第二千六百三十九話 戦士の休息(二)
特に問題もなく昼食を終えたセツナだったが、ふと、気になることがあった。
それは、昼食の時間だというのに食堂に現れない女性陣のことだ。
昼前から掃除を始めたレムとウルクはまだしも、ほかの女性陣が昼食の時間になっても食堂に現れないのは、極めてめずらしいことであり、なにか事件や問題でもあったのではないか、と想わざるを得なかった。無論、ここは帝都ザイアスの中枢たる至天殿内部であり、大きな事件や問題が起こることなどあり得ないということはわかっている。それでも、気にはなった。
起きてから彼女たちの姿を目にしないというのは、少し収まりが悪い。
そういう風になってしまっている。
『ファリア殿ですか? 今日は朝から見ていませんぜ』
エスクに問うても、返ってきた答えはなんの役にも立たないものであり、セツナは途方に暮れかけたが、ネミアが彼女たちの動向を知っていたこともあり、事なきを得た。
『皆さん、昨日の戦利品を見せ合っていましたよ。衣装部屋です』
戦利品というのは、ミリュウが先頭に立って買い物に出かけた際、購入した品物のことだろう。ネミアを含めた女性陣だけでの買い出しであり、セツナたち男性陣はついていくことも許されなかった。護衛も不要だというのは、彼女たちにしてみれば当然の判断だったし、その判断も間違いではあるまい。そして、夕方過ぎ、買い物から戻ってきた彼女たちは、馬車に大量の戦利品を詰め込み、至天殿のひとびとをも驚かせていた。至天殿で生活するひとびとにとっては、そう目にする光景ではないのかもしれない。
ネミアの発言に従い、衣装部屋に向かえば、扉の外にも彼女たちの話し声が聞こえてきていた。
「さっすがわたしのエリナね。なんでも似合うわ」
「そ、そうですか!」
「うんうん、これならどんな男だっていちころよね」
「お兄ちゃんも!?」
「それは……どうかしら」
「えー」
ミリュウとエリナの会話の内容からは、衣装合わせでもしているのではないかと想像できた。そこで彼は扉の前で立ち止まると、扉を軽く叩いた。すると、ほかにも聞こえていた雑多な話し声が止み、扉が内から開けられる。
「どちらさま?」
「俺だよ」
「ああん、セーツナ-」
セツナが返事をしきるより遙かに速く、ミリュウが扉を開け放って抱きついてきた。いつにも増して激しい愛情表現に気圧されかけながら、その肩を抱く。愛情表現には愛情表現で応えてあげなければならない。でなければ、すぐさま不機嫌になるのが彼女だ。
「どうしたの? なにかあった?」
「いや、みんないないからちょっとな」
「あ、心配になった? あたしのこと、心配したんだ? んもう、本当、大好き!」
蕩けるような甘い声を上げながら頬ずりさえしてくる彼女だったが、セツナには慣れたことだった。ミリュウの野放図なまでの愛情表現は、リョハンでの再会以来日に日に激しさを増している気がするが、それで彼女が満足するというのならば構わないだろうと考えている。別段、悪い気もしない。
「で、なにしてたんだ?」
「昨日の戦利品を整理して、ついでに衣装合わせをしていたのよ」
と、部屋の中からファリアが答えてくれる。
「衣装合わせ……? 入っても……だいじょうぶなのか?」
「ええ、だいじょうぶよ。みんな着替え終わってるから」
ファリアの声音がいつになく冷ややかに感じ取れたのは、気のせいだろう。セツナがあらぬ期待を抱いてそのような発言をしたわけではないことくらい、ファリアがわからないはずもない。
ミリュウに抱きしめられたままでは動けないということもあり、彼は、彼女の肩と膝に腕を回して抱え上げ、そのまま室内に足を踏み入れる。すると、山のように積み上げられた戦利品の数々が視界に飛び込んできて、その衣装の山を囲むファリアたちの姿が目に入ってきた。ここまで運び込むのに、至天殿の人員を手配しなければならないほどの量の衣装の山だ。途方もない。
まるで憂さ晴らしに買い物をしてきたといわんばかりだが、実際、そういう部分があったのは疑いようがない。戦いに次ぐ戦いで消耗しきった心を潤すためには、鬱憤を晴らすことだって必要なのだ。
室内にいたのは、ファリア、シーラ、エリナとミレーヌ、セツナの腕の中のミリュウだ。セツナはミリュウを床に下ろすと、名残惜しそうに足にしがみついてくる彼女の頭を撫で、それから再び衣装の山に目を遣った。衣装部屋は広く、いくつもの箪笥や衣装掛けが並んでいるのだが、戦利品の山は、高い天井に届きそうなほどに膨大だった。色とりどり、様々な衣装が取りそろえられている。
「こんなに買って、よく金が尽きなかったな」
呆れるより、感心する。と、ファリアがあっさりと告げてきた。
「尽きたわよ」
「は?」
「あー、もちろん、俺たちの小遣いが、だけどな」
シーラが慌てる横で、ファリアが付け足してくる。
「軍資金には手をつけてないから、安心して」
「危うく手をつけそうでしたけど」
「ミレーヌさん、それはいわない約束!」
「ああ、そうだったわねえ」
「お母さん!」
小声で失跡するエリナに対し、ミレーヌはにこにこ笑っているだけだ。しかし、聞き捨てならないことをいったのは間違いなく、セツナは、ファリアに視線を注いだ。いま、船の金庫番をしているのは、ファリアだ。彼女が船の資金を司り、必要諸経費の管理や、各人に小遣いとして少量の金額を手配したりしている。なぜ彼女なのかといえば、《獅子の尾》時代から彼女の役割だったからだが、ファリアはそのことを納得してくれている。とはいえ、軍資金をなんの説明もなく運用することなど許されるわけもなく、ファリアも冷や汗を流していた。
「おい」
「いや、いまのはミレーヌさんの冗談だってば」
「そうそう、お母さんは冗談が好きなんだよ、お兄ちゃん!」
「……そうだったっけ」
「はい、冗談大好きミレーヌですよ、セツナ様」
「まあ……ミレーヌさんがそういうなら、そういうことにしておくよ」
にこやかに微笑むミレーヌの優しさに免じて、深くは追求しないことにした。実際に手をつけていないのであれば、なんの問題もなかったし、たとえ、金庫の蓋を開けるようなことがあったとしても、構いはしない。船の金庫には、旅に必要以上の金額が収められている。多少、ファリアたちが勝手に使ったところで、どうなるものでもない。
ほっと胸を撫で下ろすファリアの様子を見遣りながら、彼は尋ねた。
「それはそれとしてだ。なんでまた衣装合わせなんてしてるんだ?」
問うと、一瞬にして場が凍り付いた。
「え?」
「なにいってんだ?」
「そうよ、なにいってんの?」
「お兄ちゃん、だいじょうぶ?」
「まだ、疲れているのではありませんか?」
「……なんだよ、今度は俺が一方的に悪いみたいじゃないか」
「悪いわよ」
ファリアに断言されて、セツナは憮然とした。こういうときだけ息がぴったりな女性陣には、どうしたところで敵いっこないのだ。ここにレムとウルクがいないだけましというものだろう。
「陛下が戦勝祝賀の宴を催されるって話、聞いてなかったの?」
「今夜よ、今夜」
「……ああ、そういえば、そんな話もあったな……」
ファリアとミリュウにまくし立てられて、セツナは頭を抱えたくなった。そういえば、室内の女性陣はだれもがいつも以上に派手な格好をしていた。どのような衣装で宴に出るべきか、模索中だったのだろう。
「今夜だったか」
セツナが帝都からの出発を先延ばしにした理由のひとつが、ニーウェハインから祝宴に参加するよう要請されていたからだった。
皇帝主催の宴だ。
盛大なものとなるだろうし、統一帝国の存亡を賭けた大決戦の区切りともなるだろう。そこに勝利の立役者たるセツナたちが参加することは、重要な意味を持つ。
「セツナの分の衣装もちゃんと買ってあるからね?」
ミリュウがにっこりと笑いかけてきたが、背筋に悪寒が走ったのは、どういうことなのか。