第二千六百四十四話 ラミューリン
ラミューリン=ヴィノセアは、数奇な運命を辿っていると想わざるを得なかった。
彼女は、ザイオン帝国の人間として生まれた。ヴィノセア家は、代々軍人の家系だが、女として生まれたこともあり、軍人としての道を歩む必要はなかった。しかし、軍人の家系に生まれたが故に幼い頃よりザイオン皇家への熱狂的ともいえる忠誠心を植え付けられるようにして育てられた彼女が、国に関わる仕事につきたいと想うのは必然だったのだろう。
帝国においては、女の軍人も決して少なくはない。先頭に立つ皇族がそうだ。皇子だろうが皇女だろうが、物心ついたときには、その資質に合った訓練を受け、長じて軍務につくものも多かった。女が軍人となることを奨励しているわけではないが、否定的な動きもなく、歓迎はされた。ただ、普通に士官学校に通うなりして軍人になるだけでは、あまり貢献できないのではないか、という想いが彼女の中にはあった。
それ故、彼女は、武装召喚術を学ぶこととした。武装召喚術を学び、習得すれば、並の軍人以上の貢献を皇家にもたらし、帝国の役に立つことができるものと想ったからだ。そこから先は血の滲むような修練の日々ではあったが、充実してもいた。一日一日の訓練が血肉となっていくことが実感できたこともあったし、武装召喚術というある種幻想的な技術の体得は、彼女の希望ともなったからだ。
武装召喚術さえ身につけることができれば、必ずや、皇家の力になることができるはずだ。
皇帝に仕える武装召喚師たちという先達がいて、確信を持てたというのも大きい。
そうして、彼女は武装召喚術を習得し、第一皇子にして次期皇帝の最有力候補ミズガリス・ディアス=ザイオンと運命的な邂逅を果たしたのは、十年以上前のことになる。それ以来、ミズガリスの腹心として忠を尽くし、彼がいずれ皇帝として君臨する日を心待ちにしていたのもいまや遠い昔のことのように思えた。
実際は、ミズガリスは数ヶ月前までまさに皇帝として振る舞っていたのだが。その夢も潰え去り、彼が野心を捨てたいま、もはや色褪せていくだけのものとなっている。
数奇な運命。
ラミューリンは、自身の運命について考えるとき、どうしてもミズガリスのことも考えなければならなかった。なぜならば人生の大半をミズガリスの付属物として過ごしてきたのが彼女だ。ミズガリスもまた、半身の如くラミューリンを信頼し、重用してくれていた。ミズガリスの痛みはラミューリンの痛みであり、彼の喜びは彼女の喜びだった。
逆もまた、然り。
ミズガリスは、ラミューリンの大抜擢を自分のことのように喜んでくれた。そのことが彼女にはなによりも嬉しかったし、でなければ、戦理君などという大それた称号を受け取りはしなかっただろう。ラミューリンは、ニーウェハインにではなく、ミズガリスに忠誠を誓っている。ミズガリスがその考えを改めよといってくるのだが、そのたびに彼女は断った。そればかりは、できない。
確かに皇帝としての資質はニーウェハインのほうがあるのかもしれない。少なくとも、ミズガリスは、ニーウェハインのようにはなれまい。女神戦争において、みずからの命を燃やし、大陸を護ったニーウェハインの姿は先帝の如くだった。
先帝シウェルハインの再臨。
ニーウェハインが皇帝として名実ともに帝国臣民、帝国将兵に認められるきっかけとなった行いは、ミズガリスには、到底真似の出来ないことだ。それは能力の有無だけではない。人格、考え方、優先順位――様々な要素がミズガリスを保身に走らせるだろうし、それは、決して間違いではない。ニーウェハインがあのときみずからを犠牲にできたのは、ニーナやミズガリスといったつぎの皇帝に相応しい人材がいることを認識していたからだろうし、後に託すということができたからだ。
ミズガリスは、責任感が強い。後に託すのではなく、自分がやらなければならないという想いが勝るとともに、自分以上の適任者はいないと確信してもいる。だからこそ、彼が皇帝であれば、みずからの命を犠牲にするような手段は用いないといえる。もっとも、それ以外に方策がないとなれば、彼とてニーウェハインのように命を投げ出すこともあるだろうが。
ともかくも、ラミューリンも、ニーウェハインの皇帝としての資質を認めていたし、いまならば、彼を皇帝として敬い、忠誠を誓うこともやぶさかではないと想っていた。ただし、彼女の忠誠心のほとんどすべてはミズガリスに捧げられるものであり、ニーウェハインに割けるのはほんのわずかばかりに過ぎない。
そんなことを想うのは、ミズガリスとふたりきりの時間を過ごしているからだろう。
戦いが終わった。多大な犠牲を払わなければ勝てない、払うだけの価値のある戦いに勝利し、その事後処理にだれもが追われている日々の狭間、わずかばかりに生じた休憩時間をミズガリスのためだけに費やすのは、彼女としては当然といえば当然だった。
至天殿の一角。ミズガリスの私室で、卓を挟み、話し合っていた。ミズガリスは、女神戦争の事後処理を黙々とこなしている人物のひとりだが、そんな彼の顔にも多少の疲れが見えている。
「英雄殿が、卿を欲していたそうな」
「まさか……お戯れでございましょう」
ラミューリンは笑って取り合わなかったものの、ミズガリスの表情は、冗談をいっているようなものではなかった。元々、冗談の好きな人間ではなかったし、諧謔に理解のある質でもない。とはいえ、ラミューリンには、いまの発言が本当のことだとは思えなかった。
「先の戦い、殊勲者は卿だというではないか。英雄殿が卿を欲するのも、無理からぬことではないのか?」
「……いいえ。わたしは、戦神盤を用いただけのこと。特別なことはなにもしていませんよ」
「それが、女神戦争の勝利を導く最大の要因だった、と聞いているが」
「マユリ様がわたしの力を最大限に引き出し、戦神盤を有効活用してくださったからにほかなりません。わたしひとりの活躍など、たかが知れています」
ラミューリンは、謙遜などではなく、本心からそう想っている。
女神戦争における活躍によって戦理君という新設の称号を皇帝より直接賜った彼女だったが、それには納得しがたいところがあった。皇帝に意見を具申することなどできるわけもなく、賜るほか道はなかったものの、自分ひとりがそのようにして賞賛されるのは間違いだと想っていたのだ。女神戦争の勝利の根幹というのは、間違いではないかもしれない。しかし、ラミューリンと召喚武装・戦神盤だけでは、あのような広大な戦場の膨大な情報を処理し、適切に処置することなど到底できるわけもなく、マユリ神の加護と支援があればこその活躍だったのだ。脳内に流れ込む情報量の莫大さに意識がついていかないことがたびたびあったし、自分が自分でなくなっているような感覚もあった。
マユリ神が自分に乗り移っているような、そんな感覚。
戦の理を司るのは、自分ではなく、マユリ神こそ相応しいのではないか。
そのようなことを正直に話すと、ミズガリスは大いに笑った。
「それもこれも、卿と戦神盤があればこそ、だろう。卿がいなければ、戦神盤がなければ、あのような戦術は立てられなかったとマユリ様も仰っておられた。女神戦争最大の功労者が卿であることも、な」
「マユリ様は、お優しい方ですから」
そういってくれるのだろう、と、ラミューリンは想う。
「卿は自分を過小に評価しすぎだな」
「ミズガリス様こそ、わたしを過大に評価しすぎでは?」
「それはそうだろう」
彼は、むしろ胸を張って告げてくる。
「卿は、わたしが見出したのだ。卿ならば必ずやわたしの、帝国の力になってくれるとな」
「なればこそ、わたしはミズガリス様に忠を尽くすのです」
「ふむ……」
ラミューリンがまっすぐに見つめれば、ミズガリスも悪い気はしなかったのだろう。彼は満足げな顔をしたのち、こういった。
「では、わたしとともにニーウェハイン皇帝陛下を盛り立てていこうではないか」
「ご随意に」
ラミューリンはうなずき、彼に続いて杯を手に取った。
果実酒の芳醇な香りが鼻腔を満たしていった。