第二千六百三十五話 風の中の兄弟(四)
しかし、疑問も生まれる。
ルウファは、王都ガンディオンが光に飲まれていく光景を見た。その破滅的で絶望的な光が王都のみならず、王都周辺一帯――つまりガンディア方面を破壊していく様を目の当たりにしているの。そして、その破壊の光が大陸を引き裂き、世界をばらばらにしたことも知っている。爆心地たる王都が無事で済むわけもなく、故にこそ、ルウファたちはガンディアへの帰還を絶望視していたのだ。もはや、ガンディオンはおろか、ガンディア方面そのものが無事であるはずはない。生存者もほとんどいないだろう。だれもがそう想った。そう想っておかしくないほどの光景だった。
滅びの景色。
いまも色褪せることなく脳裏に焼き付いている。
ガンディアの再興そのものは、いい。だが、だれが先頭に立って再興の指揮を取っているのか、旗を掲げているのか、それが疑問だった。あの滅びの景色は、王都の地下に避難していたひとびとをも飲み込み、王都周辺で戦っていたものたちも消し飛ばしたはずだ。セツナが生き残ることができたのはあの瞬間、あの場にいなかったからなのだ。あの場にいたものは、命を落としているのが普通だ。
だとすれば、と、ルウファは、考えたくもないことに思い至り、視線を手元に落とした。茶器から立ち上る湯気が、茶の香りを鼻孔に運んでくる。
「どう? ぼくと一緒にネア・ガンディアに行かない? 義姉さんと一緒に、さあ」
「待て、少し待ってくれ」
「ん?」
「疑問がある」
「疑問って? ああ、だれがネア・ガンディアを率いているかってこと?」
「それもあるが……いろいろだ。いろいろ」
「いろいろ? まあ、いいよ。気が済むまで質問してよ。答えられる範囲で答えるからさ」
ロナンは、終始にこにこしていた。最初からいまに至るまで、ずっと、笑顔を崩さない。ようやくルウファと再会できたことが嬉しいのはわかるし、ルウファとしても、彼と同じように笑い合っていたいという気持ちはある。だからこそ、この疑念、疑問を解消したいのだ。疑問がなくなれば、彼のことを心から受け入れ、素直に笑い合えるはずだ。故に彼は疑問を口にする。
「……おまえは、どうやって“大破壊”を生き延びたんだ?」
「それ、重要?」
「ああ。とてもね」
ルウファは、ロナンの目を見つめた。
「王都が破滅的な光に飲まれたのは知ってるんだよ。見てるんだ。そして、あのとき、王都でなにがあったのか、おおよそのことは聞いている」
聖皇復活の儀式、その成功を妨げるため、幾人もの命が犠牲になったらしい。クオン=カミヤ率いる《白き盾》の幹部たち、ベノアガルドの十三騎士たち、ほかにも何人か。よくはわからないが、ともかく、聖皇復活の儀式を妨害するべく動いたものたちによって、聖皇の復活は妨げられ、“大破壊”が起きたようだ。ルウファたちが見たあの破滅的な光は、聖皇復活の儀式によって生じた膨大な力そのものであり、儀式に失敗し、行き場を失った力が大陸を引き裂き、世界を打ち砕いたのだといわれている。その力が王都に直撃したのだ。生存者など、ありうるものなのか。
「見ての通り、ぼくは死人じゃないよ」
「そこは疑っていない。どうやって生き延びたのか、知りたいんだ」
「難しい質問だね。なんていったらいいのかな」
「なにが難しいんだ?」
「ぼくにだってわからないから」
「ん……?」
「ぼくにも、なにが起こったのかわからないんだよ、兄さん」
ロナンは、困ったような顔をして、いった。
「ぼくはあのとき、《白き盾》のひとたちと一緒にいた。聖皇復活の儀式が執り行われる“約束の地”、そのただ中にいたんだ」
「……どういうことだ? なんでおまえが《白き盾》と一緒に」
「兄さんたちが気になってさ。避難所を抜け出したんだ。そしたら、そこにたまたま偶然、クオンさんがいた。そこから行動をともにしたのはさ、クオンさんの側にいるのが一番安全だからっていう理由だよ。状況的には、もう、どうしようもなかったもの」
「……そうか」
としか、いいようがない。
そして、彼が嘘をいっているわけではないことは、その表情や態度から見て取れる。ロナンが嘘をつくときはいつだってわかりやすい。それにクオンの側にいるのが一番安全だったというのは、紛れもない事実だろう。クオンの召喚武装シールドオブメサイアは絶対無敵の盾だ。その庇護下にあれば、どのような被害からも逃れられる。
しかし、だとすれば、余計にわからなくなる。
クオンたちは、死んだ。
聖皇復活の儀式を防いだために、命を落とした。セツナはそう考えている。それも、なんの情報もない憶測や妄想などではない。クオンたちとともにいた十三騎士たちが死亡した事実があり、それがクオンたちの死を確定させていた。クオンが、自分自身を護るためだけにシールドオブメサイアの能力を用いるとは、考えにくい。おそらく、十三騎士たちもその守護下に置いていたはずだ。それが死んだ。つまり、クオンも命を落としたと考えるのが普通だろう。
ならば、なぜ、ロナンは生き延びたのか。ロナンだけが生き延びることができたのか。いや、違う。
「クオンたちは死んだんじゃないのか?」
「死んでないよ。皆、生きてる」
ロナンは、まっすぐにルウファを見つめてきた。そのまなざしには、嘘は見えない。すべて本心、本当のことをいっているだけといわんばかりだった。
「クオンさんたちだけじゃない。大兄さんも、父上も、陛下も、みんな、生きているよ」
「なにを……いっている」
「本当のことさ」
ロナンは、微笑む。
「ネア・ガンディアには、なにもかもがあるんだ。兄さんもおいでよ。大兄さんも、父上も、きっと喜ぶと想うよ。陛下だって、さ」
「兄上も父上も無事なのか? 陛下も……」
「うん、無事だよ。皆、生きている。だからさ、兄さんを迎えに来たんだ。一緒にネア・ガンディアの未来のために尽くそう、兄さん」
ロナンがルウファを騙そうとしていないことは、彼の言動や態度からも明らかだった。すべて本音、本心からの言葉であり、誘いだった。故にルウファは魅力を感じずにはいられなかったし、激しく動揺していた。皆、無事だという。生存を絶望視していただれもが生きていて、ガンディア再興のために動いているというのだ。ガンディア王家の家臣としての誇りを抱き続けるルウファには、これほど魅力的な提案などなかった。
リョハンでの生活に慣れ、リョハンで生きていくことを心に決めたとはいえ、ガンディアが再び動き始めたというのであれば、その旗の下に馳せ参じたくなるのはひとの情というものではないか。
なにより、父と兄に逢いたいという気持ちが、降って沸いたように心を埋め尽くす。
ずっと、心残りだった。
偉大なる父アルガザードと敬愛する兄ラクサスを王都に残したまま、自分は、王都を離れ、生き延びた。家族を見殺しにするも同然の行い。それ以外道はなかったとはいえ、それでも、心に刻まれる傷口は深く、大きい。しかも死に別れたと想っていたのだ。あまり考えないようにしていたとはいえ、ふとした瞬間、父と兄、弟のことを思い出し、噎び泣くことがあった。
それが、生きている、という。
逢いたい。
けれども、彼は、拳を握り、ロナンを見据える。
「……まだ、疑問は残っているぞ、ロナン」
「まだあるの?」
「おまえは、どうやってここに来たんだ? その質問に答えてもらっていない」
そういうのが精一杯だった。
声が、掠れていた。