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第二百六十一話 絆の形

 ファリアによると、ミリュウたちとの戦いが終わって、一夜が開け、また夜が来たということだった。

 つまり今日は九月二十日ということになる。

 数日前、敵軍を打ち破ったという中央軍や、十八日にマルウェールに到達した北進軍の状況も気になったが、いま知っておくべきは西進軍の現状だろう。

 先のザルワーン軍との戦いにおける西進軍の被害は、予想を遥かに下回るものだったらしい。それでも百名以上の死者が出ている。無傷の勝利というわけにはいかなかったのだ。最初からわかっていたことでもある。

 どれだけセツナが黒き矛を振るい、敵陣を蹂躙したところで、戦場のすべてを支配することができるわけでもないのだ。自軍兵士たちも戦功を求めて敵陣に攻めこむし、敵兵もまた、こちらに向かって押し寄せてくる。衝突すれば、敵も味方も生死を賭けて戦うしかない。誰もが簡単に命を落とす。味方の被害を完全に減らすことなど、黒き矛にはできない。考えるべきは、いかにして自軍の損害を減らすかだ。そのためには、戦闘を早く終わらせることしかないだろう。黒き矛の力を使い、敵軍に壊滅的な打撃を与えることだ。敵軍が戦線を維持できなくなれば、それだけでこちらの被害は減っていくはずだ。

 そのためには、セツナはもっと、黒き矛の力を引き出さなくてはならない。ミリュウのように。

「君は十分頑張ったわ。ううん、十分すぎるくらいよ」

 ファリアはそういってくれたものの、セツナには到底満足できる結果ではなかった。傲慢な考えなのかもしれない。黒き矛の力だけで戦いを終わらせようなどと思ってはいけないのだろう。それもわかってはいるのだ。しかし、あの夜、セツナが両手から感じたのは、絶大な力だった。敵を敵とも思わない、極大の力。実際、その力によってあの戦いは西進軍の勝利に終わった。圧勝といっても過言ではないほどの結果だ。それもこれも、セツナが二本の黒く矛によって戦場に死を振りまいたからだ。手当たり次第殺して回ったからだ。殺戮劇に興じたからだ。

 それが、セツナの使命だ。

 セツナとファリアは、馬車の荷台の縁に腰を下ろしていた。夜の空の下、吹き抜ける風は妙に優しい。前方には平原が横たわり、無数の馬車が並んでいる。夜中。出歩く兵士の数は少なく、むしろ馬車の中で休憩している連中のほうが多いのだろう。天幕が張られていないのは、休憩が終わればすぐにでも行軍を再開するからだということだった。

 セツナは、手前の地面に視線を落とすと、ゆっくりと口を開いた。伝えたい言葉はすぐに見つかった。

「俺は、殺されかけたんだ」

 セツナの頭の中に、あの森での戦いが蘇る。ミリュウ=リバイエン。鏡の召喚武装で黒き矛を複製したザルワーンの武装召喚師。終始圧倒された。純粋な技量差。純粋な実力差。筋力も体術も彼女のほうが上回っていたのは間違いない。そのうえで、武装召喚師としての力の差を見せつけられたのだ。彼女は、黒き矛をセツナよりも余程使いこなせていた。

(あんたは違うって言うけどさ)

 セツナは、夢の竜に向かって毒づきたくなった。どう考えても、ミリュウのほうが使いこなせていたのだ。彼女の繰り出す一撃は、黒き矛を手にしたセツナが受け止めても、重く、烈しかった。斬撃は木々を切り倒すだけでなく、衝撃波となった。目で追い切れないほどの速度。無意識の反射でなんとか受け止めることができていた。危うく、死にかけた。

「ミリュウ=リバイエンに?」

 隣のファリアが、こちらの表情を覗きこんでくるかのように見つめてきている。セツナは、彼女の視線を感じながらも、地面をじっと見ていた。地面というよりも草だ。膝のあたりまで育った草が、地面を埋め尽くすかのように生えている。手入れなどされているはずもないのだから、伸び放題なのだろう。雑草にとっては楽園のようなものだ。

「うん……」

 うなずき、右腕を胸の先に伸ばす。痛みが電流のように走るが、黙殺する。呼吸するだけで痛む以上、我慢するしかなかった。なにをしても、なにもしなくても、苦痛を感じなければならない。全身が昨夜の酷使に泣き叫んでいるようだった。黒き矛を二本も使った以上、仕方のないことだと諦めるしかない。同時に、もう二度とあのような真似はするべきではないとも思う。

 黒き矛の二刀流は、確かに絶対的な力を得ることができたようだ。いつも以上に強化された五感は、自分の周囲のみならず、遥か彼方の光景までも克明に脳裏に投影した。肥大しきった意識は、戦場のすべてを認識するかのようであり、鋭敏化した感覚は、敵味方の将士の一挙手一投足までも把握していた。心臓の音までも、拾っていた。

 その音が消え、命を散らせたのだと実感した。

 いつものことだ。いつもとどう違うのだ、と問われれば、明確な答えは返せないだろう。しかし、セツナは、黒き矛は一本でも十分に強いと思ったのだ。物足りないのなら、ミリュウ以上の使い手になればいい。いまはまだ、彼女ほどの力さえ引き出せていない。

「でも、君は生きているわ」

「ミリュウが突然気を失ったんだ。だから俺は生き残れた」

 その事実を言葉にするのは怖いことだった。セツナが皆の期待を裏切ったということを明らかにすることにほかならないからだ。黒き矛に求められるのは勝利だけだ。敗北してはならないのだ。どんな敵が相手であっても、敗れてはならない。たとえ相手が凄腕の武装召喚師で、黒き矛の複製を使ってきたのだとしても、負けることは許されない。

 結果的には生き残れたものの、ミリュウがあそこで気を失わなければ、殺されていたのは間違いない。死は、すぐ背後にまで迫っていたのだ。

「そうだったのね……」

 ファリアは静かにいうと、予想もしないことを口にしてきた。

「ミリュウがいっていたわ。君を殺すつもりだったって。君さえ殺せば、あとはどうとでもなるって想っていたそうよ、彼女。よかったわ……君が殺されずに済んで」

「……そうだな。うん、その通りだ」

 ファリアがミリュウと言葉を交わしていたことに驚いたが、そこは問題ではなかった。彼女がいうように、殺されずに済んだことを喜ぶべきなのだろう。命を拾い、西進軍を勝利に導くことができたのだ。ミリュウに圧倒されたという事実は消えないが、だからどうだというのか。と、開き直ることができれば楽なのは間違いないのだが。

 セツナは、ファリアの顔を覗き見た。彼女は、夜空を仰いでいる。傷だらけの横顔には安堵が浮かんでいた。セツナが生き残ったことを喜んでくれているのかもしれない。だとすれば嬉しいのだが、本当のところはわからない。

 彼女の心情もそうだが、体調も気になった。戦場で見た彼女は満身創痍だったし、その傷がすぐに癒えるはずもないのだ。歩き回っても大丈夫なのだろうか。

「ファリアは、もう平気なのか?」

「いったでしょ、君とは鍛え方が違うのよ」

「でも、痛そうだ」

「そりゃ痛いのは否定しないけどね」

 ファリアは苦笑しようとしたらしいが、痛みに顔が歪んでしまっていた。やはり、回復してはいないのだ。傷を癒やす魔法の杖でもあればいいのだが、どうやら、そこまで便利な召喚武装は存在しないらしい。

 彼女と出逢った当初、セツナを死地から救ってくれたのは、オーロラストームの能力だった。死に瀕していたセツナに射ち込まれた矢が、生命力を活性化させ、火傷さえも治してしまったという。オーロラストームは雷撃だけでなく、傷を癒やす矢も放つことができる、ということだ。一見、便利そうに思える能力だが、気軽に扱えるものではないのだ。その矢は、生命力を一時的に活性化させる代償として、寿命を奪っていくという。

 セツナも、死の淵から蘇るために、いくらかの寿命を失っている。

 放っておけば治るだろう傷を癒やすために、寿命を削る矢を撃ちこむなど正気の沙汰ではない。それに、ファリアは自分自身に矢を射ることはできないだろう。考慮さえしていないかもしれない。

 セツナは、彼女の傷だらけの顔を見つめた。せっかくの美人が台無しだと思わないではないが、それを口にすれば彼女の誇りを冒涜することになりかねない。ファリアは、負傷することを厭わず戦い抜いたのだ。彼女もまた、猛者というに相応しい。

 つぎに気になったのは、この場にいない彼のことだ。《獅子の尾》副長ルウファ・ゼノン=バルガザール。

「ルウファも、無事なんだよな?」

「無事は無事よ。意識もあるわ。でも、しばらくは動くこともままならないそうよ」

「そうか……」

(やっぱり)

 セツナは、黒き矛の二刀流によって獲得した情報の精確さに目を細めた。やはり、黒き矛の力は凄まじい。二本あったとはいえ、遠く離れた場所にいる人物の姿すら、頭の中に克明に描き出せるだけの情報を収集してしまうのだ。研ぎ澄まされた五感、肥大した意識が、周囲に存在するすべての物体を捕捉し、認識していた。ファリアが傷だらけなのもそれによって理解したし、ルウファが深手を負っているのも、そうやって知覚した。

 ルウファが敵武装召喚師とどのような戦闘を繰り広げたのかはわからない。が、彼が纏っていた鎧は原型を留めないほどに破壊されていたのは覚えている。背中に無数の傷を負い、悲痛ですらあったのだ。治療できるのならすぐにでもしてあげたいと思ったものだ。しかし、セツナにできることといえば、ルウファとファリアが戦線に舞い戻る前に西進軍を勝利に導くことで、ふたりへの負担を減らすということだけだったのだ。

 セツナに力があれば、黒き矛の力を引き出すことができていれば、ふたりを負傷させずに済んだのだが。せめて、ミリュウが引き出せた程度の力くらいは使えなくては、黒き矛のセツナという名が泣くだろう。名前負けも甚だしい。

(強くならなきゃな)

 セツナは、拳を握り、決意を新たにした。もっと心身を鍛えていかなくてはならない。黒き矛への理解を深めていく必要もある。戦闘中以外でも召喚してみるべきなのかもしれない。いままで、力の使い方というものをろくに考えてこなかったのだ。そのつけがミリュウ戦での窮地だ。もっと、真剣に取り組まなくてはならない。

 でなければ、自分で自分を許せなくなる。ただでさえ、ミリュウ戦での体たらくには、自分自身、失望しているのだ。これ以上、自分を嫌いになりたくはなかった。強くなるのだ。身も心も。そうすれば、今回のような失態だって取り戻せるはずだ。これまでもそうやって進んできたのだ。失敗と成功を繰り返し、前進してきたのではないのか。

「ルウファ、バハンダールに戻ってもらったほうがいいかもしれない」

 ファリアが、暗い表情でいってきた。影になっているから暗いのではない。深刻な話だから、表情も厳しくなるのだろう。

 セツナは、ルウファの状態が気になった。彼女の口ぶりから察するに、重傷といっても差し支えのない状態なのかもしれない。

「そんなに酷いのか?」

「彼自身は大丈夫だって言い張っているけれど、無理をしているのが丸わかりなのよ。傷も決して浅くはないの。わたしとしては、彼には後方で治療に専念してもらったほうがいいと思うのだけれど……」

「ルウファは、どういっているんだ?」

「彼は龍府まで同行したいって言っているわよ」

「そうか」

 ルウファの性格を考えれば、当然の答えだ。彼は、バルガザール家の名に恥じぬものであろうとしている。ガンディア王家のためになら、死をも厭わない覚悟がある。ルウファは、一見、気さくで人付き合いのいい青年なのだが、深いところではだれよりもガンディアを想っている。《獅子の尾》の中で、もっともガンディア王家のことを敬愛しているのは彼で間違いない。

 セツナが忠誠を誓ったのはレオンガンド・レイ=ガンディアそのひとであり、王家に対してではない。王家という漠然としたものよりも、レオンガンドという生の人間にこそ、命を捧げることができると言い換えてもいい。そして、レオンガンド王への忠誠心ならば、セツナも負けるつもりはない。

 そんな彼が、龍府を目前にして後方に下がり、治療に専念したほうがいいという判断に納得するとは思えなかった。

 龍府といえば、ザルワーンの首都だ。ザルワーンとの戦争が決着するとすれば、龍府の陥落以外にありえない。開戦当初から前線で関わってきた戦争の終結に立ち会えないのは、ルウファのような人間には耐えられないだろう。たとえ戦えなくても、戦列に加わっておきたいというのが人情だ。もっとも、王命ならば、バハンダールでも、さらに後方のレコンダールにでも喜んで向かうだろうが。

「直接話してみる? 彼、まだ起きているんじゃないかしら」

「ルウファに負担がかからないのなら、話してみたいな」

 セツナがいうと、ファリアは微笑して、静かにうなずいた。彼が寝ているのなら、無理に起こす必要はない。が、眠れないのなら、セツナとの会話が暇潰しになるかもしれない。

 無論、セツナは暇潰しのためにルウファに会いに行くのではない。

 セツナにとっては、ルウファも大事な仲間だ。《獅子の尾》副長という立場だけではなく、気安い友人のような立ち位置にいてくれている。ファリア同様、セツナの日常には欠かせない人物には違いない。

 彼の無事をこの目で確認したかった。

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