第二千六百十九話 白と黒(十一)
神々しい光が視界を金色に塗り潰していく。
だが、その光には、ナリアが発するような圧力もなければ、むしろ穏やかに包み込み、優しく護ってくれるような柔らかさがあり、身を委ねたくなるような心地よさがあった。その輝きがゆっくりと収まり、ひとつの形を作っていく。
「ニーウェ……?」
ニーナが困惑を隠せないようにつぶやく。
セツナだって同じだ。なにが起こったのか、なにが起きているのか、さっぱりわからない。理解が追いつかないのだ。当初セツナは、ニーウェハインだったものの中に残っていたニーウェハインの自我が覚醒し、肉体の支配を取り戻したのだろうと考えていた。そこに至るまでの彼の脳内、精神世界での激闘が懊悩という形で現れ、怪物が頭を抱えていたのではないか。そう考えていたのだが、ニーウェハインと思しきものが口にした言葉は、想像通りとはいかないものだった。
「そんな……そんなことが……」
ナリアは、あからさまなくらいに動揺していた。それこそ、これまでの余裕ぶっていた姿の印象がすべて吹き飛ぶくらいの反応だった。どうやらナリアには、ニーウェハインの身になにが起こっているのか、理解できているらしい。そしてそれは、ナリアにとって予期できぬことであり、また不都合なことだったようだ。ナリアの光輪と球から光線や光弾が発射され、黄金光へ殺到する。セツナは思わず“闇撫”を伸ばし、翅を広げてその射線を塞ぎ、ニーウェハインを庇った。爆発が起きる。物凄まじい爆発の連鎖。だが、翅と“闇撫”による二重障壁を展開したおかげもあり、ニーウェハインを守り切ることはできたようだ。爆煙の狭間、黄金光が収まりきっていくのがわかる。
「なにが起きてるんだ?」
「あれは……」
爆煙が風に流れていく中、セツナは確かに見た。神の怪物と化したはずのニーウェハインの姿が再び変容していたのだ。その姿は、元のニーウェハインに極めてよく似ていた。数倍に膨れ上がっていた体は元の大きさに戻り、身の丈もニーウェハインのそれと同じになっている。顔立ち、体つきも怪物のそれから比べれば、極めて人間に近いものに変わっていた。特に顔などはそうだ。ニーウェハインそのものといっていいだろう。ただし、顔の右半分は黒く、左半分は白かった。顔だけではない。体全体が、中心線を境に右半身が漆黒に染まり、左半身は純白に染まっていた。だが、まるでそれがニーウェハインの特徴だったかのような収まりの良さ、違和感のなさは、どういうことなのだろう。元々ニーウェハインがそうだったかのような錯覚さえ抱く。
右半身は異界化によって異形化しているはずだったが、それもただ漆黒の肌という感じに見えた。左半身も白化症の成れの果てというよりは、皮膚そのものが元々純白であるという風であり、その点がナリアの、神の怪物と化していたときとは大きく違っている。そして、彼が身に纏う衣はといえば、白黒の二色からなる長衣なのだが、衣の場合は右が白く、左が黒かった。それがなにを意味しているのかは、わからない。
金色の輪が、背後に浮かんでいる。輪から放射状に伸びた飾りと合わせ、さながら太陽のようだ。
閉じていた双眸が開く。両目から溢れるのは金色の光であり、彼がただの人間ではないことを示していた。もっとも、そんなことは目を見ずともわかっていたことだったし、最終確認に過ぎない。
神人、あるいは使徒と化したものがさらなる変容を遂げたのだ。元の人間に戻れるという保証はなかったし、変容が始まったときから、そう期待はしたものの、その可能性は限りなく低いものと想っていた。実際その通りだったのだが、落胆はない。なぜならば、その柔和な表情には、慈しみがあったからだ。
「我はニヴェルカイン。統一ザイオン帝国の守護神なり」
彼は告げ、こちらを見た。セツナと同じ顔。だが、受ける印象は、ニーウェを直視したときのような、鏡を見ているような感覚ではない。ニヴェルカインと名乗ったそれは、セツナの同一存在ではなかったのだ。
「ニヴェルカイン……?」
「ニーウェでは……ないのか?」
「さあ、セツナよ。帝国の英雄よ。ともに帝国の敵、ナリアを討ち滅ぼそうぞ」
それは、セツナを見つめながら高らかにいってきた。その声には、聞くものの心を高揚させる力があるようだった。そして、ニヴェルカインは、上空のナリアに向かっていく。
「え……? あ、ああ……」
「ニーウェ?」
「ニーナ。ありがとう」
ニーナを一瞥したニヴェルカインの横顔は、一瞬、ニーウェハインのものになったように見えた。直後、ニーナの姿が掻き消える。マユリ神による転送だということは、察しがつく。ナリアとの戦闘が始まれば、ニーナは邪魔になるからだろう。いくらセツナでも、だれかを護りながらでは、全力を発揮できない。ナリアとの戦闘領域にほかのだれも送り込んでこないのは、セツナの力になるよりもセツナの足を引っ張る可能性のほうが高いからだ。
ニヴェルカインがナリアに向かって白い光球を撃ち放てば、ナリアがそれに対抗するべく光弾を発射する。両者の神威が激突し、爆発を起こした。通信器から声が聞こえてくる。
『上手く……行ったようだな』
「どういうことか説明してくれ、マユリ様。いったいなにが起こったんだ?」
多少、想像は付く。しかし、確証を得るには、事情を理解しているであろうマユリ神に説明を求める以外にはなかった。無論、ニヴェルカインとナリアの戦闘を見守りながら、ではない。セツナは羽撃き、ナリアの背後を取ろうとしていた。
『彼は、神になったのだよ』
「うん……?」
『そのままの意味だよ。比喩でもなんでもなく、な』
「じゃ、じゃあ、ニヴェルカインってのは本当に神なのか」
大いなる女神たるナリアに食い下がっている時点で、相当な力の持ち主だということはわかる。使徒程度の力では、ナリアに一蹴されて終わりだろうが、ニヴェルカインは、ナリアに押されながらもなんとか戦えていた。そこにセツナが加われば、形勢は激変する。ナリアは、ニヴェルカインの相手をしながら、セツナと戦わなければならないのだ。ナリアの美貌にいつからか苛立ちが刻まれていた。
『そうだ。あれは神だ。それもあれが名乗った通り帝国の守護神だ。統一ザイオン帝国のな。故におまえに力を貸してくれるだろう』
「それは……ありがたいが……いったい、どうしてそんなことに? 賭けといっていたな?」
『ああ。賭けだった。極めて分の悪い……な』
マユリ神の声は、安堵に満ちたものだった。
『神は、祈りによって生じる。ひとびとの祈りや願い、望みを力の源として、顕現する。ひとびとの希望を求める祈りがわたしを生み、絶望を望む祈りがマユラを生んだように。ナリアとて同じだ。神々はすべて、祈りを源とする。それは知っているな』
「ああ」
『そして、神威に毒されたもの、あるいは神の力によって変じたものは、元の生物とはまったく異なる存在となり、神の力を持ってしても元に戻せないことも、理解しているな』
「ああ……」
少しずつ、マユリ神がどのような賭けに出ていたのか、わかりかけてくる。
『だが、そこからさらに大いなる存在に生まれ変われたならば、どうか。神の化け物、神の使徒ならざる大いなる存在に生まれ変わることができれば、神の支配を脱却し、自分を取り戻させることができるのではないか。わたしはそう考えた』
「それで……神……か?」
『だが、それには大きな問題がある。普通、人間は神にはなれないということだ』
マユリ神の説明を聞きながら、セツナは、確かに見ていた。
ニヴェルカインがナリアが放った光波を捌き、反撃として神威の奔流を放出する光景をはっきりと見ていた。ニヴェルカインは、間違いなく神だった。