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第二千六百四十五話 別れの海辺

 大陸暦五百六年十月二十一日。

 セツナ一行は、宴の疲れが残る中、帝都ザイアスを後にした。もっとも、その際、セツナたちは帝都の出入り口まで移動するような手間はかけていない。広大極まりない大都市から出るだけでも時間がかかるのだ。たとえ召喚車を利用しても、だ。

 そこで、セツナはマユラ神にウルクナクト号を至天殿直上まで動かしてもらい、至天殿の屋上から船内まで転送してもらったのだ。

 セツナたちは、皇帝を始めとする統一帝国政府首脳陣の見送りに応えるように手を振り、ウルクナクト号の見慣れた搬入口へと転送された。なぜ転送先が搬入口だったのかについては、マユラ神の意地悪だとしか考えられないが、船内に転送してもらえたのだから、なにもいうことはない、と、セツナは考えることにした。

 マユラ神は、マユリ神と表裏一体の神ではあるが、同じ考え方をしているわけではない。マユリ神が勝手に結んだ契約のせいで自分のやりたいことができず、不満も溜まっていることだろう。こういう小さなことで溜飲が下がるというのであれば、存分にやってくれればいい。契約上、セツナたちに害を為すことはできないのだ。

 ならば、なんの問題もない。

 方舟下層部の搬入口から居住区のある中層部に向かう間、セツナたちは帝国から離れることについて話したりした。

 南ザイオン大陸に到着して、かれこれ五ヶ月。五ヶ月もの間、帝国のために、ニーウェハインたちのために戦い続けたといっても過言ではない。が、決して無意味なものではなかった。まず、ニーナと交わした契約通りの働きをできたことは、素直に喜ばしいことだ。船を貸してくれたニーナたちには感謝の言葉もなかったし、その想いは、セツナの中で日に日に膨れていた。ファリアたちとこうして一緒にいられるのは、すべて、あのときの出逢いと、ニーナたちからの申し出のおかげなのだ。

 そのことには、ファリアたちにも想うところがあったのだろう。彼女たちは、ニーウェハインがニヴェルカインから元に戻ったことを自分のことのように喜んだという。そして、戦後、ニーナと交流を深めた彼女たちは、セツナとニーウェハインを話題にすることも少なくなかったとのことだが、どのようなことを話題にしたのかは、怖くて聞けなかった。まあ、あまりに似すぎていることが話題になったのは、いうまでもないだろうが。

 そんなニーナの望みを叶えた統一戦争では、戦場でのエスクとの再会が待っていた。予期せぬことだったが、再会できたことそのものは、喜ばしいことだった。

「こうして大将に再び仕えることができるのも、大総督閣下のおかげ、ということですかね」

「そういうこった」

「なら、ニーナ様には足を向けて眠れませんな」

「がんばれ」

「なんすか、その雑な対応は」

 どこか不満げに、しかし楽しげなエスクの反応を見て、ネミアが笑みをこぼす。ネミアとの出会いも、統一戦争の最中だった。“雲の門”頭領ネミアがエスクを拾ってくれたことが、統一戦争での再会に繋がるのだから、ひとの縁というのはどうなっているものかわからない。

 そして統一戦争が終わった矢先に始まったのが女神戦争だが、その先触れとしてウルクが襲来したことは、記憶に新しい。

「まさかまさかよねー」

「本当に、まさかのまさかでございます。エスク様に続き、ウルクと再会できるとは想いも寄らぬことで……」

 レムがことさら嬉しそうにいえば、ウルクが頭を振った。

「セツナに襲いかかるなど、恥ずべきことですが」

「操られてたんだ。仕方がねえよ」

「しかし」

「しかしもなにも、その話はもう終わったことだろ。決着はついた。全部、な」

「はい。セツナ」

 ウルクは、それ以上、なにもいってはこなかった。決着はついたのだ。彼女自身が決着をつけた。みずからを操り、セツナを攻撃するよう命じた人形遣いアーリウルを討ち果たしたのだ。それも分霊との戦いの直後ということだったが、マユリ神の粋な計らいといったところだろう。人形遣いを討つのは、やはり、人形遣いと因縁深いウルクでなければならなかったのだ。

 それで彼女の気が晴れたのかは、わからない。

 ウルクの中では、セツナは極めて特別な存在のようなのだ。生みの親たるミドガルド=ウェハラムよりもセツナを取るくらいには。

 そんな彼女にとって、セツナを攻撃した事実は、苦い記憶として残り続けるのではないか。そのことが多少なりとも心配だった。

 不意に通信器から声が聞こえてきたのは、中層に上がったときだった。

『聞こえるか、セツナ。話がある。機関室に来たまえ』

「話?」

「ともかく、行ってみましょ」

「ああ」

 うなずき、セツナたちは機関室に急いだ。

 

 機関室には、普段ならばマユリ神が鎮座している場所をマユラ神が占領していた。とはいえ、表裏一体の同一神なのだから、特段、なにが違うわけでもない。女神か、男神か、その程度の差違。マユラ神の容貌は、美しい少年のようであり、マユリ神にも引けを取らないのだ。そういう点でも、大きな違いは見当たらない。

 とはいえ、仏頂面で鎮座する少年神の姿は、麗しき女神とはなにもかも異なる気がしてならないのが人情だ。そして、つぎに目に飛び込んできたものに意識は行く。

「あれは……」

 マユラ神の頭上の虚空に展開した映写光幕が外の風景を映し出しているのだが、そこに見知ったものが映し出されていた。どこかの海辺。海面から浮き出ているのは、美貌の女神の上半身であり、その女神が見下ろす浜辺には白き異形の巨人が立っていた。

「マウアウ様にリグフォードさん……?」

「そういえば……戦後、姿を見せなかったわね」

「見せたくなかったんだよ、きっと」

 セツナは、マウアウ神を見上げているらしいリグフォードの後ろ姿に哀愁を感じずにはいられなかった。

 リグフォードは、一度死んでいる。南大陸へ向かう海路、方舟の攻撃を受け、船は沈没、リグフォードを含め、乗船員も全滅したという。だが、そこを通りがかったマウアウ神によって魂を救われた彼は、マウアウ神の使徒として転生することで、ニーウェハインに影ながら協力する道を選んだ。マウアウ神が許さなければ人間に手を貸すことなどできるわけもないが、それでも、ただ死ぬよりは希望を持ちたかったのだろう。忠烈というほかない。

 そこまでニーウェハインを想い、ニーウェハインに尽くした彼だからこそ、変わり果てた姿を見せたくないというのもわからなくはなかった。

「船をあの近くに下ろしてくれないか?」

「良かろう。感謝せよ」

 片目を開けて、マユラ神が厳かにうなずく。どうもここのところ、マユラ神の言動が不自然に感じるのだが、気のせいではあるまい。

「はいはい」

「心が籠もっておらぬが……まあ、よい」

「従うしかないんだから、いちいちあんな風にいわなくてもいいんじゃないの」

「逆だろ。従うしかないなら、ああもいいたくなるって」

「そういうものかしら」

 ミリュウは不満そうな顔をした。マユリ神のことを「マユリん」と呼び、敬愛する彼女だ。マユラ神の言動に馴染みがないのは当然だろうし、気に食わないのもわからなくはない。

「あたしなら、セツナの命令、全部素直に受け取るのに」

「だれもがミリュウみたいに単純なら、この世界は平和なんだけどね」

「あたしの心は複雑よ?」

「そうかしら」

「そうよー」

 ミリュウとファリアのやり取りを聞きながら、セツナの想いはリグフォードに向かっていた。

 

 船が件の海辺に到着するまで多少の時間を要した。

 それはそうだろう。海辺は、南ザイオン大陸北西部沿岸だったのだ。帝都から北西部沿岸までは、かなりの距離がある。それをマユラ神は、ウルクナクト号に全速力を出させ、多少とはいえ短い時間で到達させたのだから、なにもいうことはない。

 船を降りれば、広い浜辺が待ち受けていた。陽光を反射して輝く砂浜は白銀に近い。空は抜けるように青く、海もまた、どこまでも続くかのように碧い。水平線は遙か彼方にあり、打ち寄せる波の音が耳に心地良い。潮風が穏やかだった。

「これが本当の浜辺ね」

 ファリアが感慨たっぷりにいったのは、銀に輝く砂浜など見たこともなかったからだろう。ミリュウが砂浜に足を取られ、ファリアにもたれかかりながら口先を尖らせる。

「夏なら、ちょうどよかったのに」

「なにがちょうどいいんだよ」

「海水浴」

「しねえ。してる暇ねえって」

「えー」

「えーじゃない」

 ミリュウがファリアに腕を絡めてなんとか安定を保とうとする様を見遣りながら、セツナは肩を竦めた。ミリュウの海水浴に対する憧れは、一体どこからくるのか。以前にもそんなことがきっかけで一騒動起きたが、今後、そんなことが起きないように注意しなければならないかもしれない。

 そんなこんなで浜辺を進めば、白き異形の巨人がこちらを振り返った。サグマウ。西ザイオン帝国海軍大将リグフォードの成れの果てたるその異形は、どこか誇らしげだ。

「これは御一行」

「リグフォードさん」

「サグマウですよ、わたしは」

 彼はそういって、主を振り返る。

 マウアウ神は、海中に異形の下半身を隠すようにしていた。つまり、上半身だけを見せつけるようにしているのであり、セツナがマウアウ神に目を向けた途端、目の前が真っ暗になった。一瞬戸惑ったが、すぐにミリュウが鼻息も荒く目隠ししてきたことに気づく。

「おい、ミリュウ!」

「目に毒よ!」

 振り解こうともがくも、ミリュウの手は強く固定されていた。彼女のいいたいことは、わからないではない。マウアウ神は、海神であり女神だ。下半身こそ多様な海洋生物を合成したような異形だが、上半身は美しくも官能的な女性そのものといっても過言ではなかった。しかも一糸纏わぬ姿であり、乳房もなにも放り出している。女性陣がミリュウの言動を肯定するのも、当然だったのかもしれない。

「そうね」

「そうでございますね」

「まったくだ」

「先輩、どこに毒があるのですか?」

「それはね……」

 ファリアたちの反応に憮然としながら、ミリュウの手を外し、彼女の側を離れる。

「ああん」

「ったく、なにがだよ。神様に対し、不敬にもほどがあるだろうが」

 セツナが離れれば、ミリュウは追いかけてこようとして砂浜に足を取られて転倒した。ミリュウはどうやら砂浜が苦手らしい。彼女の運動神経が悪いわけではない。

「セツナよ、久しぶりよな。なんともにぎやかではないか」

 マウアウ神は、微苦笑を浮かべていた。見れば、両腕を胸の前で組んでいる。ミリュウが追撃を諦めたのは、マウアウ神が意見を汲んでくれたからだろう。

「お久しぶりです、マウアウ様。お元気そうで、なによりです」

「元気か。元気。確かにな。しかし、人間に対するような挨拶は我らには不要ぞ」

 マウアウ神のいう我らとは、神々のことを指しているのか、それともセツナとマウアウ神の関係性を示しているのか、よくわからない。

 マウアウ神がここにいる理由については、戦後、レムから事情を聞いて知った。サグマウによる召喚であり、分霊との戦いに勝利できたのもそのおかげだという。さらにマウアウ神は、神人との戦闘にも積極的に参加してくれており、統一帝国軍の犠牲があれくらいで済んだ一因でもある。マウアウ神の助勢がなければ、被害は大いに拡大していたことだろう。

 そのことについての感謝は、既に皇帝ニーウェハインが代表して伝えたとのことだが、セツナはなんとしても直接、礼を述べたかった。だが。

「サグマウが世話になった」

 マウアウ神のほうが先に感謝を述べてきたので、セツナは慌てた。世話をした覚えがない。

「いえ、それをいうならこちらのほうでしょう。サグマウ殿の協力、マウアウ様の御助力があればこその勝利」

「いや……」

 マウアウ神が、厳かに頭を振る。

「ナリアは、我らにとっても最大の敵だった。いずれは、あれとエベルに打ち勝ち、勝利者たるのがヴァシュタラとなったものたちの望みだった。だが、結果はそなたも知っての通り。ナリアを討ち果たせたことは、せめてもの慰めになろう。感謝するぞ、セツナよ」

 そこまでいわれれば、返す言葉もない。素直に受け取らなければ、むしろ失礼であり、不遜だろう。

「わたしからも、感謝を。セツナ殿、それに皆様方のおかげで、陛下も帝国も、皆、救われました。失ったものは多く、犠牲も数えきれません。しかし、すべてを失うよりはずっといい。そうでしょう?」

「ええ……」

 サグマウの苦渋に満ちた言葉には、うなずくしかない。確かにその通りだった。なにもかもを失うよりは、ずっといい。無論、犠牲が出ないことに越したことはないが、すべてがそう上手くいくわけもないのだ。それはこの場にいるだれもが知っていることだ。だから、余計なことはいわない。

「では、セツナ殿。どうか武運長久をお祈り申し上げますぞ」

「リグフォードさ――サグマウ殿こそ……どうか、無事で」

「マウアウ様も、お元気で」

 レムが深々とお辞儀をすれば、ほかの皆も同じようにした。

「うむ。そなたらの旅が無事に終わること、世界に祈ろう。では、な」

 マウアウ神は、名残惜しそうな表情を見せながらも、遙か北西の海を振り返ると、その巨躯を海中に突っ込んでいった。サグマウがそれに続く。

 セツナたちは、海神とその使徒の気配が感じ取れなくなるまで、浜辺に留まり続けた。 

 秋の風がゆるりと吹いた。



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