第二千六百四十七話 経過(二)
ワラル奪還作戦ともいうべき作戦行動は、ほぼすべて、アズマリア単独で行われた。
魔晶人形の躯体に宿っていることは、アズマリアに圧倒的な戦闘力を与えただけでなく、長時間の継戦力をもたらしていた。さらには召喚武装ゲートオブヴァーミリオンによる神出鬼没は、敵軍を大混乱に陥れること度々だったという。また、ゲートオブヴァーミリオンは、ただ移動手段というだけが使い方ではない。異世界とも繋がる門は、異世界から戦力を呼び寄せることも可能であり、アズマリアは異世界から召喚した戦士たちを手駒とし、戦力不足を補っていた。
かくしてナルガストを含むワラルの都市をつぎつぎと解放していったアズマリアは、ついにネア・ワレリアの奪還にも成功する。
聖王国軍の残党は、魔晶人形を始めとする魔晶兵器を拠り所とする軍勢であり、それら魔晶兵器が破壊されると、途端に統率を失い、戦意を喪失させていったという。魔晶人形も様々な魔晶兵器も、どうやらアズマリアの敵ではなかったようだ。それはアズマリア自身の実力というよりは、アズマリアが乗り移った魔晶人形の躯体の問題であるらしい。詳しいことはわからないが、魔晶人形にも様々な種類や違いがあるのだろう。
ともかくもワラルにとって救国の英雄となったアズマリアは、その不遜な態度からワラルの女王エリザに快く想われないながらも、救世主としての扱いを受け、その仲介人としての役割しか果たさなかったマリアにも感謝を示した。そして、約束通り、白化症の治療法研究の助力を惜しまなかった。
その一環が、研究施設・生命科学研究所の設立であり、研究員としてワラル有数の医学者をマリアの部下としてつけてくれた。さらには被験者や研究材料の提供もあり、マリアの研究は、一気に加速した。
それまでの情報収集により、純粋なワラル人が白化症を患った記録がなく、発症者、罹患者の存在も確認されていないことも判明していた。もちろん、白化症が発症するかどうかについては個人差があり、だれもが必ずしも発症するものではない。それならばとうに全人類が白化症を発症し、神人化していることだろう。だが、ワラルという国全体を見回して見ても、ワラル人には白化症発症者がひとりもおらず、聖王国人にはそれなりの数の発症者が確認された事実は、ワラル人に白化症に対するなんらかの力があるのではないか、と疑わざるを得ない。
古代図書館に見た月の神ワレリアの記録と、ワラルのかつての首都ワレリアに関連性を見出したのは、間違いではなかったのだ。
そして、それがただの妄想ではなかったことは、その後行われた度重なる研究と実験によって明確化する。
ワラル人は、神威へのある種の耐性を持ち、白化症を発症しないことが明らかなものとなったのだ。
白化症とは、神の力の発露たる神威に毒された生物の肉体に起きる症状のことだ。肉体が白く変異していき、やがて全身を蝕み、精神までも異常を来すそれは、神の力に順応しているといってもいいらしい。白化症の行き着く先は神化――人間ならば神人、獣ならば神獣と呼び変えてはいるものの、内実としてはまったく同じものだ。元来の生物とはまったく異なる存在への本質的な変容であり、そうなったものは、もはや自我も記憶も失い、神の操り人形になるという。そうなればもはや元に戻す方法はない。いや、白化症でさえ、治療法が存在しないのだ。どうしようもない。
だからこそ、マリアは、白化症の治療法を模索し、研究に研究を重ね、絶望の淵に立っていたのだ。どれだけ研究しても、どれだけ実験しても、白化症患者を救えなかった。痛みを抑えることだけが、数少ない研究成果であり、それが根本的な解決になっていないことは彼女だって理解していた。だからこそ、絶望しかけていたのだ。
それが、いまや実を結ぼうとしている。
以前の研究や実験は、決して無駄ではなかったということがここのところ明らかになってきて、彼女は、興奮の日々の中にいた。
ワラル人の神威への耐性というのは、神威を受け付けないというのでは、ない。それならば、神に対して無敵の存在となるだろう。だが、決してそうではないのだ。神の力――たとえば、神の御業によってワラル人の肉体はたやすく損傷し、たやすく復元した。つまり、神威を無効化しているわけではないのだ。神の前では、人間は等しく無力だった。
だが、ワラル人の肉体は、神威の持つ毒に対しては極めて強力な耐性を持っており、毒素を持つ神威をいくら浴びても白化症を発症しないことがわかったのだ。
なぜワラル人だけがそのような特性を持っているのか。ワラル人以外にも同じような特性を持つ人間はいるのか。疑問は尽きないが、明らかになった事実は、マリアたちを歓喜させたのは間違いなかった。ワラル人の研究を進めれば、いずれは必ずや白化症の治療法が確立できる。マリアはそう信じ、研究に邁進した。
ちなみに、ワラル人被験者に神威を浴びせるためには神の協力が必要不可欠だったが、その点ではなんの問題もなかった。
マリアたちには、神の知り合いがいる。
リョハンの守護神マリクだ。
そのために数度、リョハンを訪れたのだが、そこでマリアは、セツナがリョハンを救った上でファリアたちとの再会を果たし、リョハンから旅だったことを知った。マリアは、ファリアたちが想い人と再会を果たせたことに心から安堵し、また、リョハンが窮地に陥っていた事実には心底驚愕したものだった。そして、マリク神に協力を仰ぎ、神威を用いた実験を行ったのだが、その結果には、マリク神も驚きを禁じ得なかったようだ。
それはそうだろう。マリク神さえ、白化症の治療は不可能だと諦めていた。ワラル人の存在によって、その可能性が開けたのだ。驚嘆もするだろうし、興奮もするだろう。白化症の治療は、マリク神にとっても悲願だった。マリク神だけではない。白化症に苦悩するすべての存在にとっての悲願であり、だからこそ、マリアはなんとしてでも研究を続け、治療法を確立しなければならなかった。
使命だ。
天より与えられた命題。
まさしく、命を賭した――。
「ふむ。わたしのただ働きも無駄にはなっていないということだな」
「あんたには、心から感謝してるさ。アズマリア」
マリアは、心の底からの感謝を込めて、アズマリアに告げた。
アズマリアのいうただ働きとは、ここ数ヶ月に渡る獅子奮迅の活躍のことだ。孤軍奮闘と言い換えてもいい。彼女は、ネア・ワレリアの奪還以降も、戦闘に明け暮れていた。
ネア・ワレリアが存在するのは、“大破壊”によって誕生した島のひとつだ。島を構成するのは、ワラル、ニヘン、シゼイン北部、セシールとムヌグの一部なのだが、島全体が聖王国軍の残党によって制圧、支配されていた。ネア・ワレリアと周囲の都市を解放しただけでは、聖王国軍残党の勢いは止まらないのだ。むしろ、ワラルの都市を再度制圧するべく軍勢を送り込んでくる始末であり、アズマリアはその対応に追われた。
ワラルにも持ち前の軍隊が存在していたのだが、その大半は、最終戦争によって聖王国軍に蹂躙され、いまや戦力と呼べるほどのものもなかった。故に“大破壊”後の混乱に乗じたネア・ワレリアの奪還にも失敗し、エリザ・レア=ワラルは、死を偽り、ナルガストに隠れざるを得なくなったのだろう。
なんにせよ、アズマリアは、この地において休みなく戦い続けており、いまやワラルには彼女を魔人と呼ぶものはおらず、救世の英雄の如く讃えていた。もっとも、アズマリアはどういうわけか、そういった賞賛の言葉に対し、みずからの行いはセツナ=カミヤの指示によるものであり、褒め称えるべきはセツナである、などといっているようだが。
そのことを問えば、アズマリアは、静かに告げてきたものだ。
『ひとの縁は力となる。この世界を救うための』
もっとも、その言葉がなにを意味するのか、マリアにはわかりかねた。
アズマリアは、ときどき、理解の及ばないことをいう。