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第二千六百十七話 白と黒(九)

「ニーナ……さん?」

 セツナは、思わず彼女の名を口にして、すぐさま通信器に目を向けた。腕輪型通信器からは女神の幻像が現れている。その視線は、ニーナとニーウェハインだったものに注がれていて、セツナもそちらに目を向けるしかなかった。

 召喚武装を身に纏ったニーナの背中は、ひどく哀しげだ。それはそうだろう。ニーウェハインは、彼女にとって最愛の人物だった。実弟であり、数少ない肉親である以上に将来を誓い合った間柄だったのだ。それが変わり果てた姿を曝している。ニーウェハインといわれなければ、いや、そういわれても信じられないくらいの変貌。かろうじて元々の右半身を知っていれば連想できる程度だ。だのに、ニーナには、それがニーウェハインだったものだということが理解できるらしい。堅く握り締められた拳が、彼女の心情を現している。

 だが、ニーウェハインだったものは、当然、ニーナの声になど耳を傾けない。空を蹴るように飛び出すと、拳を振りかぶった。セツナへの攻撃を邪魔するニーナを排除しようというのだろう。ニーナが反応できる速度ではなかった。反応したのは、セツナだ。ニーナと怪物の間に翅を割り込ませて障壁化し、その攻撃を阻んだ。分厚い障壁にニーウェハインだったものが激突し、凄まじい音が上がる。

「どういうつもりなんだ? ニーウェはもう……」

『そうだ。彼は敵になった。純然たる神の僕。神人……いや、使徒といったほうがいいか。ともかく、彼は、もはや人間ではなくなったのだ。もう元には戻せない。わたしたちの力を持ってしてもな』

「じゃあ、どうして……」

「わたしがいったのだよ、セツナ殿」

 ニーナが、視線を前方に向けたまま、話に割り込んできた。

「陛下の姿が消えたとき、胸騒ぎがしたんだ。なにか、大切なものが永遠に失われてしまうような、そんな予感が……」

『それで彼女がわたしに問い詰めてきた。ちょうどおまえの居場所にニーウェハインと同等の光点が出現したくらいだった。わたしとラミューリンの会話を聞いた彼女は、察したのだ』

「察した?」

「陛下は、わたしたちに隠し事をされていた。仮面のことだよ。右側だけでなく頭全部を隠すような仮面は、異形と化した右半身を隠すためだという説明があった。わたしはそれを信じなかったわけじゃない。信じていたし、そこにそれ以上の意味が込められていたのだとしても問題はないと想いたかったのだ」

『セツナ』

「わかってる」

「せっかくの余興、邪魔をしないでいただきたいものですね」

「おまえが……おまえがナリアか!」

 ニーナは割り込んできた相手の姿を見て一瞬たじろいだものの、すぐさまその戸惑いを怒りに変じさせた。彼女が戸惑った理由は、ナリアの姿がマリシアそのものだったからだ。マリシアは、ニーナやニーウェにも優しい数少ない皇族なのだ。その成れの果てともいえる姿を目の当たりにして、なにかしら感じないことなどありえない。

「そうですよ、ニーナ・ラアス=ザイオン」

 ナリアは、にこりと微笑む。その笑顔がニーナの心に及ぼす影響を計算に入れていることは疑いようがない。ナリアは、いかにすれば効果的にこちらの心を折れるのか、常に考えているところがある。

「わたしがナリア。ザイオン帝国の始原より今日に至る歴史の生き証人。帝国の創設者にして守護神であり、母なる者。すべての帝国臣民の信仰は、わたしに収束する。わたしこそが帝国の光。わたしこそが帝国の源。わたしこそが帝国そのもの」

 ナリアがニーナに向かって告げたのは、自身の存在意義についてだった。光輪が輝き、無数の球もまた光を発する。双眸は黄金色の光を帯びれば、全身も淡く発光していた。衣が揺らめき、内包された宇宙が無限の広大さを見せつける。見るからに神々しく、心が震えずにはいられない。

 セツナが自分を保っていられるのは、きっと、黒き矛と眷属たちのおかげであり、ただの人間ならば、ナリアのその姿を目の当たりにしただけで心折れ、ひれ伏すのではないか。

「ひれ伏しなさい。頭を垂れなさい。讃えなさい。崇めなさい。謳いなさい。祈りなさい。それが帝国のため。それこそが帝国のすべて」

「ふざけるな!」

 しかし、ニーナは、ナリアに向かって怒気を叩きつけた。その横顔は勇ましく、美しい。だが同時に痛ましくもあった。それは、彼女たちが信仰してきた帝国の歴史を否定するのと同義なのだ。ザイオン帝国の成立がナリアの助力によることだというのは、動かしようのない事実であり、真実だ。ナリアの否定は、帝国史の否定そのものであり、故に帝国人には、辛い戦いなのだ。

「なにが帝国の神だ! なにが帝国の光だ! わたしは認めない! おまえなど、帝国の神であるものか!」

「あなたが認めなくとも、あなたの愛しい皇帝は、既にわたしの軍門に降りましたよ。ねえ、ニーウェ。愛しいニーウェ」

「ニーウェを愚弄するなっ!」

 ナリアが慈しむようなまなざしをニーウェハインだったものへ向けた瞬間だった。ニーナが鎧の力でもってナリアに飛びかかろうとしたのを察知したセツナは、即座に彼女の背後に回り、羽交い締めにした。鎧の推進力は、メイルオブドーターに比べれば小さく、押さえ込むだけでなんとかなった。

「ニーナさん!」

「離せ、離してくれ……! わたしは……!」

「止めるんだ。あなたが敵う相手じゃない」

「でも……それでも、わたしは……!」

 セツナは、自分の腕の中で暴れるニーナに同情しながらも、決して離そうとはしなかった。さらにロッドオブエンヴィーの“闇撫”で拘束し、その上で抱きかかえる。そしてそのまま飛び退けば、ナリアの光輪から飛来した無数の光線が擦り抜けていった。マユリ神がいっていた彼女を護れとはこのことだったのだろう。

 ニーナをナリアから護れ、と。

「うふふ……なにをしているのですか? なにを迷っているのですか? あなたの敵は、ここですよ、ニーナ。あなたの愛しいニーウェをひとならざる怪物に作り替えた張本人は、ここにいますよ、ニーナ。いまが好機です。いまこそ、あなたの怒りをぶつけるときですよ」

「わたしは……」

「ニーナさん!」

「……わかっているよ、セツナ殿。わたしには、わたしの役割がある」

 ニーナは、思った以上にあっさりとセツナの言を受け入れた。しかし、それがセツナにはわからない。

(役割……)

 当然、彼女がこちらに転送されてきた理由はあるはずだ。マユリ神がなんの意味もなく、戦力にもならないものを激戦区に送り込んでくるはずがないのだ。ニーナに絆され、ニーウェハインの最期を見届けさせようなどということもあるまい。マユリ神は、感情よりも理性を第一にしている。今回の戦いだってそうだ。多数の犠牲が出ることを前提として、戦術を組んでいる。帝国将兵が数多に命を散らせることを念頭に入れている。いや、犠牲を戦術に組み込んでさえいるのだ。それほどまでに理性的かつ冷静なマユリ神が、ニーナのためだけに戦術をひっくり返すわけもない。

 マユリ神は冷静だ。

 だからこそ、信頼するに足るのであり、任せられるのだ。

 ニーナは、セツナの腕の中で、ニーウェハインだったものを見ていた。白と黒の怪物は、メイルオブドーターの障壁を破る方法でも考えているようだった。だが、どうしたところで、ニーウェハインだったものの力では、使徒程度の力では、完全武装状態のセツナに敵うはずもない。無論、その優位性は、相手が怪物一体だったら、の話だ。

「そうだろう、ニーウェ」

「ふふふ。なにをしても無駄ですよ。なにをいっても、彼にはもう聞こえない。彼の自我はとっくに失われているのですから。彼の身も心もわたしのもの。わたしだけのニーウェなのですよ」

 ナリアが、割って入ってくる。降り注ぐいくつもの光芒が障壁を貫き、大穴を開けると、そこから怪物が侵入し、一気に間合いを詰めてきた。ナリアが笑う。セツナは、ニーナの拘束を解くと、“闇撫”でもってニーウェハインだったものを殴りつけようとした。しかし、巨大な闇の腕はどこからともなく駆け抜けた光線に切り裂かれ、ニーウェハインだったものの肉薄を許すことになる。

「ニーウェ」

 ニーウェハインだったものが一瞬、動きを止めた。メイルオブドーターの翅の障壁、その破壊によって生じた鱗粉の遅効爆撃を察知したのだろう。セツナは、そう認識した。そして、鱗粉が連鎖誘爆する中で、ニーウェハインだったもののが全身を白と黒の外殻で包み込むのを見た。

 遅効爆撃は、障壁に仕込んだ反撃手段であって、決め手には欠ける。だがそれが、いまは役に立った。

 ニーウェハインだったものを滅ぼさずに済むからだ。

 セツナは、前言を撤回しながら、爆煙の中の怪物を見ていた。




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