第二千五百九十一話 神雷、斬り裂いて(七)
オーロラストーム・クリスタルビットが奏でる電子の旋律。
その中を、ファリアを抱えたジナが全力で駆け抜けていく。
ジナは、必死だ。必死の形相で、空を駆け抜ける。ディルムラの攻撃は、クリスタルビットだけには留まらない。伸縮自在の銀髪が電光を帯びた触手の如く追いかけてきて、ジナは泣きそうになっていた。銀髪に掴まれば最後、ジナもファリアも回復も追いつかないほどの電熱に焼き尽くされ、命を落とす。死にたくないのはだれだって同じだが、それ以上に、ジナは、帝国の勝利に全霊を賭している。皇帝ニーウェハインへの忠誠心が彼女を突き動かしているのだ。それがファリアにも伝わってくるから、彼女は、全力でジナを応援し、彼女のためにディルムラを討たなければならないと考えていた。
ディルムラの巨躯そのものは、動かない。その圧倒的巨体故の鈍重さは、ディルムラだけの特徴なのか、分霊全体の特徴なのか。いずれにせよ、その鈍重さ故、ファリアは、じっくりとディルムラを観察することができていた。
回避はジナに任せればよく、結晶体による攻撃に関してはかわす必要もない。結界は、制御下に入った結晶体の数だけ分厚さを増し、安定性も増した。ディルムラは、クリスタルビットを結界内に突っ込ませるのではなく、電光障壁の発生源たるクリスタルビットに直撃させることで、結界そのものを消し去ろうと試みていたが、クリスタルビットはファリアの意のままに動くのだ。結晶体目がけて突っ込んできたのであれば、障壁に突っ込ませるように位置をずらせばいい。そうすることで障壁の中に突っ込ませ、クリスタルビットをディルムラから取り戻すのだ。それは実際に成功し、ファリアはさらに数多くの結晶体を取り戻したが、ディルムラもさるもので、即座に対応した。つまり、結界の角度変更に合わせて結晶体を移動させ、結晶体にぶつけてきたのだ。これにより複数の結晶体同士が激突し、いくつもの結晶体が砕かれていった。
結界が小さくなれば、それだけディルムラの攻撃に曝される可能性は高くなる。毛髪も追ってきている。余裕などはなく、追い詰められているといっても過言ではなかった。地上戦力は少なく、飛行部隊となるとさらに少ない。ディルムラへの攻撃も消極的なものとなり、ディルムラの損傷を回復速度が上回っていた。もはや、味方の攻撃に期待することはできない。では、どうやってディルムラを討つのか。そも、ファリアにディルムラを討てるのか。
方法は、ある。
ファリアには、ジナが回避に専念してくれているおかげで、ディルムラを観察する時間があった。そして、その時間こそが極めて有用であり、勝利の可能性を教えてくれるものだったのだ。ディルムラの巨躯は、その膨大な生命力故、多少の損傷などたちまち回復してしまう。右手首が瞬く間に復元したように。武装召喚師たちが苛烈なまでの攻撃を叩き込んでいた下半身はいまや元通り、傷ひとつない姿を見せていた。分霊なのだ。その回復能力を侮ってはいけない。故に苦戦を強いられるのはわかりきっていたことなのだが、一点、ファリアの目に止まった。
ディルムラの胸だ。
人間でいう心臓の上辺り。ちょうど、ビットジャベリンで攻撃した部分だが、その部分にはなぜか、痛々しいまでの傷跡が残っていた。ディルムラの回復能力を持ってすればたちまち修復できそうなものだが、それをしないということは、できないということなのではないか。理由はわからない。そこがディルムラの弱点だからなのか、それとも、ファリアたちを呼び込むため、わざと放置しているのか。
いずれにせよ、ファリアは、その一点に注目せざるを得なかった。元より、彼女の狙いはそこなのだ。分霊を斃すには、神人や使徒同様、“核”のようなものを潰す以外にはない。でなければ無限に近く回復する化け物との消耗戦となり、こちらの敗北は決定的だ。
「ファリア様!」
ジナの悲鳴は、ディルムラに支配されたクリスタルビットと電光を帯びた銀髪がいつの間にかファリアたちを包囲していたからだろう。ジナは回避に専念するあまり、ディルムラの誘導に従ってしまったのかもしれない。ディルムラはさぞほくそ笑んでいることだろう。この状況ならば、ジナには逃げようもない。また、外部からジナとファリアを救い出すこともできない。外部からの攻撃では、無数の結晶体とそれよりも多い毛髪の壁を打ち破ることはできまい。
もっとも。
ファリアは、ジナの肩に手を置くと、怪訝な顔をする彼女に向かって告げた。
「ここまでありがとう。助かったわ」
「はい?」
「ここから先はわたしの仕事よ」
ジナの腕を解き、茫然とする彼女を蹴り飛ばす。
「へっ!?」
意味もわからないまま電光結界から放り出されていくジナを見遣りながら、ファリアは結晶体を足場としつつ、腕輪型通信器に向かっていった。
「マユリ様、いま、わたしから離れたものを遠くに転送してください」
『了解した』
返事が来るが早いか、ファリアの名を叫ぶジナの体が視界から消えて失せる。外部からの救助は不可能でも、戦神盤を用いれば脱出は容易い。ファリアだって、この包囲網を抜け出すことそのものはなんの問題もないのだ。しかし、彼女はそうしなかった。クリスタルビットによる結界を解き、足下に並べ、強固な足場とする。オーロラストーム自身には飛行能力こそないが、クリスタルビットの使い方次第では空中を移動することも不可能ではない。
『ファリア。おまえはいいのか?』
「はい。この状況を脱し得なければ、勝ち目がありませんから」
『そうか。ならばわたしはおまえに力を送るのみとしよう』
「ありがとうございます」
マユリ神の心遣いに感謝しつつ、ファリアは、周囲を見遣った。全周囲、支配されたクリスタルビットと電光を帯びた銀髪が覆い尽くしている。すぐさま攻撃してこないのは、ディルムラが勝利を確信し、酔っているからか。あるいは、ファリアの出方を窺いかねているか。どちらにせよ、この無意味ともいえる時間がファリアには有り難かった。おかげで、彼女の最終手段がお披露目できる。
共鳴が止んだ。
クリスタルビットたちの歌が、終わったのだ。
故に彼女は、呪文の結語を口にする。
「武装召喚」
武装召喚術を完成させる呪文の末尾。その四字を彼女が口にした瞬間、クリスタルビットたちが電気信号、あるいは電子音によって奏でていた術式が完成を見た。彼女が受け継いだふたつの術式。完成は発動を意味し、発動の瞬間膨大な量の精神力が吸い取られるような感覚があったが、当然のことだろう。ふたつの召喚武装を呼び寄せたのだ。それも、いずれも強力無比な召喚武装であり、彼女がその完璧な制御に苦心していたものたちだ。
爆発的な光が視界を染め上げる中、ディルムラが動いた。ファリアが武装召喚術を唱えたことに驚きつつ、対応したのだ。召喚が完了する前にファリアを討ち滅ぼせば、あるいは、召喚が完了しようがしまいが、ファリアさえ殺してしまえば、決死の召喚劇も無意味となる。全周囲からの包囲攻撃。結晶体が銀光を発しながら飛来し、電光を帯びた銀髪が殺到する。その殺意の激流のただ中で、彼女は召喚の完了を認識した。すべての感覚の爆発的な増大。物凄まじい勢いと速度で殺到してきているはずの結晶体、毛髪の動きが緩慢に思えるほどに、彼女の感覚は研ぎ澄まされた。
彼女は、オーロラストームを左手に持ち替え、右手に閃刀・昴を握り、背に天流衣を纏っていた。そして、天流衣で全身を覆い、ディルムラの猛攻に対応する。
クリスタルビットの嵐も、電光を帯びた銀髪の猛攻も、天流衣が容易く受け流す。
天流衣は重力を中和するだけの召喚武装ではない。天流衣の表面には常に力が流れている。その流動する力が、触れるものすべてを受け流してしまうのだ。
ディルムラの猛攻も、真価を発揮した天流衣の前では意味をなさない。
もっとも、防戦一方では、いずれこちらが消耗し、敗れ去ることに変わりはないが。
(御祖母様……いまこそそのお力、お借り致します)
ファリアは、閃刀・昴の柄を握り締めて、胸中で告げた。