第二千六百二十三話 白と黒(十五)
光明神ナリアを象徴するような恒星の表面に立つ少女を確認できたのは、単純に、セツナの視力が完全武装やマユリ神の加護、ニヴェルカインの加護によってとてつもなく強化されているからであり、少女が宇宙からでも見えるくらいに巨大だったわけではない。
それがなにものなのか、想像は付く。
ナリアだ。
光明神ナリア、その本来の姿なのだろう。
しかし、その姿は、マリシアを依り代とするナリアとは大きく異なるものだった。マリシアの容姿が気に入っているからなのか、それとも、依り代を大きく変容させられない事情があるのか、いずれにせよ、本体の幼くすらある姿は、マリシアの姿からは想像もつかないものだった。だからといって、驚きはない。
神は、ひとの祈りによって生まれる。
つまり、その姿形もひとの祈りを由来とするはずだ。
光明を司るほどの神が醜悪な姿をしているとは思えなかった。
「あれがナリアの本体」
「然様。あれを滅せば、勝敗は決する」
「これで、終わるんだな。この戦いのすべてに決着がつくんだな」
セツナは、ニヴェルカインとニーウェハインのことを想い、また、数多くの犠牲のことを想った。そして、そう想えば、もはや立ち止まってなどいられなかった。恒星の表層に向かって突き進む。恒星は、光り輝いている。その熱量たるや物凄まじいものがあるが、そこはニヴェルカインの法衣がある。
なんの問題もない。
恒星の表層への接近は、一定の距離からまるで恒星に引き寄せられるような感覚に襲われた。恒星の持つ重力に囚われたということかもしれない。この宇宙は本物の宇宙ではないし、浮かぶ星々も本物ではないはずだが、恒星に重力がないとは言い切れない。恒星や惑星には、本物の星々のように重力が発生しているとしてもなんら不思議ではない。むしろ、宇宙を模したこの空間をなんの問題もなく移動できていることそのもののほうが不思議といえば不思議だった。
それもこれもニヴェルカインの法衣のおかげなのかもしれない。
ふと、そんな確信に至る。
ニヴェルカインの法衣は、セツナの全身を包み込んでいる。神威の防壁が全身を覆っているようなものであり、だからこそ、宇宙空間に放り出されてもなんの問題もなかったのではないか。神の力が、宇宙の力からセツナを護ってくれているのだ。
そして、その力のおかげで、セツナは星の重力に抗うことなく恒星の表層へと至った。あっさりと光の大地に到達できたのは、一定の距離に至ってからというもの、宇宙の攻撃が止んでいたというのもある。恒星を攻撃するわけにはいかない、という理由からだろう。宇宙の攻撃は、まず間違いなくナリアの攻撃であり、ナリアは自分自身を攻撃しないため、その手を止めたのだ。
恒星の表層は、地中から際限なく溢れる光芒によって煌めき、視界を確保するのも困難なくらいに眩しかった。法衣の頭巾を目深に被っても、足下から噴き出している光を抑えることは出来ない。
(サングラスでもあればな)
などと想いながら、彼は前進した。噴き出しているのは光であり、熱だ。それも莫大な量の光熱であり、しかし、それは実体を持たなかった。故にセツナが炎の奔流に炙られることもなければ、焼き尽くされることもなかったのだろう。もちろん、ニヴェルカインの法衣が護ってくれているからこそだが。
たとえニヴェルカインの法衣がなかったとしても、これくらいはメイルオブドーターだけでなんとかなりそうではある。
前方にナリアがいた。
恒星の空に浮かび上がったナリアの姿は、やはり美しい少女のそれだった。ただし、人間とは似て非なる容姿であり、必ずしも人間的な美しさに拘ってはいないようだった。全身が白く発光し、燃えたぎっているようにも見えた。衣が陽炎のようだ。双眸が金色に輝いている。膨大な量の髪も黄金色であり、光輪が背後に浮かんでいる。手には杖が握られていた。杖の先端の装飾は、太陽を連想させる。光明神ナリア。
その表情には、余裕は見られなかった。
「よく、ここまで来ましたね、セツナ」
「問答は、もういいだろ。ナリア」
「こうなった以上は、仕方がありません。あなたを殺し、魔王の杖だけでも頂きましょう」
「無理だな」
地を、蹴る。
「どうでしょう」
一足飛びにナリアの懐に潜り込めば、ナリアが一笑に付した。飛び退く。ナリアの衣が無数に瞬き、数多の光線が拡散照射された。周囲にばらまかれた破壊の力が恒星の表面を大きく抉り、光が噴き出す。恒星はさながらナリアの味方をするようにして、光熱の嵐を巻き起こし、セツナを包み込む。実際、その通りなのだろう。この恒星はナリアの本体の居場所だったのだ。いや、宇宙そのものがナリアの力なのだ。
「この程度!」
四枚の翼を翻し、光熱の渦を突破する。ナリアは頭上から杖をこちらに向けていた。杖の先端、太陽のような装飾が爆発的な光を発したかと想うと、極大の光芒が生まれた。セツナは、その神威の光の真っ只中を突っ切り、全身を灼かれながら杖を切り飛ばし、ナリアの本体に肉薄した。ナリアが左手をこちらに差し出してくる。手の先には光輪。光輪が回転し、光線と光球が乱舞した。セツナは、避けない。むしろのその光の乱舞の中に躍り込むようにして、黒き矛を突っ込ませた。抜群の手応え。矛は、魔王の杖の異名のままにその力を発揮した。つまりナリアを袈裟懸けに切り裂き、その半身を消滅させたのだ。
「そんな……!」
「これで終わりだ」
上体だけのナリアが愕然とする中、セツナは左手で女神のか細い首を掴んだ。本体だ。やはり依り代のように、切り裂かれ、消滅した部分を容易に復元することはできないようだった。魔王の杖の力は、神にとっての猛毒であり、神の再生能力を阻害する。
それでも、ナリアは足掻こうとした。左手に掴んだ光輪でもって、セツナを攻撃し、セツナの手から逃れようと試みたのだ。だが、セツナは、激痛の中にあってもナリアを手放さなかった。黒き矛の力を最大限に解き放ち、ナリアの頭部に叩きつけようとした。
だが、そのとき、異変は起きた。
宇宙が揺らいだのだ。どくん、という鼓動にも似た響きがあり、この宇宙を包み込んでいた闇が晴れた。
「なんだ?」
宇宙の闇が消えただけではなかった。星々も消え去り、眼下にあった恒星さえも消えて失せた。そして、代わりとでもいうように視界を染めたのは蒼穹の青さであり、太陽の輝きだ。雲もある。なにが起きたのかはわからない。しかし、彼は周囲を見回して、自分が現実世界に回帰したのだと悟った。眼下には、相変わらず水浸しの移動城塞があった。分霊の姿はない。
風は、穏やかだ。
「なにが起こった?」
セツナは疑問を口にして、左手の違和感に気づいた。一瞬前までしっかりと掴んでいたはずのナリアの首の感触が消失してしまっている。
「まさか」
ナリアが自分を護るため、セツナを宇宙の外に放逐したとでもいうのだろうか。そこまで考えれば、そうとしか思えなくなり、彼はナリアを探した。ナリアの依り代はすぐさま発見する。遠く離れた戦場の上空にあった。どうやらナリアは、依り代でもって統一帝国軍を攻撃しようとしていたらしい。分霊もそれに追随しているようだった。だが、いまは動きを止めている。まるで、そこだけ時間が止まったかのように動きがない。
もしやと想ったものの、ナリアを滅ぼせたわけではないことは、依り代や分霊が存在することから明らかだ。戦場を満たす神人の数は相変わらず圧倒的というほかないし、激闘は続いている。時が止まっているわけでもない。
なにが起こったのか、どういうことなのかさっぱりわからない。
「セツナ、あそこだ」
ニヴェルカインに促されるまま、法衣に引っ張られるようにして、セツナは視線を動かした。左後方。視線の先に、確かに、それはいた。
黒衣の人物。黒髪と合わせ、黒ずくめという表現がよく似合う男だった。男。そう、男だ。見ただけでわかるのは、顔立ちが男以外のなにものでもないからだ。顔立ち。整った部類ではあるだろう。主張の強い眉に鋭い目の虹彩は血のような赤。笑っている。その視線の先にあるものをみて、笑っている。
「だれ……だ?」
セツナは、その男の顔に見覚えがあることに戸惑い、混乱した。知っている顔だった。間違いなく、どこかで逢ったことがあり、どこかで見たことがある。すれ違っただけ、とか、見覚えがあるという次元ではない。よく知っている顔なのだ。しかし、すぐには思い出せない。まるで該当人物に関する記憶の箱に蓋でもしてあるかのようだ。その蓋が重くて、開くことができない。
「よくやった。さすがはセツナだ」
男は、そういってこちらを一瞥した。紅い瞳。見知ったまなざし。よく覚えているはずの目。視線。まるで鏡を見ているような、そんな感覚。そして想い出すのはニーウェハインのことだ。男の顔は、ニーウェハインに似ていた。ということは、セツナ自身にも似ているということにほかならない。