第二百六十三話 強がる面々
ルウファが療養しているという馬車の荷台の前には、衛生兵らしき女性兵が椅子に座ってうとうとしていた。荷台の外に出ているのは、ルウファを気遣ってのことだろう。
セツナは、ファリアと顔を見合わせた。ルウファは寝てしまったのかもしれない。それならそれでいいのだ。また明日にでも聞けばいいことだ。いますぐ言葉を交わしたいとは思うが、彼の眠りを妨げる気にはなれない。彼も戦い抜いたのだ。
道すがらファリアから聞いた話では、ルウファが相手にした武装召喚師はザイン=ヴリディアという男だという。セツナが敵陣に強襲した時に襲いかかってきた、手甲の召喚武装の男のことらしい。黒き矛を手にしていたはずのセツナが、手数で押された相手だ。ルウファは苦戦を強いられたに違いない。彼が傷だらけになるのも納得の敵といえる。
そうなると、ファリアが戦った武装召喚師はあの槍の男以外にはありえず、実際その通りだった。クルード=ファブルネイアという名前らしい。光化する能力を持つ槍を召喚していた男だ。光化による攻撃の無効化以外に恐ろしいところはなかったが、光から実体になる瞬間を攻撃できなければ苦戦は必死だろう。
セツナは、ファリアがどのようにしてクルードに致命傷を与えたのか気になったが、それを聞く前にルウファの馬車に辿り着いてしまった。話を聞く機会はいくらでもあるのだ。嘆くようなことでもない。ルウファの馬車は、セツナが寝かされていた馬車からそれほど離れていたわけではないのだが、セツナもファリアも痛みを堪えながら歩いてきたため、必要以上の時間がかかってしまっていた。
疲労は抜けきらない。馬車で安静にしている方がいいのだろうが、眠られもしないのに寝転んでいるのは苦痛でもある。ルウファを見舞っている間に眠気が襲ってくればいいのだが、そう上手く行くとも思えず、セツナは、重い足を引きずるようにして衛生兵に歩み寄った。うつらうつらと上体を揺らしていた女性は、セツナが声をかけようとした途端に跳ね起きた。
「あ、あれ? こ、ここは?」
女性兵は、勢い余って椅子を蹴倒しながら立ち上がると、きょろきょろと辺りを見回した。なにか夢でも見ていたのだろう。彼女がこちらに気づくのに数秒ほど要したが、気づくと、態度が一変した。
「これは《獅子の尾》の皆様!」
ガンディア式の敬礼をしてきた女性に対し、セツナも敬礼を返す。それくらいは覚えているのだ。敬礼さえ覚えていればなんとでもなるものだ、とはルウファの言葉だったか。確かに、敬礼さえ交わしていれば軍人らしく見えるかもしれない。
「ルウファ副長はもう寝たのかしら?」
「へ? あ、えーと、ついさっきまで起きていましたよ。中々眠れないようで……」
衛生兵の女性が、心配そうに表情を曇らせる。ルウファは美男子といっても過言ではない。この衛生兵が、看護中の彼になんらかの感情を抱いたとしても不思議ではなかった。
「面会はできるかしら?」
「確認してきますので、少々お待ちを」
そういうと、衛生兵はこちらの返答を待たずに荷台の中に入っていった。といって、返答することもない。
セツナは、ファリアが衛生兵と問答をする間、ずっと彼女の横顔を見ていた。火傷の痕が痛々しいのだが、果たして全治することはあるのだろうか。治りきらないのなら、彼女には辛いことかもしれないとも思った。セツナにしてみれば、火傷を負った彼女の横顔も凛々しくて、ずっと見ていたいとは思うのだが。
「なに?」
ファリアが怪訝な顔をしてきたのは、セツナの視線に気づいたからだろう。衛生兵との問答の間、じっと見ていたのだ。気になるものかもしれない。セツナは、別段慌てもしない。
「いや、なんでもないよ」
「そう?」
「うん」
「それならいいけど」
ファリアが馬車に視線を戻すと、ちょうど、荷台から衛生兵が顔を覗かせたところだった。なにがあったのか、表情が少し明るく見える。
「ルウファ副長がお待ちですよ!」
つまり、ルウファと面会してもいい、ということなのだろうと判断して、セツナはファリアを見た。彼女もこちらを見ていて、困ったように笑っていた。
ルウファが療養中の荷台の中は、それこそ病院の一室のような空間になっていた。邪魔な荷物はすべて退けられており、全体が白い布で覆われている。寝台も丁寧に作りこまれており、何重にも敷かれた毛布の上にルウファは寝かされていた。
セツナの寝ていた荷台とはまるで力の入れ具合が違うのは、彼が重傷だったからにほかならないだろう。そして彼は敵武装召喚師を撃破するという大きな戦果を上げてもいる。彼の戦功に報いるため、というのもあるはずだ。
いや、それだけではないのかもしれないと、セツナは、思った。それだけならば、セツナの扱いはもっと丁重であってもよかったはずだった。どうやら、だれかの私情が入っている。ルウファの周囲で甲斐甲斐しく動き回る衛生兵の様子を見ていれば、おのずと理解できるというものだ。彼女の個人的な感情と手腕で、このルウファ専用の病室はできあがったのかもしれない。その結果、他所に迷惑さえかかっていなければ問題はないし、恐らく、そこらへんは上手くやってくれているのだろう。彼女を咎め立てるような声も聞こえてこない。
「隊長! 俺! やりましたああああああっ!?」
寝台の上のルウファは、セツナの顔を見ると元気よく跳ね起きたのだが、即座に悲鳴を上げて寝台に吸い込まれるように落ちていった。
「寝ていていいから」
セツナは、激痛のあまり目元に涙さえ浮かべるルウファの様子に、苦笑を返すこともできなかった。寝台の横に衛生兵が置いてくれた椅子に腰かけ、彼の姿をまじまじと見つめる。彼は、軍服を身につけてはいない。上半身は包帯まみれで、まるでミイラのような有り様だった。下半身にはほとんど無傷に近かったらしく、手当の痕跡もない。彼が痛撃を受けたのは上半身であり、腹部から背中にかけての包帯の下は、でたらめに切り裂かれているはずだ。
汗の浮かぶ顔には、傷ひとつなかった。いつ見ても、綺麗な顔立ちだ。育ちの良さや生まれの良さが窺える整った造作で、セツナとは大違いだった。衛生兵の女性が惚れてしまってもおかしくはない。特に、彼は大金星を上げたのだ。名誉の負傷といってもいい。
ちなみに、衛生兵の女性は、セツナとファリアに椅子を用意してくれると、馬車の外に出て行った。会話の邪魔をしてはならないという判断だろう。《獅子の尾》の幹部が勢揃いしているといってもいい空間だ。居辛かったというのもあるのかもしれない。
「元気よねえ」
ファリアがあきれるようにつぶやくと、ルウファが目を見開いた。寝台の上で仰向けになったまま、こちらを見てくる。
「だからいってるじゃないですか。俺は元気なんですよ。五方防護陣だろうが、龍府だろうが、任せてくださいって」
「本当、元気だな」
セツナは、ルウファの様子に拍子抜けするしかなかった。彼が重傷なのは火を見るよりも明らかで、痛みにうめき、苦しみと戦い続けているものと思い込んでいたのだ。だから、ここを訪れるのも多少躊躇っていた。ルウファとは話したい。しかし、彼の療養の邪魔をしたくはない。彼は傷の治療と回復に専念すべきなのだ。セツナたちとの会話など後でいくらでもできる。
それでも、セツナは彼に会いたいと思った。ファリアに逢いたいと思う欲求と同じだ。戦いの後、無性に人恋しくなる。気の置けない人々と逢うことで、自分は生きているのだということを確かめたいのかもしれない。孤独ではないのだと、認識したいのかもしれない。
戦闘中、セツナは常に孤独だ。
黒き矛の特性上、仕方のないことだ。圧倒的な力を秘めた兵器なのだ。他の兵士たち、仲間たちと連携して運用するのは難しいのだろう。敵陣の真っ只中に投下されたり、敵軍に向かってたったひとりで突撃するのが、正しい運用方法なのだ。カオスブリンガーが真価を発揮すればするほど、そうならざるを得ない。味方部隊と行動を共にした結果、味方殺しになってしまうよりは遥かにましだ。
孤独はセツナが耐えればいいだけの話なのだ。
戦いが終われば、ファリアやルウファたちと話す時間ができる。それだけで、孤独は埋められた。もっとも、西進軍に配属されてからは、それだけではなくなってしまったが。エインには追いかけ回されることもあれば、ドルカにちょっかいをかけられることも少なくはなかった。アスタルと言葉を交わすこともある。
《獅子の尾》隊長に、孤独を感じる暇はないのだ。
「だから、連れて行ってくださいって。前線でばりばり働きますぜ」
「それは無理でしょ。いくらなんでも」
「ははは、まあ、援護ぐらいならできますって」
ファリアが冷ややかに告げると、ルウファは頭を掻いた。手も自由に動くようだった。だからといって、彼が戦えるような状態にあるとはとても思えない。援護といっても、彼の召喚武装でできることといえば、飛行と羽を飛ばしての攻撃、翼そのものでの攻撃であり、やはり前線に出る必要があるのだ。羽は射程攻撃ではあっても直線的な軌道を描くため、後方からの支援には向かないのだ。もっとも、使いどころさえ考えれば、援護攻撃として存分に機能するだろうが。
それでも、彼の状態を見る限り、気軽に連れて行こうなどという結論には至れない。表面上、ルウファは元気そうに見える。表情も明るく、言葉も軽い。いつも通りの彼がそこにいるのだ。しかし、セツナにはルウファが無理をしているようにしか見えないのだ。虚勢を張っている、というのとは違う。彼の性格を考えれば、全身の痛みを黙殺して、笑顔を取り繕うことくらいできそうな気がした。