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第二千六百十五話 白と黒(七)


「まったく」

 ナリアの声が聞こえたのは、頭上からだった。見上げれば、そこに女神がいた。

「まったく、愚かなことを考えるものですね、あなたというひとは」

「なにが愚かなものかよ」

「なにが……いわなければわかりませんか」

 ナリアは、苦笑を禁じ得ないとでもいうように身振りした。いつのまにか、ナリアの背後には光輪が復活していて、天体の如き球も元に戻っていた。それはつまり、多方向からの同時攻撃を食らわなくても済み、警戒しなくても済むということだが、同時にナリアの力の底知れなさを示すようでもあった。

「この状況であなたが優先するべきは、わたしの討滅でしょう。でなければ被害は増すばかり。それでは、あなたたちの覚悟も決意も水の泡。それも、彼を殺したくないというただの我が儘のせいだなんて、その事実を知れば、だれもがあなたを恨むでしょうね」

「……だったら、どうしたってんだ」

「あなたはわたしを斃し、この国を、この世界を救うために挑んできたのではなかったのですか? 彼の命を優先するということは、八極大光陣の攻略、その命を賭した戦いも、すべて台無しにするということに他なりません。なにせ、わたしを滅ぼせないのですから」

「そうだ、そうなんだよ、セツナ。俺のことを想ってくれるのはいい。嬉しいよ。でも、だけど、それじゃあ駄目なんだよ、セツナ。それじゃあ、せっかくの好機もすべて失われるんだ。いまここでナリアを滅ぼさなきゃ、おまえは……!」

「彼のいうとおりですよ、セツナ。いまこの気を逃せば、わたしは再び八極大光陣を布き、絶対無敵の力を得るでしょう。そうなれば、あなたにはもはやわたしを斃す好機はなくなります。わたしに立ち向かうことすらできなくなるのです。それでもおいいのですか」

「おまえは……俺にニーウェを殺させたがっているんだな」

「さて……」

 ナリアは、なんともいえない顔をした。慈悲深い女神そのもののような容貌でありながら、セツナが感じ取れるのは底知れぬ嫌悪であり、忌ま忌ましさだ。セツナの心情をすべて把握しているとでもいわんばかりの振る舞い。どうすればセツナを精神的に追い詰めることができるのか、どうすればセツナの心をすり減らし、折ることができるのか、すべて承知しているような、そんなまなざし。

 ニーウェハインは、こちらを見ている。じっと、右手で左腕を押さえ付けるようにして、凝視している。彼は、セツナの説得に折れたわけではない。セツナの考えを聞き、セツナの心情を納得こそすれ、受け入れてくれたわけではないのだ。彼は、いまも死にたがっている。自分が死ぬことで、殺されることで、セツナを解き放とうとしているのだ。

「本当に殺したくないのであれば、わたしに協力すればいいだけのことです」

「なんだと」

「わたしに協力し、イルス・ヴァレを滅ぼすと約束するのであれば、わたしもあなたと約束しましょう。あなたにとって必要不可欠なひとたちだけではなく、そうですね……帝国のひとびとも滅びから護ってあげてもいいのですよ。そして、あなたが世界を滅ぼした暁には、わたしの在るべき世界へ移送して差し上げましょう。そうすれば、なにも失うことはない。なんの問題もない。そうでしょう」

「俺はおまえと交渉するつもりなんざねえ」

「でしたら、どうやって彼を救うのです」

 ナリアがニーウェハインを一瞥する。

「彼はもはやわたしの操り人形。こうすれば、ほら」

「ぐっ……!?」

 ニーウェハインの口から苦悶の声が聞こえた直後だった。左半身が突如、急激に膨張したのだ。右手を弾き飛ばすほどの膨張は、彼の左半身のみに起きたものではなかった。なんと、それに引きずられるようにして、右半身も膨張し、変形していく。白い左半身と黒い右半身が互いに主導権を奪い合おうとでもするかのように、せめぎ合い、ぶつかり合い、火花を散らし、変貌する。

 一気に巨大化したそれは、もはや人間の要素を一切残していなかった。

 丸みを帯びた白い左半身と鋭角的な黒い右半身を持つという極めて対称的なその巨躯は、怪物という以外にはなかった。元々怪物に近かったとはいえ、人間の要素を多少なりとも残していたさっきまでの姿からはかけ離れている。翼の数も増えた。二枚から、六枚へ。三枚の翼は天使のそれであり、悪魔の翼も三枚ある。しかも、金色に輝いているのは左目だけではなく、右目まで、黄金色の光を帯びていた。

「おまえは……!」

「さあ、セツナ。選びなさい。わたしを滅ぼすために彼を殺すか。彼を生かすためにわたしに協力するか。道はふたつにひとつ。わたしを滅ぼし、彼を生かすなどという我が儘は、通りませんよ」

 いうが早いか、ニーウェハインだったものは、咆哮を発した。大気を震わせ、世界を震撼させるようなおぞましい叫び。それはもはや人間の声ではなかった。人間の発せられるようなものではなかったのだ。全身が総毛立つ。脳が警戒している。いや、黒き矛も、眷属たちもだ。ニーウェハインの変わり果てた姿を敵と認識したようだった。セツナは内心、頭を振りたかった。認めたくなかった。ニーウェハインと敵対したくはない。傷つけたくはない。殺したくなどない。

 だが、ニーウェハインは、セツナのことを待ってくれるわけもなかった。空を蹴り、羽撃く。一瞬にして間合いを詰めてきたかと思うと、左の拳が唸りを上げて落ちてくる。閃光を帯びた拳は、高熱を発してもいた。槍で受け止め、穂先の回転で弾き飛ばす。すると今度は右腕から無数の刃が突出してきた。まるでエッジオブサーストのような刃の大群は、大斧を叩きつけてまとめて粉砕する。そして透かさずロッドオブエンヴィーの“闇撫”でもってニーウェハインの巨体を拘束すると、彼は躊躇わず地上に向かって投げた。同時に羽ばたき、追撃する。

(くそ……どうにもならないのかよ)

 ニーウェハインには、もう自我が残っていないのか、あるいは残っていたとしても、もはや肉体を制御できないほどか細いものになっているのかもしれない。それは、いまの殺意溢れる動きを見ればわかる。ニーウェハインだったものは、セツナを殺しきるつもりで攻撃してきている。それは、ナリアの目的からすればありえないことだが、だが、見方を考えれば、十分にあり得ることだ。

 ナリアは、セツナにニーウェハインを殺させようとしているのだ。

 ナリアは、なんとしてでもセツナの心を折ろうとしている。セツナが心折れ、絶望し、黒き矛の力でもって世界を滅ぼすことこそ、ナリアの目的だからだ。

 そのためにファリアたちを皆殺しにしたのが、最初。それがなかったことにされ、八極大光陣が攻略されたいま、ナリアは様々な手を打ってきている。隕石落としもそれだ。隕石落としによって大陸を壊滅させることでセツナを追い詰めようとしたが、失敗に終わった。そして、その隕石落としを防いだニーウェハインに目をつけたのは、ナリアの嫌らしいところだろう。

 とはいえ、ニーウェハインが元々、ナリアの神威に冒されていたのだ。もし、その事実を知らないまま、ナリアを滅ぼしていれば、どうなっていたか。ニーウェハインの肉体を蝕んでいた白化症だけが消滅しただろうとは、考えにくい。白化症は肉体を蝕む。変容させる。ナリアの滅びによって、その変容した部分がごっそり消滅し、ニーウェハインの命に問題が生じていた可能性も低くない。

 とはいえ、助かった可能性もなくはないため、なんともいえないのだが。

「ニーウェ」

 セツナは、彼の名を呼び、遙か眼下、水没した移動城塞の水面に浮かぶ怪物を見遣った。

“闇撫”に投げ飛ばされた怪物は、抗わず、地上に降り立ったのだ。そのほうが戦いやすいと判断したのだろうが。

 セツナは、やりきれなさに言葉を失っていた。





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