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第二千六百七話 星を落とすもの(九)

 戦神盤による空間転移の完了と同時に認識したのは、視界を埋め尽くす岩塊の光沢を帯びた岩肌であり、その圧倒的な質量にはニーウェハインも意気を吸い取られるかのような感覚さえ抱いた。それほどまでに巨大な岩塊が前方にあり、いまもなお落ち続けている。自由落下。重力に引かれ、ただ落ち続けるそれをどうにかして処理しなければ、地上には甚大な被害が及ぶだろう。統一帝国軍が壊滅する可能性は決して低くなく、たとえ壊滅しなくとも、大陸全土が壊滅的な損害を被ることは疑いようがない。 

 だからこそ、彼は、ここにいる。

 恐らく神威の光であろう光沢を帯びた岩塊の眼前に転送してもらったのだ。

 すべては、この岩塊を打ち砕き、統一帝国臣民のみならず、セツナ一行および南大陸に生きとし生けるものの生命を守るために。

(そのために、わたしはここにいる)

 マユリ神の加護が増幅し、彼を後押ししてくれていた。様々な召喚武装による支援が彼の身体能力を限界以上に高め、精神力をも増強するかのようだ。昂揚する精神は、そのまま、彼の力をも昂ぶらせる。膨張し、変異し続ける右半身は、さらに加速度的に変化していた。

 異界化した右半身。

 ニーウェハイン・レイグナス=ザイオンは、その力のすべてを解き放つ。

 空中。

 右の肩甲骨から伸びた漆黒の翼が滞空を可能としているのだ。肥大し、膨張しすぎた右腕はもはや別の生き物のように動き回りながら、彼の意思の赴くままに前方へ向かう。無数の異形の龍が首を絡ませ合い、ひとつの腕を形成しているかのようであり、実際それぞれ異なる力を発現させているのだが、意思はひとつだ。ニーウェハインの意思が異界化した右半身を完全に支配し、完璧に制御している。そして、彼の思い通り、岩塊を受け止めるように広がった。

 手のひらを広げるように。

 そうして拘束を解かれた無数の龍の首が、様々な軌道を描きながら岩塊へと殺到し、それぞれが口を大きく開いた。咆哮が蒼穹を震わせるように轟き、龍の口腔から光の奔流が放出される。数多の光線が一瞬にして岩塊に直撃したものの、岩塊には傷ひとつつかない。無傷の岩肌をその目で確認するも、彼は取り乱さなかった。自身の高度を下げるでもなく、むしろ高度を上げ、岩塊への接近を試みる。岩塊は落下を続けている。接近するのは困難なことではない。ただし、巻き込まれることを考慮しなければ、だが。

(神の力か)

 岩塊が帯びた光沢は、やはり神威だったのだ。まず間違いなくナリアの力であり、この岩塊も、ナリアの攻撃手段に違いない。ナリアの目的は、セツナを絶望させることだという。セツナを絶望させ、黒き矛の真の力を引き出させることが世界を滅ぼすことに繋がるからだ。そうすることで、ナリアはこの世界から解き放たれようとしている。

 帝国の神だなんだといいながら、結局は自分のことが第一であり、そのためならば帝国臣民がどうなろうと、この世界が滅び去ろうと構わないと考えているのがナリアなのだ。そんなナリアがこの帝国の真の支配者だったなどと認めるわけにはいかないし、否定するためにも、勝たなければならない。

 ただナリアを討ち滅ぼして終わりではない。

 こちらが万全の状態で打ち勝ち、ナリアに思い知らせてやるのだ。

 帝国人の、人間の力を。

(そうだ。わたしは人間だ)

 異界化し、白化症に冒されてはいるが、人間なのだ。人間ニーウェハインとしての意思があり、自我がある。自分があるのだ。だからこそ、彼はここにいるといっても過言ではない。神人として、神の人形として生まれ変わる前に、ただの人間として生涯を終えるために。それもただ死ぬのではない。帝国臣民のため、セツナたちを護るために命を費やすのだ。

 それならば、犬死にではない。

 無駄死ににはならない。

 死ぬならば、意味のある死を。

 それも、皇帝に相応しい死に様を選びたかった。

(わたしは幸福者だな)

 ニーウェハインは、岩塊に難なく取り付くと、右腕を叩きつけ、岩塊を覆う障壁の堅さを再確認した。全力を込めた打撃でも、岩塊の表面には傷ひとつつかなかった。岩肌に接触させた龍の口から光線を吐き出しても、結果は同じだ。岩塊は傷つかず、壊れる気配もない。ナリアは、この岩塊を落とすためにかなりの力を費やしているのだろう。それはつまりどういうことかといえば、セツナとナリアの戦いが、セツナ有利に傾いている可能性が高いということでもある。

 もちろん、その大前提として、ナリアが力の大部分をこの岩塊の守護に割き、セツナとの戦闘に全霊を込められないという条件があるが。その可能性は、決して低くはあるまい。しかしながら、ナリアがこの岩塊の維持に力を割いている間にセツナがナリアを討ち果たしてくれるのを待つ、という選択肢は、残念ながらない。

 岩塊の落下速度は、一定ではなかったのだ。徐々に加速しており、その加速に併せるかのように岩塊が輝きを増していた。ナリアが、力を注いでいるに違いない。

(相応しい死に場所があったのだから)

 彼は、拳を握り締める。全身を神威が伝っている。ナリアの力だ。しかし、その神威がニーウェハインの行動を阻害することはない。マユリ神の加護が彼を護ってくれているからだ。神は神でも、ナリアとマユリ神は、違う。マユリ神もまた、異世界の神であり、本来在るべき世界に還りたがっているはずなのだが、そんなことはおくびにも出さず、セツナに協力し、ニーウェハインたちにも力を貸してくれている。

 ナリアとは、根本からして考え方が違うのだ。

 だからこそ、ニーウェハインはマユリ神には感謝していたし、マユリ神ならば信仰しても構わないと想っていた。この戦いに勝利し、ニーウェハインが生き残っていた暁には、マユリ神への信仰を国教にしてもいいとさえ、考えていた。だが、どうやらそれは叶わない。それが少しばかり心残りだった。

 だれもが自分の死に場所を選べる、そんな時代ではない。無為に死ぬものもいるだろう。犬死に、無駄死には当然のようにこの世に満ちている。だれもが意味のある死に方をできるものではない。この変わり果て、死と絶望が蔓延した世界で、満ち足りた死を迎えられるものなど、どれくらいいるだろう。どれほど多くの命が無意味に散り、無駄に失われていったのだろう。

 彼は考える。

 統一ザイオン帝国皇帝ニーウェハイン・レイグナス=ザイオンは、考える。

 この戦場でもそうだ。数多の命が散っていった。千や二千どころではない。万単位で死者が出ている。そしてそれら死者は、いずれも帝国のため、皇帝のために命を散らせているのだ。統一帝国万歳、皇帝陛下万歳と、断末魔に上げる言葉は、常にそれだった。そういった声が聞こえるたびに、彼は、深く傷ついた。自分のため、自分の不甲斐なさのため、自分の無力さ故に死んでいくものたちがあまりにも多すぎる。

 力が欲しい。

 何度も想ったことだ。

 何度も願ったことだ。

 だれよりも切望し、故に聲を聞いた。エッジオブサースト。黒き矛の眷属たるその刃は、彼に大いなる力をもたらし、宿命をも動かした。

 それが、いま、ここにいる自分だ。

 ニーウェハインは、異界化した右半身のすべての力を解き放った。異界そのものたる右半身、その奥底に眠れる力を際限なく放出する。それはみずからを死に追いやるのと同じといってよかった。制御を失った力は、彼の肉体も精神も食い破りながら暴走し、膨張を続けるからだ。そして、命を食い尽くせば、異界の力そのものも形を失い、消滅するだろう。

(だから、いいんだ)

 想像を絶する痛みの中で、彼は、にやりとした。制御を外れた異界の力は、彼の肉体を象るのを止め、右腕は愚か、右半身のすべてを異形に変えた。力が止めどなく溢れ、物凄まじい熱量が彼の身も心も灼き尽くす。全身がずたずたに引き裂かれ、内臓も骨も肉も皮もばらばらになるような感覚があった。絶叫していたかもしれない。それが聞こえなかったのは、もはや聴覚が機能していなかったからだろう。そして、目の前が真っ白になる直前、視界を塗り潰さんとした黒い濁流が岩肌を貫き、岩塊に巨大な亀裂を刻むのを見た。

 彼は、きっと、叫んだ。

 なにをいったのかはわからない。

 ただ、叫んだのだ。

 そして叫びが力の奔流を生み、岩塊を包み込んだ。


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