第二千六百二十話 白と黒(十二)
「だから、賭け、だったのか?」
『いや、そこが賭けなのではない。成功するかどうかが賭けだった』
マユリ神は、いった。
『人間は神にはなれない。どれだけ信仰を集めても、祈りを集めても、人間は人間のままだ。物質的な存在である限り、そこに神秘が宿ることはない。ただ、彼は、ニーウェハインは、普通の人間ではなかった。そこに希望があったのだ。彼の右半身がどうだったか、覚えているな?』
「異界化していたことが、関係あるのか?」
『異界化とは、実際、どういう原理なのか、わたしにもよくわからない。エッジオブサーストの能力によって異世界そのものと化したというが、そんなものが肉体に留まっている事自体、おかしな話だ。奇妙な話だ。不思議な話だ。それはつまるところ、神秘なのだ。肉体に宿る神秘。物質的な存在には起こりえない事象。それは、彼がただの人間ではなくなったことの証』
マユリ神の説明は静かに熱を帯びていく。
そんな中で、セツナは、ナリアと激闘を繰り広げるニヴェルカインに加勢しているのだが、いまだ、ナリアに決定的な一撃を与えられてはいない。ナリアは、防戦に回っている。二対一。数の上ではこちらのほうが有利だが、力の差は、どうか。八極大光陣は失われ、ナリアは絶対無敵の存在ではなくなった。それでもなお、ナリアの力は膨大であり、絶大であることに違いはない。セツナはむしろ、八極大光陣を失ってなお、圧倒的な力を誇るナリアの凄まじさに舌を巻く想いだった。
『さらには、彼は、ナリアの神威に毒され、神化した。それもまた、希望になり得た。そう、彼の神化は、絶望ではなく、希望だったのだ』
「つまり、ナリアは、俺を絶望させるつもりが、俺に希望を与えたってことか」
『そうなる。もっとも、希望が我々の前に形となって顕現する可能性は必ずしも高かったわけではないが……賭けに勝ったのだ』
「……それで、結局のところ、どういうことなんだ?」
『祈りだよ』
「祈り……ねえ」
『統一帝国臣民、将兵たちのニーウェハインへの祈りが彼を神にするに足るものだった。故に彼は神に生まれ変わった。そこにニーウェハインの自我が残るかどうかは不明だったが、だとしても、そうして生まれた神が帝国にとって、我々にとって邪悪なものであるはずがない』
「そうだな」
確かに、ニヴェルカインは、セツナたちの敵ではなかった。最初から全力で味方してくれていた。そもそもがセツナたちへの善意や好意に溢れていた。そして、統一帝国の守護神を名乗った彼は、統一帝国の敵たるナリアを斃すべく戦いを挑んでいる。
『奇跡だよ』
マユリ神が確信を以て、告げてくる。
『この地に満ちた祈り、信仰の収束点を彼に定めたからこそ、そのためにニーナが尽力したからこそ起きた奇跡だ』
「うん?」
『ナリアは、皇帝への信仰を自分のものとしていた。皇帝を神の如く信仰させていたのは、その信仰を我が物とするためだった。皇帝への信仰を自分のものにすり替えていたのだよ。それを利用させてもらっただけではあるが……まあ、上手く行ってなによりだ』
「そんなことができるんだな」
素直に感心しながら、ナリアがそんなことをいっていたような気がして、目を細めた。ナリアは、最初からこの地のひとびとを利用することしか考えていなかった。それは、ナリアの言動からも明らかだ。ナリアは本来在るべき世界に還るため、その手段として、聖皇復活を目論んでいた。遙か将来、“約束の地”に聖皇を復活させるための手段。それがザイオン帝国であり、帝国臣民の信仰を己が力の源としたのだろう。そのために表だって君臨しなかった理由は、わからない。影の支配者として君臨するほうが楽だったからなのか、どうか。価値観の問題なのかもしれない。いずれにせよ、どうでもいいことだ。
ナリアがどのような考えを持ち、どのような意図でもって帝国を支配してきたのかなど、いまさらどうだっていい。
いま大事なのは、このままではナリアによって帝国どころか世界そのものが滅ぼされかねないということのほうだ。
そして、それを防ぐことができるのはセツナたちだけであり、いまがまさにそのときなのだ。
「ふふふ……いくら神に生まれ変わろうと、わたしに遠く及ばない力でなにができるというのです?」
「然様。我のみではどうにもならぬ。が、この戦い、我のみが汝の敵ではあるまい」
「ふふ。ふたりがかりでこれでは、どうしようもないでしょう?」
ついに余裕を取り戻したナリアだったが、それもそのはずだ。ナリアが防御に回ってからというもの、セツナとニヴェルカインは、攻めあぐねていた。ナリアの護りが完璧なのだ。あらゆる攻撃が防がれ、かわされ、捌かれ、あるいは受け止められる。光弾は光弾で撃ち落とされ、光線は防壁に受け止められた。飛びかかれば転移し、転移先に“破壊光線”を撃ち込んでも宇宙に放り出されるだけだ。
「わたしとしたことが、なにを取り乱していたのでしょうね。状況はなにも変わっていないというのに。依然、わたしの優勢のままだというのに」
ナリアは、余裕を取り戻したことで饒舌になっていた。表情にもゆとりが見える。
「どうだかな」
「セツナ。強がっている場合ではありませんよ」
「あん?」
「あなたがわたし相手に手間取っている間に、あなたの大切なひとたちは命を削り続けているのですよ? このままでは、あのときの二の舞になりかねません」
「忠告、痛み入る」
「あなたは……状況がなにも理解できていないようですね」
「うるせえ」
羽撃き、ナリアの光輪がでたらめに発射する光線の嵐の中を潜り抜け、接近する。ナリアがセツナの眼前に光の壁を形成する。壁が砕け散った。ニヴェルカインだ。散乱する光の中を突き抜ければ、ナリアの肉体を眼前に捉える。ナリアは笑っている。セツナは黒き矛を振り抜いている。手応え。斬撃は、ナリアを袈裟懸けに切り裂き、左腕を切り飛ばした。光輪が瞬く。無数の光線が曲線を描いてセツナに殺到した。凄まじい爆音と衝撃に吹き飛ばされたものの、損傷はなかった。ナリアから距離を離されただけで済んでいる。それも、ニヴェルカインのおかげだった。ニヴェルカインがなんらかの力でセツナを護ってくれたのだ。
(手応えはあった……が)
爆煙の中、ナリアが無事なのは気配からも明らかだ。決定的な一撃ではなかったことは、セツナ自身の手応えとして認識できている。痛撃にこそなっただろうが、あれでは決着はつくまい。煙が風に流れきると、ナリアはこちらを見てほくそ笑んだ。そして、切り裂かれた部位をあっという間に修復して見せた。もちろん、傷口を塞いだのではない。大部分を粒子状に分解し、その元から復元したのだ。以前、腕を切り飛ばしたときと同じだ。
「やはり、そうだ」
ニヴェルカインがセツナの背後に移動してくるなり、なにかを納得したようにつぶやいた。
「あれはナリアの依り代なのだ。依り代には、魔王の毒も効果が薄い」
「……なるほどな」
セツナは、ニヴェルカインの発言によって大いに納得した。ナリアは、セツナが戦ってきた神より絶対的な強さを誇っているのは間違いないが、もうひとつ、大きな相違点がある。セツナは、これまで神の本体と戦ってきたのだ。アシュトラもそうだったし、ネア・ガンディアの神々も、そうだった。依り代を用いない本当の姿としての神々と戦ってきている。それら神々は、黒き矛の一撃を受けると、ナリアのように再生を阻害されるだけでなく、毒されたように弱体化していったような記憶がある。
黒き矛こと魔王の杖は、神を滅ぼす力を秘めている。
神の力が人間や多くの生物にとっての毒であるように、魔王の力は、神にとっての毒なのだ。
だからこそ、これまでセツナと対峙した神々は、黒き矛の前に敗れ去るか、致命的な痛撃を受けた。
一方、ナリアは、依り代を纏っている。
黒き矛による攻撃も、依り代が肩代わりしてくれるのだ。
それ故、再生も可能なのだろう、と、ニヴェルカインは推測し、セツナもそうに違いないと想った。
つまり、本体を攻撃できなければ、どうしようもないということだ。