第二千六百二十一話 白と黒(十三)
「そう。これは仮初めの肉体。マリシアハイン・レイグナス=ザイオンの肉体であり、わたしの依り代。仮初めの肉体をどれだけ毒されようとも、わたしそのものを滅ぼすには至らないのですよ」
ナリアは高らかに告げ、光輪が瞬いた。無数の光線と光球が嵐のように殺到し、同時にナリアの宇宙が開かれる。またしても、隕石群が宇宙の彼方から飛来してくる様が見えた。光線や光球を回避している間に隕石群が宇宙の外へ至り、遙か上空に赤々と燃えたぎる隕石群が出現する。すると、ニヴェルカインがセツナの背後に現れ、囁いてきた。
「あれは我に任せたまえ。セツナ。ナリアは汝に任せた」
「あ、ああ……?」
きょとんとしたのは、あまりにも親しげな振る舞いだったからだが、すぐさま頼もしさが湧いてきた。ニヴェルカインは、神なのだ。帝国臣民の祈りを源とする守護神。その力は、帝国領土を護るためにこそ真価を発揮するものだろうし、なればこそ、隕石群は彼に任せてしまえばいい。
では、セツナはナリアを討ち滅ぼさなければならないのだが、その方法もまた、判明してはいる。依り代ではなく、本体を討ち滅ぼすのだ。そのためには依り代から本体を引きずり出さなければならないのだろうが、それには、依り代を破壊し尽くせばいいのか、それとも、ほかに方法があるのか。
苛烈な光の嵐の中で、セツナは、黒き矛を握り、振り回した。光球を切り裂き、爆光の中を駆け抜ける。ナリアは、ほくそ笑んでいる。この状況は、自分にとって有利なのだといわんばかりの表情。完全武装状態でも致命傷を与えられないナリアと一対一に戻ったのだ。ナリアがそう想うのも無理のない話だ。
「これで一対一。また、振り出しに戻りましたね」
「そうかな」
「強がるのもそこまでですよ、セツナ」
「だれが強がってるものかよ」
頭上、隕石群が白と黒の光に包まれて消滅していくのを見届け、彼は、ナリアに視線を戻した。隕石群は厄介だが、四度目のそれは、二度目、三度目の隕石群に比べれば、規模も質量も小さく感じられた。故にニヴェルカインは赤子の手を捻るかのように容易く破壊し尽くせたのだ。当然、ニヴェルカインの力が強大だということでもあるが、それ以上に、ナリアの力が弱まっていることを感じざるを得ない。
隕石群は、ナリアの力であり、ナリアの攻撃手段なのだ。それが弱体化しているということは、ナリアの力そのものが弱まっていると考えるべきだろう。
マユリ神はいった。
ナリアの力の源たる信仰、その収束点をニーウェハインに移し替えたのだ、と。それによってニーウェハインはニヴェルカインへと生まれ変わったのだ。つまり、ナリアの絶大な力、その一部がニヴェルカインのものとなったということ。
それが少しずつ、現れ始めている。
以前、翅の障壁を貫いたはずの光弾、光線が、翅に妨げられていることからもわかる。それでも、ナリアは光の嵐を巻き起こし、セツナに向かって無数の光弾と光線を集中させてくる。セツナの接近を阻むように、だ。
「おまえは、自分が敗北の淵に立たされていることを知らないんだな」
「……強がりも、そこまで行けば滑稽ですよ。セツナ。魔王の杖の護持者とも思えませんね」
「なんと思われようと構わないが……おまえの負けだよ、ナリア」
「この状況で勝利を宣言するなど、話にもなりませんね」
「ああ……この状況じゃあな。だから、いまから斃すのさ」
「わたしを? どうやって?」
「どうもこうも!」
斧と槍でもって光弾の嵐を薙ぎ払い、光線の弾幕を“闇撫”で吹き飛ばす。そして、生まれたわずかな間隙を全速力で突破し、ナリアに肉薄する。ナリアは、微笑んでいる。それこそ、いままさに勝利を確信しているかのような表情。それは、セツナが勝敗について言及したからこそだろう。ナリアは、セツナの言動に焦りを感じているのだ。無論、セツナは焦ってなどいない。言葉通り、ナリアの敗北をこそ、確信している。ただ、そのための方法に確信が持てないだけのことだ。
ナリアの本体を滅ぼすには、やはり、依り代を破壊するべきなのか。
まずはその確認として、彼は、ナリアの胴体を横薙ぎに斬りつけ、さらに複数箇所を切り裂いた。そこに“破壊光線”を叩き込み、斧と槍で光輪を破壊する。ナリアが苦悶の表情を浮かべたのは、ほんの一瞬。つぎの瞬間には嘲笑い、前開きの衣の内側にたゆたう宇宙が膨大な光を発した。凄まじい激痛とともに吹き飛ばされ、セツナは己の迂闊さを呪った。
「先と同じこと! わたしの依り代を切り裂いたところで、なんの意味もない! 無駄で無意味! それをわかりなさい、セツナ! わたしには勝てないのですよ!」
狂乱にも近い高笑いが響く中、ナリアの依り代が瞬く間に復元する。弱体化しているはずなのに、復元速度はむしろ加速しているようであり、多少傷つけた程度では瞬時に元に戻った。まるで、黒き矛の毒に対する耐性でも持ち始めているかのように思えて、セツナは警戒した。本体はともかく、依り代は神そのものではない。そうである以上、黒き矛の持つ神殺しの力が最大限効果を発揮しないのは当然であるし、神殺しの力に対する抗体のようなものが生まれつつあるのだとしても、決して不思議ではない。
「セツナは勝つとも」
不意に背後から聞こえたのは、ニヴェルカインの声だ。同時に痛みや熱が引き、全身の傷が消えてなくなる。強化された治癒能力以上の回復速度は、さすがは神の御業というべきか。そして、目の前が真っ白になる。
「ニヴェルカイン! あなたは……!」
ナリアの怒声は、おそらくニヴェルカインの介入によって、セツナを見失ったからだ。セツナ自身、ナリアも自分も見失っている。ただ、不安はない。ニヴェルカインがセツナに不利益をもたらすはずがないという確信がある。
「どうするつもりだ……?」
「セツナ、いま我が力を汝に貸そう。さすれば、ナリアといえど、相手になどなるまい」
「ん……?」
ニヴェルカインの言葉の意味が理解しきれず、疑問符を浮かべたときだった。目の前に彼の顔が出現し、黄金色の双眸が輝いた。ニヴェルカインを構成する白と黒が螺旋を描き、セツナの意識を包み込んでいく。まばゆいばかりの純白と暗澹たる漆黒の多重螺旋。ニヴェルカインの姿が掻き消えたかと想えば、全身に力が漲っていくのがわかった。あらゆる感覚が何倍にも膨れ上がり、先鋭化していくにも関わらず、脳の処理が追いつかないということがない。脳の処理速度自体加速しているからだろう。召喚武装を手にしたときと同じ感覚だが、その数倍、いや数十倍の違いを感じる。
同時に、黒き矛や眷属たちが獰猛なまでに怒り狂い、憎悪や嫉み、嘲りや罵倒をぶつけてくるものだから、彼は、自分の身になにが起こったのかを完全に理解した。
ニヴェルカインとひとつになったのだ。
ニヴェルカインが、その力をセツナに預けてくれたのだ。
見下ろせば、白と黒が織り成す法衣がセツナを包み込み、全身が白と黒の二色で彩られていた。それは神威によって編み上げられた鎧にして武器であり、神の敵対者たる黒き矛とその眷属たちにとっては、心底受け入れがたい状態なのだ。故に怒り狂っている。
マユリ神の加護を受けることさえ許しがたいというのに、神と一体化したような状態など、とてもではないが許容できるものではあるまい。
魔王の杖とその眷属たちにしてみれば、敵の力そのものだ。
魔王の杖の護持者が敵に寝返ったようなもの。
「これでナリアを滅ぼせるんだ、少しの間くらい、我慢してくれよな」
セツナはそういって、黒き矛と眷属たちの罵詈雑言を封じ込めた。もちろん、納得などしてくれるわけはないが、そんなことをいっている場合でもない。
眼下、ナリアが凄まじい顔つきでこちらを見上げていた。
ようやく、ナリアも追い詰められていることに気がついたのだ。
セツナの目は、ナリアの神々しい装束の内側、無限にたゆたう宇宙を見ていた。
それは、ニヴェルカインのまなざしであり、セツナにとっては天啓のようなものだった。