊素材の訓練用武器は、剣、槍、斧、短剣、棍、弓、と、多種多様取り揃えられており、訓練者は自分の愛用する武器と同じものを使えばよかった。セツナは、槍を手にし、エスクは剣を手にしている。いずれも黒塗りの武器だが、意匠も凝っている。そういうところで凝り性なのがマユリ神らしいといえば、らしいだろう。
「二十日だ」
「はい?」
「戦いが終わってから二十日以上も時間が経ってる。いくらなんでも休みすぎだろ」
「十日もの間眠っていた方がいうことですかねえ」
「なにがだ」
「それくらい疲労してたってことでしょ、大将」
「そうだが……もう回復した」
「どうだか」
「なんだと?」
「体のキレが戻っていませんぜ」
苦笑とともに忠告され、セツナはむっとなった。踏み込み、大振りに槍を振るう。足を払ったのだ。当然、エスクは反応する。わかりやすすぎるほどの攻撃だった。彼が軽く跳躍して槍の切っ先をかわした瞬間、セツナは、体をそのまま回転させながら前進し、エスクの懐に潜り込み、掬い上げるような一撃を放つ。エスクがにやりとした。槍と剣が激突する。互いに特殊素材の得物。音は、重く、響かない。エスクが剣の腹で槍を受け止めたまま、告げてきた。
「見え透いている」
「そうかよ」
透かさず屈み込んで足払いを仕掛ければ、エスクは飛んで足をかわし、大上段に剣を撃ち込んでくる。槍の柄で受け止め、そのまま回転させて絡め取るようにしながら、跳ね上がり、中空のエスクに肩から突っ込む。中空だ。さすがのエスクも避けられない。と、思いきや、彼はセツナの肩に両手を置くと、勢いよく頭上を飛び越えていった。振り返れば、宙に投げ出した剣を掴み取るエスクの姿に優雅さを見出す自分がいた。肩を竦める。
「素の身体能力でおまえに勝てるわけないだろ」
「そりゃあそうですが」
彼は困ったような顔をする。当たり前のことをいわれても、どうしようもない。彼の気持ちもわからなくはないが、しかし、事実だ。
身体能力において、セツナは、並大抵の人間には負けないだろうという確信がある。とにかく鍛え抜いた上、黒き矛や眷属の度重なる使用、完全武装の乱用は、あらゆる感覚、運動神経や反射の鍛錬にもなった。その上で鍛錬をかかさないのだから、常人ではまず敵わない。その上で、セツナはさらに人間の限界を越えることが出来るのだ。戦竜呼法と呼ばれる竜属独特の呼吸法は、身体能力を極限まで引き出し、人間の限界以上の運動性を発揮させた。
それでも、エスクには敵わない。
エスクは常人ではない。欠損した肉体を召喚武装によって補っているという、奇跡の産物というに相応しい人物なのだ。その身体能力は、ふたつの召喚武装を同時併用しているのと同じであり、それが常態化しているのだから、なんともいえない。
ただし、逆をいえば、彼ならば鍛錬の相手に申し分ないということでもある。
ファリアもミリュウも超がつくほどに優秀な武装召喚師であり、身体能力も極めて高い戦闘者だ。シーラは召喚武装使いとして、レムはただの人間ではないにせよ、戦闘者としては優れている。その点においてはなんの不満もない。とはいえ、セツナが本気で鍛錬しようとすると、多少なりとも不満を覚える相手なのは間違いなかった。たとえ召喚武装を用いずとも、戦竜呼法を用いれば、彼女たちはセツナについてこられないからだ。セツナの一方的な試合運びになる。唯一、レムだけはセツナの動きについてこられる上、“死神”を用いることで多対一の状況を作り出せるというのもあって、鍛錬相手に不足はないといえるのだが、しかし、本気でやり合うとなれば、エスクが好ましかった。
ウルクは、ありえない。
弐號躯体の魔晶人形であるウルクは、その機動力、戦闘力たるや凄まじいものであり、戦竜呼法を用いたセツナでも相手にならなかった。すべてが戦闘用に調整された躯体なのだから当然といえば当然であり、ウルクなりに手加減をしていても一方的な試合展開となることが多かった。しかも一撃が重く、訓練着でどうにかできるようなものでもないため、鍛錬としては有効ではなかった。
そのため、セツナは訓練用の機材を用いないときには、エスクとの試合形式の鍛錬を好んだ。
幻影投射機構も悪くはないのだが、生の人間と直接ぶつかり合うほうが学ぶことも多いという考えがセツナにはあった。
「大将に疲れが残っているのも、事実でしょう」
「……否定はしないさ」
告げて、槍を構え直す。エスクが観念したように剣を構える。訓練室内には、セツナとエスクのふたりしかいない。
ナリアとの戦闘は、長時間に及んだ。
その間、セツナは完全武装状態を維持し続けていた。維持し続けなければならなかった。少しでも解除すれば、その途端、セツナはナリアの力の餌食となっていただろう。完全武装状態は、神に対抗するためには必要不可欠であり、だからこそ、その負荷に耐えられる肉体と精神が必要なのだ。
あのとき、あれだけの長時間、完全武装状態の運用に耐えられたのは、セツナ個人の実力ではない。戦神盤を通して得られたマユリ神の加護や多様な召喚武装の支援によるところが極めて大きかった。
セツナひとりでは、女神ナリアとさえまともに戦えないということだ。
それでは、駄目だ。
ナリアは、数多に召喚された神々の中でも最高位の二柱だ。ほかの神々に比べれば、圧倒的な力を持っている。つまり、ほかの多くの神々は、ナリアほどの力も持っていないということだ。それは、ザルワーンやログナーでの戦いを思い起こせば、確信できる。
獅徒と神の融合体ですら、完全武装の敵ではなかったのだ。
完全武装状態に引けを取らなかったナリアが圧倒的に強かったということでもある。
だが、セツナは、納得しなかった。
もっと、力を。
一度、完全に敗北したという事実は、塗り替えられたいまも、心の奥底で怒りの炎となって燃え盛っている。