第二千六百二十二話 白と黒(十四)
「それがどうしたというのです」
ナリアは、しかし、むしろ勝ち誇るように告げてきた。眼下より溢れた光芒が女神を包み込み、光輪を復元し、さらに装飾を複雑化させていく。幾重もの光の輪。そこに連なる無数の球。さながら銀河系を想起させるそれは、ナリアの力が漲っていることを証明するかのように輝く。
「あなたがわたしとの戦闘に費やした時間は、あなたのお仲間が多大な犠牲を払って作り出したほんのわずかばかりの、しかし唯一無二といっても過言ではない好機を奪ったのですよ」
「……そうはならないさ」
セツナは、眼下を一瞥した。ナリアの力によって水没し、壊滅状態の移動城塞。その水面を割るようにして、なにかが出現している。ナリアに向かって強烈な光を発するそれは、おそらく、ナリアの分霊の一柱なのだろう。そして、それは、ナリアを絶対無敵の存在へと押し上げる布陣、八極大光陣の再構築が開始されたことを示していた。
ナリアに力が漲り始めたのもそのためだ。八極大光陣は、八柱の分霊が揃い、陣を構築することで最大の力を発揮するものであり、そのときこそ、ナリアは絶対無敵の存在となりうるのだろうが、完全なものでなくともナリアの力は増幅するのだ。ナリア自身が明言していたことであり、故にこそ、セツナはナリア討滅を急がなければならなかった。でなければ、八極大光陣が再度構築され、ナリアが無敵の力を手に入れれば、セツナに勝ち目はなくなる。
そして、ナリアが講じた様々な策は、セツナにナリアを滅ぼさせなかった。ナリアは時間稼ぎに成功したのだ。分霊を再び生み出し、八極大光陣の再構築に踏み出している。
せっかくナリアが弱体化を始めたというのに、このままでは振り出しに戻りかねない。いや、振り出しに戻るどころの話ではない。ナリアが八極大光陣の力を得れば、セツナたちの敗北は確定しかねない。なにせ、八極大光陣のナリアは、完全武装状態のセツナですら対応できないほどの力を発揮していたのだ。
とはいえ。
「その余裕、いつまで持つものでしょうね?」
「それはこっちの台詞だ」
セツナは、もはやナリアと舌戦を繰り広げるつもりもなかった。分霊の姿形にも興味がない。分霊はどうやら依り代を必要とするようであり、ザイオン皇家の人間の肉体を用いているようではあるのだが、それがだれなのかはまったくわからないし、もはや分霊の依り代となった以上、救いようもない。といって攻撃することもせず、彼は、メイルオブドーターの翅に加えニヴェルカインの黒白の翼を羽撃かせ、加速した。
セツナは、ナリアに向かって一直線に飛んだ。すると、ナリアが莫大な光を放射することで、セツナを撃ち落とそうとした。だが、セツナの眼前に暗黒空間が生じ、破壊的な光の奔流を飲み込んでしまった。ニヴェルカインの力だろう。ニヴェルカインは、セツナの全身を包み込む法衣となっただけではなく、セツナの意思とは無関係に自動的に攻撃、あるいは防御してくれているのだ。おかげで、セツナは前進に集中するだけでよかった。
目指すは、ナリアの体の奥底。
衣の内側にたゆたう無限の宇宙。
その深奥にこそ、神威の源がある――そう、ニヴェルカインが突き止めた。そして、ニヴェルカインに導かれるまま、セツナはナリアに殺到したのだ。ナリアは当然のようにこちらの目論見に気づき、対応した。それは、隕石群による五度目の攻撃であり、ナリアは、セツナとニヴェルカインがそちらに意識を向けた瞬間、微笑した。慈愛に満ちた女神の微笑みは、しかし、悪意に満ちたものであり、その禍々しさたるや、黒き矛にも勝るとも劣らないもののように想えてならなかった。
「わたしと戦うか、大切なひとたちを護るか。ふたつにひとつですよ、セツナ」
「違うな」
セツナは、マスクオブディスペアの能力を解放しながらナリアを嘲笑った。隕石群が宇宙の彼方より飛来し、この空の上に到達する。その数たるや、これまでとは比べものにならないものであり、ナリアがいかにしてセツナの足止めに全力を注いでいるかがわかろうというものだった。時間を稼ぎ、八極大光陣を完成させようというのだ。だが、その手には乗らない。マスクオブディスペアの能力によって生み出した無数の闇分身を、空に飛ばす。闇分身たちもまた、完全武装状態だ。もちろん、その実力はセツナとは比べようがないくらいに低いが、隕石群を撃ち落とすことくらいは容易だ。
「両方だ」
告げると、ナリアの顔が引きつるのがわかった。その瞬間には、セツナはナリアの懐に到達している。細くしなやかな両腕が神威を帯びて、差し出される。光の波紋が拡散し、濁流の如き光芒がセツナを包み込む。が、セツナの全身を包み込む法衣が神威を受け流し、セツナをナリアの宇宙に触れさせた。痛みは、わずかばかり。ニヴェルカインに感謝しながら、セツナは、自分の感覚や意識が正常であることを確認すると、周囲を見回した。
風景が、一変していた。目の前にあったはずのナリアの姿がなくなっていて、空中戦を繰り広げていたことすら一時の夢だったかのような錯覚を持つ。それくらいの激変。すべてに現実味がない。
「ここは……」
周囲には、茫漠たる闇が満ちていた。ナリアの衣、その内側にたゆたう宇宙の如き風景の中に突っ込んだ結果、そのような場所に飛び込んだのだが、実際、外から見るよりもずっと宇宙的な景色が広がっている。宇宙的、としか表現しようのない空間なのだ。どこまでも無限に続くような暗黒の空間に、ちりばめられた宝石のように輝く無数の星。しかし、本物の宇宙なのかはわからない。宇宙は真空であり、放射線やらなにやら、ただの人間が無策で突っ込んで生きていられるような場所ではあるまい。
少なくとも、セツナは生きていた。
広漠たる宇宙の中に放り出されて、頼りない無重力感に包まれながら、呼吸することもできていた。
「つまりここは、宇宙じゃないってことだ」
そんなことはどうでもいい、と、セツナは頭を振ると、都合四枚の翼と翅で宇宙を泳いだ。目的は、ここに来ることではない。この奥底にいるであろうナリアの本体を討ち滅ぼすことなのだ。それが第一であり、この宇宙の原理がどうなっているのか、とか、どうして宇宙的な景色なのだろう、とか、そういったことは二の次、三の次だ。
急がなければならないのは、事実だ。
余裕などあろうはずもない。
故にセツナは、全速力で宇宙を駆け抜けた。さすれば、星が瞬き、閃光となって飛来した。宇宙そのものがセツナを排除するべく動いているようだった。隕石群とは比べものにならない大きさの星ばかりだ。セツナを宇宙の外へ放り出すには、それくらいの威力が必要なのだろうが、もちろん、食らってやるつもりもない。ランスオブデザイアで貫いた穴を通り抜け、あるいはアックスオブアンビションで破壊し尽くし、またロッドオブエンヴィーの巨大な手で掴みとって投げ捨てる。ときには加速で切り抜けながら、宇宙を進むうち、セツナの目は、ひとつの星系を捉えた。
燃え盛る炎の星、逆巻く嵐の星、海に飲まれた星、樹木に覆われた星、巨大な宝石のほうな星、凍り付いた星、雷光に包まれた星、幻影のような星――そんな八つの星と、ただただ膨大な光を発し続ける極大の恒星からなる星系。
それはまるで、光明神ナリアと八柱の分霊のようだった。
セツナは、自身の直感に従って、恒星に向かった。恒星に近づけば近づくほど、宇宙の攻撃は激しくなり、セツナの直感が正しいことを証明するかのようであり、彼は確信を以て恒星への接近に全力を注いだ。こうなれば、もはや止まらない。
だれも、セツナを止めることなど出来ない。
事実、宇宙の攻撃もセツナを足止めすることすら敵わなかった。
セツナは、あっという間に恒星に到達したからだ。
恒星の表面になにかがいた。
少女だ。