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第二百五十九話 黒き竜を夢に見る

 また、あの夢を見ている。

 セツナが、眼前に広がる灰色の景色に抱いた感想がそれだ。白と黒が入り交じった奇妙な風景。どこまでも広がる空も、たなびく雲も、眩しいはずの太陽も、なにもかもが灰色に染め上げられている。灰色一色。いつか見た光景。

 上体を起こすと、視界に映るすべてが、空と同じように灰色なのがわかる。剥き出しの地面も、前方の丘陵地帯も、遠方の木々も、なにもかも。

 発想が貧困なのかもしれない、などと思いながらも、こんな夢を見たのはこれで二度目に過ぎないとも考える。

 一度目は、ナグラシアへ向かう前だ。戦争を前にして、興奮するドラゴンの姿を夢想したのだ。そのドラゴンは、まるで黒き矛カオスブリンガーの化身であるかのように振る舞い、セツナを驚かせたものだが。

「化身? 化身か……!」

 嘲笑が頭上から降り注ぎ、セツナの視界を影が覆った。灰色の世界に現れた雑じり気のない黒い影に、セツナは茫然と顔を上げる。灰色の空に、漆黒の巨体が浮かんでいた。長い首と尾を持つ化け物が、一対の翼を広げて、上空を滑るように旋回していたのだ。それは、セツナが見ている間にゆっくりと高度を下げてくる。全長数十メートルの巨躯は、灰色の視界を漆黒に塗り潰すかのようだ。

 灰色の世界に突如現れた異物にも、セツナは動じなかった。前にも同じような経験がある。あのときは、ただ目の前に存在していたのだが。

「違うのかよ」

 ぶっきらぼうに言い返すと、ドラゴンが降り立つのを待った。黒竜が前方に着地した瞬間、爆風のような衝撃波が起きた。セツナは軽々と吹き飛ばされる。視界が激しく流転したものの、痛みはない。地面に激しく叩きつけられ、もんどりうっても、痛痒さえ感じなかったのだ。

 やはり夢なのだと彼は再確認し、それによって、黒き竜もまたセツナの妄想の産物なのだろうという結論に至る。なぜあのとき、黒き矛の化身だと思い込んでしまったのだろう。

 砂埃を払って起き上がると、逞しい想像力が作り上げた化け物が鎮座しているのが目に入ってくる。漆黒に覆われたドラゴン。体の表面は常に闇が流動しているようであり、鱗に覆われたドラゴンとは一線を画す存在感がある。巨大な頭部には無数の眼が輝いている。紅い宝石のような複眼もまた、ドラゴンらしいものではない。しかし、数十メートルを越える巨躯も、一対の翼も、長い首も太い尾、隆々たる手足も、空想上のドラゴンそのものといっても過言ではない。

(そりゃ、俺の想像だもんな)

 セツナは、漆黒のドラゴンに歩み寄りながら、前方の化け物が、頭の中に浮かぶどのドラゴンともまったく異なる質感を帯びていることに気づいた。が、そんなものがその存在を確かなものにするはずはない。

 夢は夢だ。

「貧困な発想力ではなかったのか?」

 ドラゴンは核心を突いてきたつもりだったのかもしれないが、セツナはむしろ半眼になった。

「ほら。そうやって、俺の考えを見抜くところがさ、嘘っぽいんだよ」

「……おまえがどう思おうとかまわんがな」

 ドラゴンが、そっぽを向いた。禍々しい異形からは想像もつかないきわめて人間臭い態度に、セツナは笑ってしまった。

「なんなんだよ、本当に」

 ドラゴンが再びこちらを見た。無数の目に見据えられる。心の奥底まで見透かされるかのような感覚がある。たとえ夢の中でも、気味の悪い感覚には違いなかった。寒気すら覚える。恐怖もあるかもしれない。しかし、夢の産物であるはずのドラゴンから、強烈な圧力を感じずにはいられないのはどういうことなのだろう。

 黒竜が、目を細める。

「おまえこそ、なんなのだ?」

「なにが?」

 ドラゴンに問い返されたところで、セツナは疑問符を浮かべることしかできない。ドラゴンの問の意味がわからない。なにを目的とした質問なのか、理解できないのだ。

 ドラゴンは、大きく息を吐いた。灰色の大気の中に黒いものが混じる。黒竜の息吹きの影響力の強さが窺える。

「なぜ、俺に触れていられるのだ」

 黒竜が口にしたのは、またしても意味の分からない言葉だった。

「触れていられる?」

 セツナは、ドラゴンとの間に厳然として存在する距離感を見遣りながら、彼の言葉を反芻する。馬鹿みたいだが、そうするよりほかはなかった。ドラゴンのいいたいことがよくわからないのだ。超能力者ならば彼の思考を読み取り、求められる返答を考えだすこともできるだろうが、あいにくセツナは他人の思考を読み取る能力など持ってはいない。夢の中のドラゴンとはわけが違うのだ。

(夢なら、俺にもわかっていいのにな)

 セツナは憮然とした。ここが彼の考えている通り夢の世界で、なにもかもが夢想の産物ならば、ドラゴンの考えていることが手に取るように分かったとしても、不思議ではないはずだ。しかし、どれだけ考えても、黒き竜の思考がわかることはない。

「あの娘のように自我を保てなくなるのが、普通なのだ」

 ドラゴンは、どこか遠い目をしているように見えた。真紅の複眼が、透き通るように輝いている。それでも、セツナは彼のいっていることがわからない。察しが悪いのかもしれない、とも思うが、ドラゴンもドラゴンだ。もっとわかりやすくいってくれれば、セツナだって対応できる。

「あの娘? 自我? さっきからなにをいって――」

「ミリュウ=リバイエンは、俺に触れたがために己を見失った。結果、おまえは生き延びた」

「ミリュウ……?」

 セツナは、その名を口にして、ようやく、ドラゴンのいおうとしていることが朧気ながらにわかってきた。ドラゴンは、またしても自分のことを黒き矛だというつもりなのだ。黒き矛の姿とはかけ離れた異形の化け物の姿こそが本性なのだとでもいうつもりなのだ。漆黒の矛は、仮の姿なのだと。

「あんたのいう俺っていうのは、カオスブリンガーのことか」

 半信半疑につぶやくと、ドラゴンはあきれたようにいってきた。

「以前にもいったはずだが……まさか、本当に夢の産物だなどと思ってはいまい?」

「あんたがカオスブリンガーだっていう証がない」

 セツナは、漆黒のドラゴンを見遣りながら、告げた。最初に見たときは、黒き矛を想起させる外見だと認識したし、それはいまも変わらない。禍々しい漆黒のドラゴン。赤い眼は、血塗られた黒き矛を思い出させる。隆々たる体躯は、黒き矛に秘められた強大な力が具体化したもののようにも思えた。

 しかし、ここは夢だ。

 現実とはかけ離れた領域だ。なにが起きてもおかしくはなく、脳が生み出す妄想がドラゴンという形で具現化してもおかしくはないのだ。冷静に考えれば、そういう結論になる。もっとも、ドラゴンは不服そうにしているのだが。

「そんなものが必要なのか? 俺は俺だ。おまえがおまえであるように」

「……それもそうか」

 ドラゴンの言い分に納得したわけではないが、彼が本当に黒き矛なのかどうかなど、いずれわかることかもしれないとも思った。不毛な争いでもある。セツナが黒き矛のすべてを知っているわけではない以上、本当に黒き矛なのだという証拠があったのだとしても、セツナが認証する方法がない。結論が出ないのだ。

「で、さっきの続き。ミリュウが気を失ったのは、黒き矛に触れたせいなのか? ミリュウは、俺よりも矛を使いこなせていたぞ?」

 問いかけるセツナの脳裏には、紅蓮と燃える炎の森で、カオスブリンガーの複製物を振り回すミリュウ=リバイエンの姿が浮かんでいた。彼女は、黒き矛の力をこれでもかと引き出していた。彼女の振るう矛の力は、セツナの振り回す矛の力の比ではなかった。たった一閃で、彼女の前方の木々が薙ぎ倒されるのを目撃したとき、セツナは、自分の無力さを思い知ったものだ。いや、力量の差を理解したのだ。ミリュウとセツナの間に聳える絶対的な力の差の壁は、同じ性能の召喚武装を手にしたからこそ判明したものだ。複製物であっても、黒き矛は黒き矛だった。

 終始、圧倒されていた。せっかく作ってもらった鎧は破壊されただけでなく、抱きしめられたまま死ぬところだった。危うく命を落としかけたのだ。皆の期待と信頼を裏切るところだった。黒き矛のセツナに求められるのは勝利だ。敵対者の殺戮であり、圧倒的な勝利なのだ。敗北など、だれも求めていない。

 敗北したとき、セツナは居場所を失うかもしれない。

 そういう恐怖がある。

 もっとも、セツナの敗北とは、死、以外にはありえないのだが。

「おまえにはそう見えていたか」

 ドラゴンが目を細め、哄笑する。だが、耳障りな声ではない。むしろ、妙な心地の良さがある。黒き矛を握っている時のような感覚に似ている。奇妙な気分だった。だが、決して悪いものではない。黒き矛の禍々しさに見慣れたように、目の前のドラゴンの威圧感にも慣れてきていた。

「あの娘は俺を使いこなせてはいなかったのだ。確かに、おまえよりも余程多くの力を引き出せてはいたがな。だが、それだけだ」

「それじゃ駄目なのか?」

 セツナには、それで十分のように思える。黒き矛に秘められた力を大量に引き出せるのなら、使いこなせているといえるのではないか。セツナは、ミリュウほど上手く黒き矛の力を解放できた試しがなかった。いつだって黒き矛に頼ってきたし、全身全霊で力を解き放ってきたつもりだった。しかし、ミリュウの矛の使い方を見ていると、いままでの自分が恥ずかしくなるほどだった。苛烈にして凶悪、理不尽な暴力とはこういうものかと見せつけられた。対抗できたのは一瞬だけで、それ以外は常に押されていた。劣勢。あのままミリュウが正気を保っていたらと考えると、ぞっとしない。セツナは間違いなく殺され、ミリュウが黒き矛の主となったはずだ。

「だれもがおまえのようにはいられない。おまえのように、確たる己を持ち続けることはできない。故に俺を支配できないのさ。俺の力を。俺という存在を使役できない」

「俺は……」

「だから問う。おまえはいったいなんなのか、と。おまえだけが、俺を支配する。俺の力を制御し、制圧し、使いこなしている。おまえだけだ。おまえ以外の何者も、俺に触れることさえかなわない。不愉快なことだが、認めざるを得まい。おまえが我が主なのだ」

「主……」

 不愉快という言葉とは裏腹に満更でもなさそうなのは、どういう理由があるのだろう。いや、気にするのはそこではない。彼のいったことのすべてに関心を向けるべきだった。ドラゴンがいうことが真実なら、セツナは黒き矛を支配しているということになる。

 カオスブリンガーというじゃじゃ馬なんていう言葉だけでは表現しきれない化け物のような召喚武装。

 セツナは、これまで一度だって完全に制御できたと思ったことはない。黒き矛の力は、いつだってセツナの想像以上に苛烈で、破壊的だった。この世界に召喚されて以来、数ヶ月間、ともに戦い抜いてきた。しかし、セツナには黒き矛を支配しているという感覚はない。むしろ、黒き矛に支配されているのではないかと思うこともあった。

「そうだ。たとえあのとき、おまえがあの娘に殺されていたとしても、あの娘が俺の主になることはなかっただろう。あの娘では、俺を支配できないのだからな」

 ドラゴンが翼を広げる。闇色の翼が空を覆うほどに広がり、数十メートルを優に超える巨体がさらに何倍も大きく見えた。彼は己の巨躯を顕示することで、自分の力がどれほどのものなのかとセツナに説明してくれているのかもしれない。動物が威嚇しているようにしか見えないのが困ったところではあったが。

 セツナは、ドラゴンの複眼を見つめた。真紅の瞳。灰色の世界で、その色彩のあざやかさは目に痛いほどだ。

「俺は、あんたの主なのか? 黒き矛の。カオスブリンガーの」

「何度もいわせるな」

 不意に、セツナたちの頭上に光が差した。灰色の空から降り注ぐのは、やはり、灰色の閃光だった。眩しく、強烈な輝き。ドラゴンが空を仰ぎ、目を細めた。

「目覚めのときだ、我が主よ」

「待ってくれ! まだなにも聞いちゃいない!」

 セツナは、慌てて叫んだ。聞きたいことは山ほどあったはずだ。しかし、すぐに思いつかない。もどかしさに舌打ちしながら、セツナは駆け出していた。ドラゴンとの距離を少しでも縮めようとするのだが、彼は遥か前方にいて、どれだけ全力で走っても届きそうにない。

「くだらぬことに拘っているからそうなる」

 黒き竜はセツナを嘲笑すると、翼で大気を叩いた。衝撃波が起こり、セツナはまたしても吹き飛ばされ、空中高く打ち上げられた。漆黒のドラゴンが大量の砂塵を舞い上げながら飛び立つ瞬間を目撃する。爆発的な力の奔流が空へと昇っていく。

「カオスブリンガー!」

 呼びかけたところで、ドラゴンの姿は影も形もなくなっていた。

 セツナは、呆然としながらも、覚醒の予兆を感じた。

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