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第二千六百三十四話 風の中の兄弟(三)


「当たり前だろう」

 ルウファは、背もたれに体を預けながら、告げた。

「ここはリョハンの空中都だぞ。だれもが容易く入れるような場所じゃない」

 リョハンは、世界最高峰の峻険リョフ山に築かれた三層構造の都市だ。リョフ山の麓に開かれた山門街、リョフ山中腹辺りの大空洞に抱かれた山間市、そして頂に築き上げられた空中都という三つの居住区からなり、普通、空中都に至るためには山門街から入らなければならない。ルウファのように飛行能力を持つ召喚武装の使い手や、飛竜やウィレドたちならば、山道を通らずとも空中都に辿り着けるが、だとしても、だれの了解もなく空中都に入ることは許されない。

 リョフ山は、リョハンの守護神マリクの庇護下にある。たとえ飛行能力を有していても、空中都内部に入り込むには、マリク神の守護結界を突破しなければならないのだ。

 ドラゴンの中でも、ラムレス=サイファ・ドラースの眷属たちや、アガタラのウィレドたちのように特別な許可を得ていれば、自由に出入りすることも可能だが、そうではない場合、許可が降りるまで山の外で待機するほかない。

 ただし、許可がなくとも守護結界内に入ることのできるものがいる。

 それは、人間だ。

 マリク神の守護結界は、リョフ山全体を世界に満ちた神威より護ることを優先しており、ドラゴンや皇魔まで結界に弾かれるのは、その影響だという。人間だけは元々素通りできる結界だが、それは、リョハンに暮らすひとびとのことを考えれば、当然かもしれない。

 故にロナンが結界を通過することそのものは、なんら不思議なことではない。彼は、見たところただの人間だ。人外ならば、結界を通過することはできないのだから、人間と保証されたともいえる。しかし、だとすれば、彼が山門街から入ってこないのはおかしな話だ。

 山門街から入ってくるのであれば、山門街において入山許可証を発行してもらわなければならず、そのために数日、山門街で待機しなければならない。

 入山管理局が、様々な情報と照らし合わせ、許否を判断するためだ。ヴァシュタラ教会信徒の入山は断られることが多く、たとえ許可されたとしても監視下に置かれることがほとんどだ。

 ロナンは、ヴァシュタラ教徒ではない。が、その名を見れば、ルウファとの関係性を考えるだろうし、即座に彼の元に情報が届くはずだ。そして、確認を取られるだろう。ロナン=バルガザールという人物が、入山許可を求めている、と。

 それがなかった。

 つまり、ロナンは正規の手続きで入山したわけではないということだ。

 もちろん、人間である以上、結界を通過することは可能だ。だが、だれにも見つからず、山門街から空中都まで辿り着けるかというと、不可能に近い。リョフ山内部には、常に護峰侍団の監視の目が行き届いており、部隊が巡回してもいる。そういった監視の目を盗み、麓から頂まで登るとなると、困難を極めるのは間違いない。

 しかし、そんな彼の疑問は、エミルがお茶を持ってきたことで一端心にしまわなければならなくなった。エミルの前では、ロナンを問い詰めることは出来ない。

「おふたりとも、暖かいお茶が入りましたよ」

「ああ、ありがとう」

「ありがとう、義姉さん」

 ふたりしてエミルに感謝の言葉を述べると、彼女はきょとんとした。その反応の意味がいまいちわからず、彼は問うた。

「どうした?」

「やっぱり兄弟ですね。笑顔が本当にそっくりで」

「そうかな?」

「ふふふ、それは嬉しいな」

 見れば、ロナンの笑顔は、記憶の中にある彼の心からの笑顔と重なるから、質が悪い。というのも、ルウファは彼にひとつの疑念を持っていて、心の底から信用できていないからだ。にも関わらず屋敷内に招き入れたのは悪手にほかならないだろうが、あのときばかりは致し方のないことだ。動転していた。疑念は、冷静さを取り戻すうちに湧いてきたのであり、最初から疑ってはいなかった。

 その疑念にも、疑いを持つ。

 本当に怪しいのか。怪しむこと自体、彼に失礼なのではないか。

 彼が、本物のロナンなのは、そこだけは疑う必要はない。なにものかがルウファを騙すためにロナンに変身するという可能性は皆無とはいえないが、限りなく低いだろう。そういった能力を持つものが、ルウファにロナンという弟がいて、ロナンの容姿を知っていなければならないはずだ。そこまで考えずとも、ロナンの言動を見る限り、本人であることに関する疑念は持ちようがなかった。

 だが、やはり、この空中都に彼がいることに関しては、問いたださなければならない。そしてそのためには、エミルには席を外してもらったほうがいいだろう。エミルは、優しく物分かりの良い助勢だ。義理の弟であるロナンとも仲良くしていて、だから彼女は彼との再会を心から喜び、疑いもしない。そんな彼女の前でロナンを問い詰めるというのは、やりづらいことだ。

 こと、家族に関する問題は、極めて繊細に、慎重に扱わなければならない。

「エミル。少しの間、席を外してもらえないか。ロナンとじっくり話をしたいんだ」

「はい。積もる話もあるでしょうし……わたしはあとで、ゆっくり話を聞かせてもらうとします」

「また、あとでねー」

 エミルはルウファの指示に従い、編み物の入った籠を持って別室に向かった。そんなエミルの背に向かって手を振るロナンの姿は、やはり、昔ながらの末弟の反応そのものだ。なにを疑う必要もない。紛れもなく、ロナン=バルガザールそのひとであり、だからこそ、彼は苦渋に満ちた気持ちになる。なぜ、最愛の弟を疑わなければならないのか。彼はどこをどう見ても実の弟ではないか。その事実だけで十分ではないのか。

 だが、しかし、ルウファは、このリョハンにおける守護天使、六大天侍のひとりなのだ。リョハンの秩序のため、リョハンの平穏のため、疑いは晴らさなければならない。逆をいえば、ロナンの疑いが晴れれば、公然と一緒に暮らすことだって可能だという話でもあり、だからこそ、彼はロナンに問うた。

「……本当のことを話して欲しい」

「本当のこと?」

「どうやって、ここまで来たんだ?」

 ルウファがロナンを見据えると、彼は少しばかり面食らったような顔をした。真剣な話をするつもりもなかった、とでもいわんばかりの反応だが、ロナンらしいといえばらしい態度だ。

「先もいったが、空中都に至るには、山門街で入山許可を得なければならない。入山許可を得るには、最低でも数日の調査期間が必要だ。そしてその間、おまえの名を見た管理局の人間が俺に報告に来ないわけがない。それがなかったということはつまり、おまえは正規の方法で山を登ってきたんじゃない」

「さすがは兄さん。名推理だね」

「なにがだ。リョハンの人間ならだれでも考えつく程度のこと」

「そっか……兄さんは、リョハンの人間なんだ?」

「なにかおかしいか?」

 ルウファは、弟のいいたいことがわからなかった。“大破壊”以来、二年以上もの間、リョハンで生活し、リョハンに世話になっている。名実ともにリョハンの人間であり、このまま何事もなければ、リョハンで人生を終えるのも悪くはないと想っていた。それが、ロナンには気に食わないというのか。

 ロナンは、茶器を卓の上に戻すと、ゆっくりとこちらに視線を合わせた。淡い青の瞳が、妙にあざやかに見えた。

「ぼくは、兄さんと義姉さんをガンディアに招き入れるために、こうして出向いたんだよ」

「ガンディア? 招き入れる? おまえ、いったいなにをいって……」

「ネア・ガンディア」

「……ネア・ガンディア?」

 反芻し、眉根を寄せる。言葉そのものの意味は、理解できる。だが、新生ガンディアがなにを意味しているのかは、わからない。いや、言葉の意味を考え、なおかつロナンがここにいる理由を想像すれば、なんとなく思い浮かばないこともない。

「ガンディアが再興した、とでもいうのか?」

「そういうこと」

「本当なのか? それは……」

 思わず腰を浮かしそうになりながら、ルウファは声を上擦らせた。手も足も震えていた。

 それが本当ならば、大事件も大事件だった。

 ガンディアは、彼の生まれ育った国であり、彼が人生を捧げんとしていた国なのだ。最終戦争によって領土のほとんどすべてを失い、“大破壊”によってなにもかもが失われたかに想われていた。実際、“大破壊”の光が王都を飲み込むという絶望的な光景を目の当たりにしているのだ。ルウファたちがガンディアへの帰還を望まなくなったのは、現実を知ったからだ。

 もはや、ガンディアに戻る手立てはない。

 だが、ロナンのいうとおり、ガンディアが再興したというのであれば、話は別だ。



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