第二千六百四十一話 戦士の休息(四)
その夜、天輪の間には、統一ザイオン帝国政府の首脳陣、高官が集っていた。
皇帝ニーウェハイン・レイグナス=ザイオン主催の戦勝祝賀会が開かれたからであり、その主賓としてセツナたちは招かれている。女神戦争における勝利の立役者として、セツナたちには感謝してもしたりないというのが統一帝国政府の見解であり、その感謝の一環が祝賀会に主賓として招き、丁重にもてなすことのようだった。
皇帝主催の宴ともなれば、服装にも気を遣わなければならないのは当然だ。
昨日、ファリアたち女性陣が買い物に出かけたのは、今宵の宴に見合う衣装を見繕うためであり、そのわりには大量の衣装を買い集めていたのは、どのような衣装が相応しいか、だれもが頭を悩ませたからのようだ。店内で頭を悩ませるよりは、資金の許す限り買い集め、着替えながら選べばいい、と判断したのだろう。そして、宴が始まるおよそ一時間ほど前に衣装合わせが終わり、だれもが着替え終えた。
セツナは、ファリアたちによって選び抜かれた衣装を身に纏っているのだが、その衣装は、鏡を見る限り、控えめにいっても戦勝祝賀の宴という場には見合っていないように思えた。が、ファリアたちの導き出した答えに逆らうことなどできるわけもなく、彼は渋々ながらもその色とりどりというほかない衣装に袖を通していた。そして、天輪の間に足を運ぶ道中も、多数の好奇に満ちたまなざしに曝され、気恥ずかしさに消え入りたくなったものだ。
ファリアたちは、そんな風に注目を集めるセツナを目の当たりにして、むしろ自分たちの美的感覚に自信を持ったようだが。
セツナは、ニーウェハインにすら困惑されたときには、なんともいえない表情になったが、ファリアたちには理解されなかったようだ。彼女たちの目は、間違いなく曇っている。
ファリアは、露出も控えめな紺碧の衣装であり、どこか儀式的な装飾品が彼女を神秘的な存在に押し上げていた。まさに戦女神に相応しい格好といってよく、荘厳という言葉が似合った。そこにファリアの淑やかな振る舞いが加われば、完璧というほかない。天輪の間に至る間も、至ってからも、彼女に目を奪われるものは後を絶たなかった。
ファリアもそうだが、女性陣の衣装は、ミリュウが主体となって選び抜かれているらしく、いずれもそれぞれの美点を引き上げている印象が強かった。ミリュウには、そういう才能があるのだ。なぜか、セツナに対しては発揮されないその才能は、女性陣やエスクに関しては最大限に発揮されていた。
ミリュウは、深紅を基調とする衣装だ。やはり露出を抑えめにした衣装は、この度の宴に込められた想いを汲んでのことに違いない。戦勝を祝賀することだけが宴の目的ではないのだ。女神戦争で命を落としたものたちの魂を慰め、安んじることもまた、宴の目的のひとつだった。そのため、ミリュウは女性陣の衣装を選ぶ際、派手さを抑え、露出も控えるようにしたようだった。
シーラは、やや暗めの白を主体とする衣装を身に纏っている。レムは黒、ウルクは灰色、と、いずれもそれぞれの象徴色に合わせた衣装であり、容姿をより美しく引き立たせるものばかりだった。エリナの赤は、ミリュウの弟子だから、だろうか。ミレーヌは控えめな黄色を纏い、ゲインは茶褐色を、エスクとネミアは暗紅色で揃っている。
ダルクスは、残念ながら、参加していなかった。彼は、召喚武装たる甲冑を常に身に纏っており、それ故、宴には参加するわけにはいかないというのが彼の考えだった。主催者側はまったく気にしておらず、むしろ彼の参加を歓迎したのだが、どうも彼はそういう場に出たくなさそうだった。無理矢理参加させるのも悪い、ということから、彼には荷物を見守ってもらうことにしたのだ。
ともかく、セツナ一行は、そんな格好で天輪の間に用意された主賓席にあった。
天輪の間には、いくつもの大きな卓があり、その上に多種多様な料理や酒、飲み物が置かれている。色とりどり、よりどりみどりといった具合のそれらは、参加者が自由に飲み食いしていいとのことだったが、セツナたちは、わざわざ取りに行かずとも、目の前の卓に並べられた料理の数々に舌鼓を打てば良かった。主賓というだけあって特別扱いを受けているのだ。
もっとも、まだ、料理に手をつけているものはいない。
宴は、皇帝を始めとする統一帝国政府首脳陣による挨拶、祝辞の数々が終わってからだ。
天輪の間には、優に千人を越える参加者が集まっている。いや、おおよその目算だけでも千人どころではない人数であり、精確に把握するのは困難を極めるだろう。老若男女、いずれも宴の目的に合わせ、控えめながらも高級そうな衣装に身を包んでいた。そして、だれもが皇帝の挨拶を待ちわびている。
やがて天輪の間に設けられた演説台に皇帝が立つと、万雷の拍手が鳴り響いた。
皇帝ニーウェハインは、すっかり元の姿に戻っている。つまり、異界化した半身も、白化症に冒された半身もない、素のままの人間のニーウェハインがそこにいるのだ。彼は、黒を基調とした衣装に身を包んでいるのだが、それだけで気品があるように思えた。セツナとは、生まれや育ちが違うのだから、似て非なるのは当然のことだ。
ニーウェハインは、女神戦争の勝利がいかに困難の果てに掴み取ったものかについて述べると、その勝利の立役者たるセツナたちについて触れ、宴の参加者にセツナたちを賞賛するよう望み、参加者たちはその望みに応えた。セツナは万雷の拍手を浴びながら、注目が集まることに気恥ずかしさを禁じ得なかったが、致し方ないと諦めた。事故のようなものだ。こればかりは防ぎようがない。
そして、ニーウェハインは、勝利のために流した血、犠牲について触れ、戦死者への哀悼の意を述べた。すすり泣く声や嗚咽が聞こえたが、参加者の中には戦死者の家族がいたのかもしれない。
さらに彼は、いった。
「我々は、女神ナリアの呪縛より解き放たれた。これより先、帝国に女神の加護はなく、艱難辛苦が待ち受けていることは疑いようがない。しかし、女神ナリアの支配からの脱却という史上最大の困難を乗り越えた我々が、これから先待ち受けるであろうあらゆる困難を乗り越えられないわけがない。わたしは諸君を信じているし、諸君はわたしを信じて欲しい。わたしは諸君のため、帝国臣民のために最善を尽くし、全力を尽くそう。この命を賭け、魂を燃やそう。それがわたしの約束だ」
ニーウェハインの所信表明とでもいうべき宣言は、参加者たちの熱を帯びた拍手と歓声によって受け入れられた。
ニーウェハインの、帝国臣民のために命を尽くすという約束がただの言葉ではないことは、先の戦いに参加したものは理解しているだろうし、戦後、参加者から臣民に伝わったことは想像に難くない。ニーウェハインがどれほど帝国のことを想い、帝国臣民のことを想っているのか、だれもが知ったはずだ。だれもが、彼こそ皇帝に相応しいという事実を認識したはずだ。
でなければ、これほど熱狂的な反応は起きなかっただろう。
セツナは、皇帝に対する歓声の熱さを自分のことのように喜んでいた。
ニーウェハインが同一存在だからではない。
彼の苦悩と苦心を知っているからこそ、その労苦が報いられた事実がただひたすらに嬉しいのだ。
ニーウェハインの人生は、苦難の連続だった。それこそ、苦しくない時期がなかったのではないかというほどの波乱の人生であり、順風満帆だった時期がないといってよかった。そんな彼がようやく人心地をつけるようになったのは、ニーナが騎爵に任じられてからのことであり、ニーナとともにエンシエルに安息の地を見出してからだ。
とはいえ、世間の風当たりはふたりに冷たく、ふたりが心許せる相手など数えるほどしかいなかった。
ニーウェハインとニーナは、統一帝国に安寧をもたらすことで、ようやく、自分たちの時間を得られるのではないか。
それを想えば、自分はまだまだ恵まれたものだと想わざるを得ない。