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第二千六百三十二話 風の中の兄弟(一)

 十月にもなれば、中央ヴァシュタリア大陸北部は、寒気に覆われているのが常だ。

 元々、冬の長い地域ではあったが、“大破壊”以降、寒暖の差が少なくなってきているようだった。冬が長いのだ。とにかく長い。一年の大半が冬に類別してもよく、春も夏も秋も、短かった。夏など、あっという間だ。あっという間に訪れて、去って行く。

「まるで風のようだな」

 ふと思いついたことをつぶやくのが悪い癖だということはわかっていたが、いってしまったものは仕方がない。そして、いってしまえば風に乗ってどこかへ消えていくものだ。もっとも、今回は、反応があったため、彼の思いつきの独り言は、独り言にならなかった。

「なにがですか?」

「リョハンの夏だよ」

「ぴったりじゃないですか」

「え?」

 ルウファ=バルガザールは、妻の思わぬ一言に怪訝な顔をした。彼女は、先程から暖炉の前で編み物をしていて、彼の独り言に茶々を入れては話を広げるということを繰り返していた。それが彼と彼女の日常といってもいいが。

「風のようなあなたには、ね」

「む……? それは褒め言葉と受け取って良いのかな?」

「もちろんですよ、あなた」

 ぱちぱちと音を立てて燃える暖炉の火に照らされたエミルの横顔は、はっとするほどに美しい。

 彼女に見取れるのは致し方のないことだ、と彼はだれに弁解するでもなく認めた。心より愛し、求め、想い合った末、ようやく生涯の伴侶として誓い合ったのだ。その想いはいまも変わらない。いやむしろ、さまざまな困難を乗り越え、深まったといえるだろう。

 だから、このような静かな一日があっても悪くはない、と思えた。

 以前は、そうではなかったかもしれない。

 輝かしくも懐かしいガンディア時代。王立親衛隊《獅子の尾》の副隊長だった彼は、日々、職務に追われるように生きていた。本来ならば隊長が請け負うべき仕事も、彼と隊長補佐が引き受けていたからだが、それは隊長が無能だからではない。むしろ、有能すぎるからこそというべきだった。

 隊長があまりにも強すぎるから、戦闘以外のことで煩わせるべきではない、という上からの指示があったのだ。故に、隊における様々な仕事を副長と隊長補佐のふたりで引き受けることとなったのだが、それが忙しい日々の始まりであり、同時に充実した日々の訪れでもあったのだ。

 あのころは良かった、などといって、いまを否定したり蔑ろにするつもりは微塵もないが、たまには、懐かしく思うのも悪くはないだろう。今日は、休日。そういうことが許される一日だ。

「俺が風のようなら、あのひとは、嵐のよう、かな」

「セツナ様ですか?」

「わかる? さすが俺の妻だ」

「ふふふ……あなたがそうやって気を遣う方となれば、セツナ様以外にいないでしょう」

「そう……かな」

「そうですよ」

 エミルがいうのだから間違いはないのだろうが、ルウファとしては、多少、腑に落ちないところがあった。

「そんなに気を遣ってるかな?」

「ええ。とても」

 彼女は手を止め、こちらを見た。暖炉の火が瞳を輝かせている。

「とても大切にされているように、窺えますよ」

 だれよりも近くで彼のことを見てきた彼女がいうのだ。やはり、間違いはあるまい。彼女のいうとおり、彼は、セツナのこととなると気を遣い、慎重に言葉を選んだりするのだろう。深く思い返せば、そういうところもあったかもしれない、と、思い当たる部分もないではなかった。

 やはり、大切な想い出なのだ。

《獅子の尾》時代ほど、ルウファの人生を動かしたものはなかったし、あの数年が彼の将来を決めたといっても過言ではあるまい。無論、その前提として、グロリア=オウレリアとの修行時代があったればこそであり、そこがなければ、セツナとの出逢い自体、大きく異なったものになっていただろう。バルガザール家のぼんくら二男として、どこの馬の骨とも知れないセツナに食ってかかっていたかもしれない。

「まあ……そうですね。嵐……それも敵も味方も関係なく巻き込む、大いなる嵐……でしょうか」

「味方にとっては頼もしく、敵にとっては恐怖以外のなにものでもない……そんな嵐だった」

「いまもご健在で」

「ご健在どころか」

 彼は、妻の言い様に思わず吹き出しかけた。エミルも、セツナとの再会を果たせているのだが、彼女がそんな風にいったのは、セツナの戦いぶりを目の当たりにしてはいないからだ。

 ルウファは、目の当たりにした。圧倒的な力を持つ神を相手に大立ち回りを演じるセツナの姿は、いますぐにでも思い出せる。

「とんでもなく強くなっていたよ、隊長」

 尊敬と愛を込めて、そう、呼ぶ。

 ルウファにとっては、どこまでいってもセツナは隊長なのだ。自分の尊敬すべき上官であり、指針となる人物。それは、この先、ふたりの立場がどのように変遷したとしても、きっと変わらないはずだ。あの濃密過ぎて余りある数年間は、ルウファの血肉となって息づいている。いまこうして六大天侍のひとりでいられるのも、あの日々を乗り越えたからなのだ。

「とんでもなく……さ」

「ファリア様も……ミリュウさん、エリナちゃんも、そんなセツナ様となら安心ですね」

「ああ。なんの心配もいらない」

 確信を以てうなずき、彼は椅子から立ち上がった。暖炉より少し離れた場所に置かれた椅子からは、エミルの様子がよく見えるのだが、それは逆もまた然りということでもある。

「どうかされました?」

「ん……?」

 ルウファは、エミルに尋ねられて、困惑した。自分でもなぜ席を立とうとしたのか、わからない。便意を催したわけでもなければ、飲み物が必要になったわけでもない。ましてや、エミルとの会話に飽きることなど、ありえるはずもない。ふたりして同じ日に休めることなどそうあるものでもないのだ。一日中、ふたりきりでいることになんの不満もなかったし、むしろ、そのために一日を費やせるという贅沢さと幸福感は、格別なものだ。

「いや……別になんでも、ないんだ」

 座り直そうとして、止まる。

 自分がなにをしようと考えていたのか思索し、頭を振る。なにかを考えていたわけではない。無意識に席を立とうとした。なぜ。椅子が揺れ、その反射で、というのであればわからなくはないが、そもそも地震でもなければ椅子が突然揺れるわけもないのだ。

 では、なぜか。

 虫の知らせのようなものかもしれない。

 ふと、そう思い至り、彼はそのままエミルに歩み寄った。こちらが近づく気配に気づいて手を止めた彼女を優しく抱きしめれば、くすくすと笑った。

「なんでもない?」

「ああ、なんでもない」

 それから、軽く口づけをして、見つめ合い、笑い合った。なんでもないことだ。本当に他愛もない。こういう安らぎが持てるようになったのは、つい最近のことといっていい。それは誇れるようなことではなかったし、喜ばしいことでもない。だがそれでも、前に進み続けて来られたのだ。これから先、このような他愛のない日常が続くと信じれば、少しは増しな未来が待っているのではないか。

 そんなことを考えながら、彼は愛する妻を名残惜しみつつ腕の中から解放した。彼女には、この冬を乗り越えるための編み物を続けてもらわなければならなかったし、彼にもやらなければならないことがあった。今度は、妙な胸騒ぎがした。

「少し、外を見てくるよ」

「はい。お気をつけて」

「ああ」

 ルウファは、エミルに見送られながら居室を出て、まっすぐに玄関に向かった。最初の虫の知らせは、胸騒ぎとなって彼の心を動かしている。その正体がなんであるかを突き止めなければ、どうにも落ち着きそうになかった。もちろん、なにもない可能性のほうが大きい。なぜならば、彼は第六感とか、霊感とか、そういったものを持ち合わせていないからだ。ただの悪寒という可能性もある。体調の悪化が肉体的な反応となって現れただけではないか。

 それならばそれで、いい。

 エミルは医師だ。彼女に診てもらえば、すぐに良くなるだろう。

 ただその前に確認しておくべきだと思ったのだ。胸騒ぎの正体。胸騒ぎは、屋敷の外に彼を誘おうとしていた。そして玄関に辿り着いた彼は、厚い扉を開き、屋敷の外に出た。七大天侍に任命された後、エミルとの生活のために手に入れた屋敷は、空中都の中心からはかなり離れている。が、職務上、中心部から離れることの不利益はそう多くはなかった。そのため、中心から離れた場所にしたともいえる。

 とはいえ、周囲には人家も多く、決して閑散としているわけではない。うるさくもなく、寂しくもない、ちょうどいい塩梅の区画といっていいだろう。

 そんな屋敷の前庭に人影があった。

 思わず警戒し、呪文を唱えようとした矢先、その人影はこちらに向かって駆け寄ってきて、こういったのだ。

「久しぶりだね、兄さん」

 血色のいい肌の少年は、そういうなり、にこりと笑った。

 笑うと、彼の弟ロナン=バルガザールそっくりの童顔になった。



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