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第二千六百二十八話 遠い記憶

 夢を見た。

 おそらくとても懐かしい夢だったのだろう。なぜだか涙が溢れ、止まらなかった。泣き叫んでいた気さえする。いや、気のせいではない。泣いて、叫んでいたのだ。もはや二度と戻れない、遠く懐かしい日々、遙か故郷の光景、様子、記憶を目の当たりにして、感情が激しく揺さぶられていた。

 晴れ渡る青空。遠い太陽。日差しは強く、けれども決して鋭くはない。暖かく、穏やかだ。春だったのだろう。川辺の道。桜並木が目にも鮮やかで、はしゃぎ回っていた記憶がある。

 記憶。

 そう、それは記憶だ。

 いまはもう想い出すこともなくなった遠い過去の記憶。いつの間にか封じ込めていたはずの記憶。想い出。どうして? どうして、封印していたのか。想い出せない。封じていたことはわかるのに、なぜ封じていたのかはまったくもって想い出せなかった。

 風が吹いて、桜の花びらが舞った。その中を踊る自分がいて、母がいて、もうひとり、だれかがいる。こちらを見て、母と一緒に嬉しそうに笑っている。笑ってくれている。それが嬉しくて、余計にはしゃいでしまう。覚えている。いや、想い出した。

 父親。

 父親の記憶。

 幼い頃に死に別れた父親の――。


 真っ先に視界に飛び込んできたのは、ぼやけた視界だった。次第に焦点が定まり、薄明るい部屋の豪華な天井の形がはっきりとしてくる。豪華、という印象を抱いたのは、複雑で精緻な細工が施された天井だったからだ。一般的な家の一室ではないのは見るからに明らかだった。寝心地の良い寝台も、高級品に違いない。

 いったいどこの高級住宅なのか。ぼんやりとそんなことを想っていると、

「意識がお戻りになられたのですね、御主人様」

「レム……か」

 声のした方向に顔を向ければ、いつもの格好に戻ったレムが椅子に座っていた。いわゆるメイド服という奴であり、黒を基調としたそれは、彼女が自分の立場や役割を示すために愛用しているものだ。彼女は、相も変わらぬ笑みを浮かべていたが、その笑顔には、深い喜びが刻まれていた。セツナの覚醒を喜んでいるようだった。はたと、気づく。

「……ん? その口ぶりだと、長い間寝ていたみたいだな?」

「はい。御主人様は十一日間、眠り続けておられました」

「十一日……」

 思わず反芻し、唖然とする。

「寝過ぎにございます」

「まったくだ……」

「ですが、統一帝国を存亡の窮地から救った英雄には、それくらいの休養はあって然るべきとの陛下のお言葉もございますし、わたくしどもも無理に起こさず、御主人様が目覚めるのを待っていた次第でございます」

「ありがたい話だな……」

 皮肉でもなんでもなくそういって、天井を見上げた。疲労は取れている。体力も精神力も完璧に近く回復している。だからこそ目を覚ますことができたのだろうし、意識も次第にはっきりとしてきていた。頭も回り始める。

「ってことは、ニーウェ……ハイン陛下は、もう政務を行われているのか」

「はい。あれだけの戦いですから、戦後処理が大変のようでございますね」

「そりゃあそうだろうな……」

 しみじみとうなずきながら、ニーウェハインたち帝国首脳陣のこれからを想った。戦後処理だけではない。統一帝国を統治運営していくことも、大変だろう。とはいえ、北大陸からの侵略の可能性は潰えた。ナリアはある意味滅び、帝国領土が狙われることはなくなったのだ。南大陸の統治に専念できるのだから、少しはましになったとはいえるかもしれない。

「そうでございます。皆様に御報告差し上げなければ……」

 レムは、想い出したように席を立つと、セツナにお辞儀をして、そそくさと部屋を出て行った。セツナの覚醒をファリアたちに伝えに行ったのだろう。

 セツナは、ひとりきりになった。

 彼は上体を起こすと、ひとり眠るには広すぎる部屋にいることを知り、苦笑した。きっと、ニーウェハインが手配してくれたのだろうが、いくら救国の英雄扱いとはいえ、やりすぎではないかと想わずにはいられなかった。もちろん、その気持ちは嬉しかったし、素直に受け取るつもりではいる。

 ゆっくりと、息を吐く。

「生きている」

 自分は、生きている。

 父は、死んだ。

 ずっと昔。

 セツナが幼い頃のことだ。

 理由は覚えていない。やはり、記憶の奥底に封じ込められていて、思い出そうにも思い出せないのだ。どうして封じ込めたのか、その理由すらわからない。ただ、父と死に別れ、それ以来母とふたり暮らしだったことは覚えている。

 なぜ、今頃になってそんなことを思い出したのか。

 理由は、わかっている。

 セツナの脳裏に黒い男が浮かんだ。ナリアを滅ぼす直前に現れ、ナリアを吸収してしまった男。セツナやニーウェハインによく似たその姿は、記憶の中の父に完璧に近く重なった。まるであのときの父が目の前に現れたようだった。あのとき咄嗟には思い出せなかったのは、それくらい記憶の封印が強固であり、長い眠りがなければ解き明かされなかったからに違いない。そして、長い眠りは、記憶の封印を弱め、蘇らせた。

 まるでセツナに警告するかのように。

「おまえは……だれだ」

 セツナは、脳裏に浮かんだ男に向かって問うた。人間ならざる神なる男が、セツナの父親であるわけがない。それは疑いようのない事実だ。セツナの父親は死んだ。葬式も行われ、墓もあった。墓参りもした。そういった記憶がつぎつぎと脳裏に浮かんでは消えた。本物の父親ではない。なにものかが、なにがしかの神が、セツナの父親の姿を装っているだけに過ぎない。神の力を持ってすれば姿形を変えることくらい造作もないだろうし、人間を演じることくらい容易いことだ。そして、人間社会に紛れ込むに当たって、人間の姿を取ることもわからなくはない。

 疑問があるとすれば、なぜ、セツナの父の姿をしているか、だ。

 それも、セツナの目の前に現れ、そのことを主張しようともしなかった。なんの意味があるのか、なんの意味もない戯れなのか、ただ、セツナを嘲るため、その場限りに変身をしたのか。

 そんな答えのない考えを巡らせていると、部屋の外からも物凄まじい音が響いてきた。建物全体が激しく揺れるほどの物音の発生原因は、想像も容易い。ミリュウたちだろう。レムにセツナの覚醒が伝えられ、全速力でこちらに向かってきているのだ。

 セツナは、父の姿をした神のことを掻き消すと、扉に視線を向けた。部屋の広さに相応しい豪奢な両開きの扉が、勢いよく、弾けるように開かれると、真っ先に飛び出してきたのはだれあろうウルクであり、彼女の加速力にはミリュウもエリナも唖然とするほかないといった様子だった。

「セツナ!」

「ちょっ……ずるいわよ!? ウルク!?」

「ウルクお姉ちゃん、ずるーい!」

「ずるいもなにもないでしょ……」

「いやでもあれはずるくねえかな」

「そうでございますね……」

「そうかしら……」

「ファリア殿には乙女の機微がわからんと見える」

「どういうことよ」

「まあまあ……セツナ様も意識を取り戻されたばかりですしあまり大騒ぎをされるのはどうかと……」

 といって、皆を執り成そうとしたのは、ミレーユであり、押し合いへし合いしながら大きな扉を潜り抜けてきたのは、ウルクナクト号の仲間たち全員といったところだったが、セツナがそれを確認できたのは、しばらくあとのことだった。魔晶人形の運動性能を最大限に活かして最速で寝台側を確保したウルクがその勢いよろしくセツナを抱きしめ、魔晶人形の躯体性能を危うく全力で抱き竦められ、激痛の中で意識を失いかけたからだ。

 セツナが加減を忘れたウルクの抱擁に悲鳴を上げれば、ミリュウを始めとするその場に集まっただれもが大騒ぎに騒ぎ、おそらく部屋の外に控えていたのだろう護衛の兵士たちまでもが室内に飛び込んでくるほどの騒動となったのだった。

 セツナは、懐かしい痛みの中で生きている実感を覚え、喜べばいいものか、泣けばいいものかよくわからない感情に振り回された。


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