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第二千六百十三話 白と黒(五)

 白と黒。

 黒き異形の右半身と白き異形の左半身。

 エッジオブサーストの能力によって異界化し、異形化した右半身が黒く禍々しい悪魔ならば、ナリアの力を受け、神化し、異形と化した左半身は白く神々しい天使といって差し支えないだろう。もちろん、見た目からは天使とは呼べない。天使という単語から想像できるような、そんな美しい姿ではなかった。これまで斃してきた神人とそう大きな違いはない。違いがあるとすれば顔くらいのものだ。顔面には、ニーウェハインの面影が残っていた。

 完全に異形化した右半身と、左半身の違いは、容貌の違いといってもいいだろう。

 人間時代のニーウェハインの要素を多分に残した顔面の左半分だが、しかり、神人らしく、白く塗り潰された頭部は、もはや人間のそれではない。目も、違う。紅く輝く右目とは異なり、左目の虹彩は、金色に輝き始めていた。それは、女神の目に似ている。神々の目。神聖なる金色。

「ニーウェ……」

「無駄ですよ。どれだけ呼びかけても、彼には聞こえない。彼には届かない。彼には響かない。なにをしてももう手遅れ。彼はわたしのもの。わたしだけのニーウェハイン。わたしの言葉だけを聞き、わたしの言葉だけに従い、わたしの言葉だけに応じる。わたしだけのもの」

「おまえは……!」

「なにを怒ることがあるのです。わかっていたことでしょう、こうなることは」

 ナリアの細い手がニーウェハインの白く変容した左半身を撫でる。ニーウェハインは、表情を変えない。無表情に、無機的にこちらを見ている。見据えている。わずかでも動けば、即座に対応するとでもいわんばかりの警戒感。

「彼が、あなたたちのいう白化症を患っていたことは、あなたも知っていたはず。いずれこうなることも、理解していたでしょう。なにをいまさら」

「いまさらもくそもねえよ」

「理不尽ですね」

「理不尽なのはおまえだろうが!」

 叫び、上方へ飛び跳ねる。直線では、ニーウェハインに邪魔されると踏んだからだが、上へ飛んだだけでも、ニーウェハインは反応した。黒と白の翼を広げ、羽撃く。一瞬にしてセツナの眼前を突き抜け、頭上に至った。見上げる。ニーウェハインの右目が輝いていた。紅い目。ニーウェハインの魔眼。ふと気づくと、周囲を黒い羽根が舞い踊っていた。セツナは咄嗟に翅の障壁で全身を覆った。黒い羽根が弾丸の如くセツナに殺到し、障壁に激突した。爆発に次ぐ爆発。障壁は破壊されなかったものの、爆煙が視界を塞ぎ、爆発がニーウェハインの気配を紛れさせていた。

 爆煙の真っ只中から白い手が飛び出してきたかと想うと、障壁ごとセツナを掴み上げ、上空へ運ばれていった。障壁を解除すれば振り解くこともできるだろうが、そのためにはニーウェハインを攻撃しなければならない。そんなこと、できるわけがない。相手は、ニーウェハインだ。

 神人化したとはいえ、ニーウェハインなのだ。

 彼と彼の周囲のひとびとの幸福を奪うことなどできない。だから、彼は叫ぶ。あらん限りの声で。

「ニーウェ! 俺の声を聞けよ!」

「無駄だといっているのが、わからないのですか」

「うるせえ! おまえにいってねえだろうが!」

「うふふ。ではひとつ、いいことを教えて上げましょう」

 ナリアの喜びに満ちた声は、いまや騒音以外のなにものでもない。

「ニーウェハインは、いまやわたしを命の源とする存在となりました。どれだけ傷つけられようとも、どれほどの深手を負おうとも、それこそ瀕死の重傷を負おうとも、“核”とわたしの存在がある限り、無限に再生し、無制限に復元することが可能なのですよ」

「んなこたあ……」

 知っている、と、いおうとして、彼は、はたと気づき、眼下を睨んだ。遙か眼下、ナリアがこちらを仰ぎ、微笑んでいるのがわかる。女神は、再び、いった。

「“核”とわたしの存在がある限り」

「……そういうことかよ!」

 吐き捨てて、ニーウェハインに視線を戻す。巨大化した右手でセツナを包み込んだニーウェハインは、黒白の翼で大気を叩き、加速し続けていた。先程までも空中戦を繰り広げていたが、さらに上空も上空へと至り、次第に空気が薄くなっていく。

 ナリアがいいたかったことはつまり、こういうことだ。

(ナリアを滅ぼせば、ニーウェハインも死ぬ……!)

 開戦前、マユリ神がいっていたことでもある。神人も神獣も使徒も、神を拠り所とする存在は、その拠り所としている神が滅びれば、同時に滅び去る。だからこそ、これほどまでの兵力差、戦力差があっても勝機があるといえたのであり、その一点だけを以て勝利の可能性があるといっていたのだ。もし、ナリアを滅ぼせても、百二十万の神人や神獣が消え去らなければ、統一帝国軍はとてつもない損害を被らざるを得ない。ナリアさえ滅ぼすことができれば、敵の主戦力すべてが消滅するという条件があってはじめて、この戦いに勝機が生まれたのだ。

 そしてそれが、いまや決定的な弱点となった。

 セツナは、ニーウェハインを殺せない。

 ナリアを滅ぼさなければ、勝利は訪れない。が、ナリアを滅ぼせば、ニーウェハインを殺してしまうことになる。それではだめだ。たとえいま目の前にいるのが、ニーウェハインですらない、ただの神人なのだとしても、もはやセツナの声など届かない化け物なのだとしても、できなかった。

 同一存在だったからでは、ない。

 そんなことは理由にはならない。

 もっと、もっと深いところにこそ、理由がある。

 彼のことを知ってしまった。

 不意に、圧力が消えて、セツナは我に返った。どれほどの時間、考え事をしていたのか。数秒か、数瞬か。いずれにせよ、ごくわずかな時間であることは確かだろう。敵対者の眼前で長考しているほど、セツナも愚かではない。とはいえ、そのほんのわずかな時間が生死を分けることもある。注意しなければならない。ならないが、なぜ自分がニーウェハインの拘束から解放されたのか、よくわからなかった。

 ニーウェハインは、前方に浮かんでいる。右腕を元の大きさに戻した彼は、こちらをじっと見ていた。先程までとなにが変わっているわけもない。凄まじい圧力を発しながら、こちらを見ているのだ。ただ、敵意は感じなかった。口が、開いた。

「なにをしているんだ、まったく」

「え……?」

「だからいったんだよ、あのとき。俺を殺せって」

「ニーウェ……?」

「……白化症の行き着く先は神人化だと、そう知っていただろう。だからいったんだ。もう取り返しのつかないところまできていたんだからな。俺を殺しておけば、いま、俺のせいで君が苦しむこともなかった」

「……おまえ、どうして……?」

 セツナの疑問に対し、ニーウェハインは右手を掲げてきた。

「たぶん……いや、きっとこいつのおかげだろうさ」

 親指で自分の右半身を指し示した彼のいいたいことは、なんとはなしにわかった。彼の右半身は、神化していなかった。白化症に冒されず、異界化、と彼が形容する状態のままで留まっていた。それは、とどのつまり、完全な神人化を妨げることができていたということであり、そのおかげで彼が自我を保てたか、あるいは取り戻せたのではないか。

「だったら、もうなにも……」

「いや、そうはいかない。そういうわけにはいかないんだよ、セツナ」

 ニーウェハインが右の顔だけで喋っていることに気づいたのは、彼が苦心して声を出していることを理解したからだ。そして、左半分が微動だにしていないことを把握する。

「……ニーウェ」

右半身こっちは、俺のいうことを聞いてくれるんだ。完璧に。けど、左半身こっちは駄目なんだ。こっちは、な」

 左腕が肥大しかと思うと、無数の触手が飛び出してきて、セツナに殺到した。

 そこには、明確な殺意があった。




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