第二千六百四十二話 同一にして非なるもの
祝宴は、夜中どころか夜明けまで続いた。
政府首脳陣による挨拶はそこそこだったが、参加者が入れ替わり立ち替わりの宴だったのだ。数千人単位の参加者が天輪の間を出入りし、そのたびに料理類も一新された。
帝国政府は、このたびの戦勝祝賀の宴によって、女神戦争を完全に終結させるつもりなのだ。そのため、帝都中のひとびとを宴に参加させる勢いで、この祝宴は計画され、開催された。戦争に直接参加したわけではない帝都市民にとって、女神戦争の始まりも終わりもどこにあるのかわかったものではないが、祝勝の雰囲気に満ちた宴に参加すれば、終戦したのだという実感は湧くだろう。そういう実感が終戦を決定づけ、帝国臣民を安堵させていくものだ。そして、いずれは戦争が起こったという事実が遠い過去になっていく。もちろん、それには長い時間がかかるだろうし、当分先の話ではあるが。
帝国政府としては、とにかく終戦したことを主張し、印象づけたかったのだろう。
南大陸全土の存亡を賭けた戦いだった。帝国臣民の多くは、なにが起こったのかわからなかっただろうし、女神戦争なるものが起こっていた事実さえ知らないまま、終戦を迎えただろう。統一帝国が全軍を動員しなければならないほどの戦いとはいえ、戦場となったのは、大陸北西部のごく一部だった。大陸全土を巻き込むほどの戦争にならなかったのは、そういう意味でも良かったのは間違いない。必要な事後処理は最小限に収まっている。
ともかくも、祝宴は盛大なものであり、天輪の間には、絶えず帝国宮廷楽団の演奏が流れ、和やかで穏やかな空気に満ちていた。
一方、セツナは、主賓席につぎつぎと訪れる政府高官の相手をしなければならず、中々料理にありつけず、しまいには腹が鳴ってしまい、相手に気遣われるほどだった。挨拶に訪れた高官の多くは、セツナの容貌とニーウェハインの容貌を見比べ、感嘆の声を上げている。元々、セツナがニーウェハインにそっくりだということは知っていても、仮面で素顔を隠していたニーウェハインが、ようやくその素顔を現したことで、その目で比較することができるようになったからだ。見比べれば見比べるほどそっくりだ、というのは、ファリアたちも認めるほどだ。
「セツナのほうが数段かっこいいけどね」
とは、ミリュウの弁だが、レムやウルクなどは彼女に大いに賛同していた。嬉しくはあったが、別段、ニーウェハインと比べられてどうこうという感情はない。
元々、同一存在なのだ。育ちの違いが微妙な顔つきの違いに現れているとはいえ、運命のいたずらかと思えるほどにそっくりだった。むしろ、ニーウェハインを悪くいわれるほうが辛かったりする。
主賓席を訪れたものの中には、先の戦いでファリアたちの配下になった武装召喚師たちも多い。ファリアと無事を喜び合うものや、ミリュウを褒め称えるもの、シーラとの再会に涙するものなどがいて、セツナは話に聞く彼女たちの戦いぶりを想像したりした。いずれも死闘だったことは、死傷者の数からも推し量れたし、命がけの戦いだったのは想像するまでもない。生き残れたことが幸運だったのは、いうまでもないのではないか。無論、マユリ神に賞賛があったからこその戦いだったのだが。
三武卿も、主賓席に姿を見せた。
ランスロット=ガーランドは礼服を身に纏えば貴公子といっても過言ではなかったし、華麗な衣装を纏ったシャルロット=モルガーナには目を奪われ、左右の席から耳を引っ張られる事態に発展した。ミーティア・アルマァル=ラナシエラも可憐といっていい姿だった。三人は、やはりセツナたちに心からの感謝の言葉を述べ、特にランスロットはセツナたちに帝国に残って欲しい旨を述べた。もちろん、セツナたちは丁重に断ったものの、そういう未来も悪くないとは想ったりもした。
ニーウェハインの治める帝国はきっと、セツナたちにとっても住みよい国となることだろう。無論、ニーウェハインひとりでどうにかなる規模の国ではないにせよ、彼を中心とした政府が機能する限り、なんの問題もないだろう。ニーウェハインは皇帝としての資質、資格を統一戦争、女神戦争において示している。多くのものが彼への忠誠を改めたという話も聞き及んでいた。なんの心配もいるまい。
皇帝ニーウェハイン・レイグナス=ザイオンが、大総督ニーナ・アルグ=ザイオンを伴い、セツナの元を訪れたのはそのあとのことだ。
おとなしめに着飾ったニーナの姿は、軍服を着ているか、甲冑を身に纏っている印象の強さもあって、極めて新鮮に映ったし、思わず見取れた。きっとニーウェのせいなのだが、またしてもファリアとミリュウに卓の下で手をつねられた。ミリュウはいつものこととして、ファリアがこうまで嫉妬心を露わにすることもめずらしいので嬉しくはあったが、痛くもあった。
ニーウェハインとニーナ。将来、この国を背負うふたりとの談笑は、短時間ではあったが、濃密なものではあった。難局を乗り越えたふたりの間には、いままで以上の絆が垣間見えたし、なにより、ニーナの幸福そうな表情には心底安堵した。ニーウェハインを失うかもしれなかったのだ。彼が生き残っただけでなく、異界化や白化症からも救われたことは奇跡以外のなにものでもないが、それによってニーナの心までも救われたことには感無量だった。
セツナは、ニーナにも感謝しているのだ。ニーナがあのとき船を貸し出してくれたからこそ、リョハンに間に合い、皆との再会を果たせたのだから、感謝してしすぎることはない。
そしてニーウェハインとは、宴の最中、ふたりきりで話し合う機会を得た。
宴も半ば、盛り上がってきたところで舞踏会となったのだが、そのとき、セツナはニーウェハインの元へ招かれたのだ。
「どうだね、英雄殿。宴は満喫できているか?」
ニーウェハインは、セツナの格好を見て、にやりとした。ファリアたちの前ではそういう表情を見せなかったところを見ると、空気を読む能力にも長けているようだった。もし、ファリアたちの前でセツナの格好を笑えばどうなったものか。ファリアはともかく、ミリュウやレム、ウルクが荒れること疑いようがない。皇帝が相手だろうと構いはしないのだ。
「その呼び方はよしてくださりませぬか、皇帝陛下」
「そういう貴殿こそ、似合わぬ口調ではないか」
「これでも王宮務めにも慣れているのですがね」
セツナはいったが、彼は取り合わない。
「しかし、似合わない」
「では、陛下にも似合わぬかと」
「そうかもしれないな」
彼は不意に噴き出すと、セツナの顔を覗き込むようにしてきた。
「何度見ても、鏡を見ているようだ」
「本当に……」
「しかし、運命は外れたままだぞ」
ニーウェハインは、ほっとしたようにいった。
「ニヴェルカインが俺を依り代とし、依り代とした俺をただの人間として作り直したことが影響を与えたのだろうな。俺は、君と同一存在ではなくなったままさ」
「それは……良かった」
セツナは、本心からいった。
同一存在とは、異世界における自分であり、同じ世界には共存できない存在であるらしい。ニーウェハインとセツナが殺し合うはめになったのもそのためだったし、ニーウェハインがその運命から外れたのも、彼が異界化によってただの人間ではなくなったからだ。
その異界化から戻ったいま、再び殺し合う運命になるかと思いきや、そういうわけではなくなったらしいということは、セツナ自身も感じていたところだ。ニーウェハインに対する敵意や殺意が湧かないのだ。神の力によって運命を超克し、同じ世界に存在することが許された、と考えていいのだろう。
「本当に。それもこれも君のおかげだよ、セツナ。君がいて、君が女神を討ってくれた。そのおかげで帝国は護られ、大陸は……いや、世界は救われたといっても、過言ではない」
「過言だろ」
「いいや、過言じゃないよ」
ニーウェハインは微笑み、セツナの手を取った。手のひらを上に向けると、そこに自分の手のひらを重ねる。なにがしたいのかと訝しんでいると、その手が淡い光を帯び始め、はっと顔を上げた。ニーウェハインの紅の瞳がかすかに金色の輝きを帯びている。
「これはニヴェルカインの神性。まだわずかに残っているんだ。それが教えてくれたんだよ。君が世界を救ったんだってね」
「ニヴェルカイン様の神性……?」
「ああ。ニヴェルカインは消滅したわけじゃないんだよ」
彼の想わぬ発言にセツナは驚きを禁じ得なかった。セツナは、ニヴェルカインはニーウェハインをこの世に戻すため、消滅したものだとばかり想っていたのだ。
「じゃ、じゃあいまはどこに……?」
「この天地に、満ちている」
「この天地……南ザイオン大陸を包み込んでいる?」
「ああ」
ニーウェハインは、重ねていた手のひらを離すと、にこりと微笑んだ。
「ニヴェルカインは、帝国の守護神として顕現したんだ。帝国臣民の祈りが尽きない限り、消滅することはないんだよ」
そして、帝国が窮地に陥れば、必ずや顕現し、力を貸してくれるだろう、と、彼はいった。
それを聞いて、セツナは少なからず安堵した。
しばらくすれば、帝国領土を離れることになる。そのとき、不安なのは、統一帝国を脅かす存在とそれに対抗する手段についてだ。統一帝国には数十万の通常兵力に加え、数千人規模の武装召喚師が存在する。だが、それだけでは対抗しきれないものが敵として現れる可能性もあるのだ。
ニヴェルカインが守護神としてこの大地を護り続けてくれるというのであれば、これほど頼もしいことはなかった。
神々に彩られ、神々に乱された世界だ。
国を護るため、神を頼るのはなにも悪いことではない。