第二千六百二十六話 ニヴェルカイン(二)
「これはいったい全体……どういうことなんです?」
「陛下……ではない?」
「じゃ、じゃあ陛下は、陛下はどこ!?」
三者三様の反応を見せたのは、ニーウェハインの腹心たる三武卿たちだ。光武卿ランスロット=ガーランド、剣武卿シャルロット=モルガーナ、閃武卿ミーティア・アルマァル=ラナシエラ。ニーナとともにセツナたちの元に現れた彼らは、ニヴェルカインの姿を目の当たりにして、困惑していた。
ニーナは、まだ理解している。
彼女は、ニーウェハインが神に転生する光景を見届けたのだ。その後、すぐさま戦場から転送されたものの、マユリ神からなんらかの説明を受けている可能性が高い。しかし、ランスロットたち三武卿の反応を見る限りは、彼らには説明がされていないか、されていても、大したものではなさそうだった。少なくとも、ニヴェルカインの正体については知らされていないようだ。
「ニヴェルカイン様が、陛下だった」
三武卿を静めるように告げたのは、ニーナだ。そのまなざしは、ニヴェルカインに注がれている。ニヴェルカインはといえば、慈しみに満ちた表情で彼らを見ていた。帝国臣民の祈りによって生まれた神だ。信徒たる帝国臣民には慈愛を注ぐものなのだろう。
「はい?」
「え?」
「ど、どどど、どういうことですか!?」
「そのままの意味だ。ニーウェハイン皇帝陛下が、ニヴェルカイン様になられたのだ。そう……ですよね、ニヴェルカイン様」
「然様」
ニヴェルカインは、ただ一言、そういった。その厳かな態度、仕草は、どれをとってもニーウェハインと似ても似つかない。だが、神としての威厳はあり、その威光たるや、帝国将兵たちが無意識にも平伏するくらいだった。シーラまでもが居住まいを正している。
一方、三武卿は、納得しかねるといった様子だ。
「いや、でも……はあ?」
「まったく理解できませんが」
「納得もできませんよお」
「理解も納得もしなくていい。陛下が神になり、統一帝国を護ってくださった。それが現実であり、事実だ」
「じゃ、じゃあ……これから先、どうなるんですか? 陛下のいない日常なんて、考えたくもないんですけど!」
「ミーティアに同意ですが……しかし……」
「右に同じ!」
「受け入れられないのもわかるが……致し方のないことなんだ。致し方のないことなんだよ」
ニーナは、自分に言い聞かせるようにいい、頭を振った。受け入れがたいのは、彼女も同じだろう。彼女とて、ニーウェハインが神に生まれ変わるなどとは想ってもみなかったに違いないのだ。ニーナはきっと、マユリ神にニーウェハインを救う方法を教えられ、あの場に現れた。事実、それが唯一ニーウェハインをナリアの支配から解き放つ方法だったのかもしれないが、しかし、人間としてのニーウェハインは消えてなくなるのでは、意味があるのかどうか。
ニーナは、ニーウェハインを元に戻したかった。だが、神人化、使徒化したものを元に戻す方法はなく、唯一の打開策として、マユリ神は、ニーウェハインを神に生まれ変わらせた。その事実をニーナに伝えていなかったのは、想像に難くない。マユリ神は、勝利のためならば、あらゆる手を尽くすと明言していた。ニーウェハインの神化も、その手のひとつだったのだろう。
その事実を知ったあと、ニーナはマユリ神を問い詰めたことだろうが、マユリ神は、どのように説明したのか。マユリ神のことだ。懇切丁寧に説明したかもしれない。ほかに方法はなく、あれ以外の手はなかったと、伝えたのかもしれない。
理屈はわかる。
白化症に冒され、神人となったものはもはや救えないという厳然たる事実があり、さらに使徒と化していただろうニーウェハインには、もう手の施しようがなかったのは間違いない。滅ぼす以外、対処のしようのない敵であり、そうである以上、セツナには手の打ちようがなかった。ニーウェハインを殺すわけにはいかないが、殺す以外の道はない。だからこそ、マユリ神はニーウェハインを神に生まれ変わらせるという荒技で事態の打開を図ったのだ。実際、ニヴェルカインへと生まれ変わった彼は、セツナの味方となり、セツナとともにナリアを討つことに成功した。
ニヴェルカインの助力がなければ、最終的にあそこまで一方的な戦いにはならなかっただろう。
とはいえ。
「致し方がないって……そんなの、ニーナ様は納得できるんですか?」
ミーティアがニーナに食ってかかるが、ニーナは、困り果てたように顔を背けるだけだ。彼女としても受け入れられるものではあるまい。ニーナにとってニーウェハインは、愛しい実弟である以上に大切な存在なのだ。神へと生まれ変わったことを受け入れるということは、ニーウェハインの死を認めるようなものではないか。
「ニーウェハイン陛下が……あの神様なの?」
「ああ」
「人間って神になれるものなのか」
「……いろいろな条件が積み重なった結果だよ」
説明するのも面倒くさい話ではある。
普通、人間は神になどなれない。神はひとの祈りより生まれる。ニーウェハインが神に転生することができたのは、彼の肉体が特別であり、また、ナリアが帝国領土に築き上げた信仰の機構を利用することができたからだという。神化した肉体、異界化した肉体、信仰の土壌、そして、彼自身が勝ち取った帝国将兵からの信頼、帝国臣民からの信仰心、そういった様々なものが積み重なり、彼は神に生まれ変わった。
「納得……するしかないんだ。あのままでは、陛下はセツナ殿に討滅されるほかなかった。が……セツナ殿はそれを躊躇い、結果、戦況は悪化の一途を辿っていた。戦況を好転させ、なおかつ陛下の魂を救うには、この手しかなかったのだ」
ニーナは、やはり、自分自身の心に向かって告げているようだった。心情的にはまったくもって納得できないし、理解したくもないことを強引に説き伏せるような、そんな迫力があった。そんなニーナを見ていると、心が苦しくなった。セツナがもう少し上手く戦えていれば、あのような状況にはならなかったのではないか。そんな、ありもしないもしもの可能性に思い立ってしまう。それがいかに無意味なことなのか、知らないはずもないのにだ。
「だが、汝は心の底からそう想ってはいまい」
ニヴェルカインが、ニーナに声を投げかける。ニーナが当惑したのは、ニヴェルカインのまなざしがあまりにも優しかったからかもしれない。ニーウェハインとそっくりの、それでいてどこか異なる容貌。金色の輝きは、神々しく、威厳に満ちている。
「……いえ、それは……」
「否定せずともよい。汝が心の内、手に取るようにわかるぞ」
そして、ニヴェルカインは周囲を見渡すようにしてみせた。
「汝らは、ニーウェハインを求めている。我ではなく、ニーウェハイン・レイグナス=ザイオンを。彼こそ、この地における神であり、必要不可欠な存在である、とな」
ニヴェルカインの声音は、常に優しく、穏やかだ。自分の存在をみずから否定するような言葉を紡ぎながらも、慈愛に満ちたまなざしには一変の曇りもない。
「ならば、神たるものの務め、ここに果たそうではないか」
「え……?」
「それはいったい……」
セツナも、ニーナと同じく、ニヴェルカインの発言に困惑を隠せなかった。いや、セツナとニーナだけではあるまい。その場にいただれもが、神の言動が理解できなかったはずだ。そして、その後に起こる事象について、想像もつかなかった。
ニヴェルカインの全身がまばゆい光を発した。その光は、目に刺さるような強烈さでありながら、しかし、痛みはなく、むしろ包み込むような優しさがあり、だれもがその光の中に安らぎを覚えただろう。やがて光が収まれば、すぐに目が慣れてくる。そして、驚愕するのだ。
「ニーウェ!?」
真っ先に叫び、駆け寄ったのは、ニーナだった。
ニヴェルカインが浮かんでいた場所、その真下の地面に、ニーウェハインの姿があったのだ。