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第二千六百三十八話 戦士の休息(一)

 十月二十日になった。

 セツナが長い眠りから目覚め、既に十日ほどが経過している。

 大戦からは二十日近い日数が過ぎているのだ。

 セツナは、眠っている間に取れなかった食事の分まで取り返すかのように食べ続け、また、食べた分だけ消耗するべく激しい運動や鍛錬に汗を流しながら、日々と過ごしていた。

 帝都ザイアスでの日々。

 無論、鍛錬だけに費やされたわけではない。

 ときにはミリュウやシーラに引っ張り出されて帝都を散策したり、エリナと遊んだり、ファリアと時間を過ごしたり、とにかく、女性陣の我が儘に振り回される日々といったほうが近かった。ただし、セツナが楽しくなかったかというとそういうわけではない。

 戦いばかりが続いていた。

 ときにはこうした休息が必要なのは、だれにいわれるでもなくわかっていたことであり、そのため、ザルワーン行きを先延ばしにするべきだというニーウェハインの忠告に従ったのは、間違いではなかっただろう。たとえば、あのまま、ザルワーンに直行して、なにかがあったのだとすれば、消耗しきったセツナになにができるのかといえば怪しいものだった。

 肉体的にも精神的にも回復しなければ、いくらセツナであっても役立たずにならざるを得ないのが現実なのだ。精神力が底を尽きた状態では完全武装などできず、体力を使い果たしていれば、召喚武装を振り回すこともできない。

 戦いが終わったのであれば、体力と精神力の回復を図るのは当然だ。つぎに大きな戦いが控えているかもしれないとなれば、とくに。

 そういう理由もあり、帝都での滞在日数は増える一方だった。

 なにせ、セツナ自身の回復に時間がかかっている。

「御主人様、もうお昼でございますよ」

 と、レムが困ったようにいってくるのは、ここ最近の日課となっていた。

「うーん……もう少し」

 セツナは、掛け布団の中に潜り込もうとした。体が鉛のように重い。肉体的な疲労は取れているはずなのだが、目が覚めても、すぐには動けない日々が続いていた。精神的な問題とも思えないし、どういう症状なのかもわからない。マユリ神がいるなら診てもらえばいいのだが、残念なことに、マユリ神は眠りについていて、マユラ神が表に出てきていた。マユラ神はマユリ神と表裏一体の存在だが、必ずしもマユリ神と同じことができるわけではないらしいのだ。故にマユリ神のように健康診断大会を開催してくれるわけもなく、治癒してもくれなかった。

「もう少し、もう少し、と、何時間寝ているおつもりですか」

「そうです、セツナ。さっさと布団から出るべきです。掃除が捗りません」

 見れば、レムもウルクもメイド服を着込み、誇りを吸い込まないように口元を布で覆っていた。当然、ウルクにはそんな格好をする必要はないのだが、レムの真似をせずにはいられないのか、あるいはレムに無理矢理同じ格好をさせられているのだろう。それを嫌がらないのがいかにもウルクらしい。ウルクは、レムには従順だ。

「うう……またおまえらは俺を邪険にして……」

「邪険にしているわけではございませぬ。あれからもう二十日も立っているのでございますよ? いくらなんでも、だらけすぎにございます」

「だれの迷惑にもならないんだから、だらけたっていいじゃねえかよー」

「掃除の邪魔です」

「……主を塵みたいに」

 恨めしくウルクを見るも、彼女の表情には一切の変化は起きない。魔晶人形だから当然だが、それにしたってなんらかの反応はあって然るべきではないか。そんなことを想いつつ、無理矢理に体を起こす。全身の筋肉に問題はない。肉体的には万全の状態なのだ。だのに、起きるのが億劫という日々が続いている。

「っていうか、掃除なんてそう毎日毎日しなくたっていいだろ?」

「いえ、そういうわけにはいきませぬ」

「先輩の仰るとおりです。ここは我が主セツナの部屋。常に清潔に保っておかなければなりません」

「いや、だったら余計に主の休息を邪魔するのはどうかと想うんだけどな」

「セツナ。わたしはあなたがなにをいっているのかたまに理解しかねます」

「……おい」

 セツナは、取り合ってくれもしないウルクの強情さに憮然として、肩を竦めた。渋々ながら寝台から降りると、ウルクがてきぱきと掛け布団を片付け始める。そしてそのままレムに追われるように部屋を放り出されたセツナは、軽く嘆息して、大きく伸びをした。あくびが盛大に漏れる。

 レムの言を信じれば昼前とのことだが、それが本当ならば、そろそろ昼食の時間ということになる。いまごろ、ゲインが厨房で持ち前の包丁さばきを見せているころだろう。

 セツナたちは、帝都ザイアスの中枢、至天殿の一角をまるまる貸し切り状態で使わせてもらっているのだが、そこの厨房の支配者の如く振る舞っているのがゲインだった。ゲインは、セツナたちの口に合った料理を出せるのは自分だけであり、セツナたちの腹を満たすことが生き甲斐であると息巻いていた。そんなゲインの手料理は、いつだって美味しいものだ。

 ふとした拍子にそんなことを考えれば腹が鳴った。昨夜寝たのは深夜だったとはいえ、昼前まで眠っていたということもあり、腹が減るには十分すぎるくらいの時間が経過している。

(まずは腹ごしらえとするか……)

 そう想ったセツナの足は、厨房に併設された食堂に向かっていた。

 

 食堂に入れば、隣の厨房から漂ってくる芳しいにおいに鼻腔が満たされ、またしても腹が鳴った。今度はさっきよりも一段と大きく、空腹が限界を迎えていることを報せているようだった。

 食堂は広いが、区画そのものがセツナ一行に貸し切りということもあって、セツナたち以外に出入りしているものはおらず、空席ばかりが目立っていた。席を埋めているのは、エスクとネミアのふたりだけだ。そのふたりも食堂の隅っこのほうにかたまっていて、食堂そのものはがらんとしている。

 至天殿は、とてつもなく巨大な宮殿であり、一部の区画をセツナ一行に貸し出したところでなんの問題もないとのことだった。だからこそ、セツナたちも気兼ねなくこの貸し切られた空間で、休息を満喫することができているわけであり、もしそうでないのであれば、速やかに辞退したことだろう。いくら帝国のために尽力したとはいえ、帝国の日常業務に迷惑をかけたくはなかった。

 セツナたちには船があるのだ。寝泊まりするだけならば、船でも十分だった。至天殿で寝泊まりしているのは、ニーウェハインらの厚意を無下にするのも悪いと考えたからでもある。

「これはこれはセツナ様ではあらせられませぬか。セツナ様におかれましては、今日も遅い目覚めのようで」

「おはようございます、セツナ様」

 慇懃無礼という言葉がこれほど似合う男もいまい、と、エスクの言葉を聞きながら想うとともに、ネミアの挨拶の柔らかさには安堵を覚える。

「ああ、おはよう、ネミア。エスクは黙れ」

「なんで!?」

「気持ちが悪い」

「どういうこと!?」

「どういうこともこういうこともねえだろ。ったく」

 セツナは空いている席に腰掛けると、仲睦まじいエスクとネミアの様子を横目に見て、口の端を緩めた。エスクは、抜き身の剣のような男だ。触れるものを傷つけずにはいられないような、そんな気性の激しさを秘めている。彼にはその刃を収める鞘が必要であり、それはかつてのレミルの役割であり、いまのネミアの役割なのだ。ネミアがいなければ、彼はどうなっていたのだろう。

 そんなことを、想う。

 もしも、仮に、あるいは――そういったことを考えるのは、馬鹿げた話だ。現実に“もしも”はない。あるのは起きてしまった結果であり、そこに別の可能性を見出そうとするのは、愚か者のすることだ。しかし、ときにはそのような愚かな行いに躍起になるのが人間という生き物であり、そればかりは否定できない。

 とはいえ。

(ま、いまが幸せならそれでいいのさ)

 少なくとも、エスクはネミアといるときは、穏やかそのものであり、幸福を感じているように見えた。

 セツナは、自分と関わりを持ったひとたちが幸福になることを望み、ここにいる。



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