第二千六百四話 星を落とすもの(六)
戦いは、当初より劣勢ではあった。
戦争は、基本的には兵力差がものをいう。数こそが力であり、それが古今、戦争の勝敗を決定するものとして信じられた。武装召喚術が誕生してからは、必ずしもそうではなくなったものの、投入する武装召喚師の数や質が同じならば、結局は、兵力差が勝敗の分け目となるものだ。兵力差を覆す勝利など、そうあるものではない。兵力差が圧倒的ならば、戦術や策でどうなるものでもないのだ。
その兵力差が圧倒的だった。
八十万対百二十万。
それをどうにか持ち堪えるというのが、この戦いのすべてであり、なにも百二十万の大軍勢を打ち負かすことが目的ではなかった。
勝利条件は、女神ナリアを討ち滅ぼすこと。
そして、その鍵を握るのは、八極大光陣の攻略とセツナの活躍だ。
八十万の軍勢は、勝利条件が達成されるまでの間、持ち堪えることだけが目的であり、勝利条件といっても過言ではなかったのだ。
そのためにできる限りのことをしている。
戦神盤による全戦闘員の認識と、マユリ神の加護、各種召喚武装の補助により、常人が常人とは思えない力を得た。神人や神獣という神の怪物たちとまともに戦えているのだから、それだけでもその恩恵は凄まじいとしか言い様がない。
それ故、戦えている気になっていた。実際、対等に戦えてはいたのだろう。武装召喚師でもなく、召喚武装も使えない一般将兵が神人や神獣を相手に大立ち回りを演じ、撃破まで持ち込むことができているのだから、そう考えていいはずだ。しかし、対等では、兵力差を覆すには至らない。互いに同じだけの兵力を減損させながら、戦闘を続けているだけのことだ。つまり、兵力差は埋まらず、最終的にはこちらが敗北しかねない。
そんな状況が忽然と変わったのは、八極大光陣の攻略が完了し、攻略班が戦場に転送されてからのことだ。全員が無事に還ってこられたわけではないし、消耗の激しいランスロットは休息させているものの、それ以外の多くの戦力が戦線に参加したことで、状況は変わった。ひっくり返ったといってもいい。
海神マウアウの参戦、ファリア=アスラリアを始めとする有力な武装召喚師たちが力を発揮したことで、劣勢は瞬く間に優勢へと変わった。戦況の大きな変化が、全軍に勝利の可能性を感じさせ、戦意を激しく昂揚させた。
このまま勝てるのではないか。
そう想った矢先だった。
空から二度目の岩塊群が降ってくると、敵軍の地上戦力に変化が起きた。それが先程いった神人たちの融合による超巨大化だ。白毛九尾のシーラと取っ組み合いの戦いを行えるまでに巨大化した怪物たちは、それまでの神人や神獣とは比べものにならないほどの力を持っており、通常戦力では蹴散らされるのが関の山だった。
「陛下、後方に下がられるべきでは……」
親衛隊の心配にニーウェハインは、目を細めた。彼は、最前線にいる。その異形の右半身の力は、最前線で猛威を振るってこそ意義があるのだから、彼が最前線を飛び回るのは当然だった。
陛下。
皇帝陛下。
そう呼ばれるようになって二年あまり。
最初は、西ザイオン帝国皇帝だった。
崩壊の日、ワーグラーン大陸はばらばらになり、ザイオン帝国領土も大きく北と南に分かたれた。彼は、南ザイオン大陸の混乱を取り除き、秩序と安寧をもたらすべく、立ち上がった。立ち上がらなければならなかった。でなければ、彼や愛するひとたちに安息の日が訪れないからだ。
皇帝ニーウェハイン・レイグナス=ザイオンと名乗った。先帝シウェルハイン・レイグナス=ザイオンが後継者に指名したのだから、先帝亡き後、彼が皇位を継承するのは当然のことであり、周囲の人間は反対しなかった。皇帝を自称するミズガリスとその一派を除いては、だが。
ともかくも、彼が皇帝を名乗ったのは、周囲のひとたちのためというのが強く、全帝国臣民のことを考えていたかというと疑問の残るところだ。帝国臣民のため、帝国の秩序、安寧のためだけであれば、なにも彼自身が立ち上がる必要はなかった。ミズガリスは皇帝を僭称し、東帝国を立ち上げたが、それは、彼の私利私欲のためでもなんでもなかった。皇帝になるのは自分であるべきだという強い想いがあったのは確かだろうが、そこには、自分こそが帝国臣民を導くに相応しい実力と才能、実績があるという確信があったからにほかなるまい。事実、東帝国は上手く回っていたし、もし、ニーウェハインの身辺になんの不安もないのであれば、ニーウェハインが立ち上がるようなことはなかっただろう。ミズガリスならば、南大陸全土を統治運営することもできたはずだ。
しかし、そうはならなかった。
ニーウェハインは立ち上がり、皇帝として、西帝国を率い、東帝国と争った。
月日が流れ、彼の中で様々な変化が起きた。ただ自分の周囲のひとびとのことだけを想っていたニーウェハインはいなくなり、帝国臣民のことを第一に考える皇帝としての自分を自覚するようになっていったのだ。
皇帝は、ザイオン帝国において神とされる。
現人神。
帝国臣民は物心つく前から皇帝を尊崇し、信仰するように教わり、育てられる。だれもが、皇帝こそが神であるという帝国の有り様に疑問を抱かない。皇帝は神であり、皇家は神の血筋である、と、帝国臣民ならばひとり残らず信じ込んでいる。五百年の長きに渡る歴史は、帝国臣民の皇帝信仰を揺るぎなきものにしていったのだ。おそらく、皇家の上に君臨した女神ナリアの影響もあったのだろうが、それ以上に連綿と受け継がれてきた言葉や想いが、ひとびとの心に深々と刻みつけられていったと想うべきだ。
皇帝は、自分を神の如く崇め称えるひとびとの上にいる。
彼らの期待に応えなければならない。
民草が困窮しているのであれば、それを救ってみせるのが皇帝であり、帝国内においてなにがしかの問題が起きれば、その解決に率先して動くのもまた、皇帝だった。皇帝とは、まさに帝国臣民にとっての救い神なのだ。なればこそ、臣民は皇帝を信仰する。皇帝を尊崇する。なにもせず、ただふんぞり返っていたとしても、信仰を集めることは不可能ではないのだろうが、ザイオン帝国皇帝は、いつの時代も能動的であり、積極的だった。
だからこそ、帝国臣民は皇帝を神の如く崇め称えた。
「陛下!」
「聞こえているよ、大総督」
ニーウェハインは、前方の平原を闊歩する化け物の群れを大津波が飲み込むという光景を目の当たりにしながら、告げた。大津波は、海神マウアウの御業だ。マウアウ神は、川に陣取り、そこから海神の名に相応しい方法で敵陣を攻撃している。川を流れる水量からは想像もできない大津波も、それだ。
しかし、敵陣のみを飲み込んだ大津波が流れ去ると、超巨大化した神人たちは平然と立ち尽くしており、神人や神獣のようには押し流せなくなっていた。複数の神人、神獣、神鳥が融合した個体は、神の起こす津波にも耐えうるほどに強化されているということだ。こちらが押されるのも当然といえる。
「状況は最悪だ。少なくとも、この戦場は劣勢に立たされている」
「この戦場どころではありません。全戦線において、我が方が不利に陥っています。その上、あれを……」
「……ああ、先程から皆が騒いでいるのは、あれのせいか」
ニーウェハインは、ニーナが指し示した頭上を仰ぎ、納得した。彼の思索を阻害するかのような騒ぎも理由がわかれば、腑に落ちるというものだ。
頭上、蒼穹の彼方から紅く燃える巨大な岩塊が降ってきていたのだ。
それは、いままで二度に渡ってニーウェハインたちを窮地に陥れた岩塊群よりも遙かに巨大で、それが直撃するだけでこの戦場は愚か、大陸全土に大打撃が行き渡ること想像に難くない。
一度目の岩塊群は白毛九尾と化したシーラが一掃した。その美しくも圧倒的な活躍ぶりは、ニーウェハインの周囲も沸き立ったくらいだった。
二度目の岩塊群は、超巨大化した神人のせいもあり、だれもが対応に遅れたところをセツナの分身たちが黒き矛の“破壊光線”によって爆砕した。
三度目は、どうか。