第二千五百九十話 神雷、斬り裂いて(六)
視界が銀色に塗り潰された瞬間、ファリアは、悪い予感を覚えた。そして、その予感から生じる警告に従うようにして、周囲の結晶体を前面に集中させた。クリスタルビットの共鳴が生み出す強力な電光障壁、その密度を高めたのだ。直後、視界を塗り潰す銀光の中を無数の熱量が駆け抜け、そのいくつかが電光障壁に直撃し、あるいは結晶体を粉砕していった。衝撃が障壁を突き抜けてファリア自身を襲い、ジナが苦悶の声を漏らす。
銀光はさながら嵐の如く吹き荒び、数多の悲鳴や苦悶の声が戦場にこだました。武装召喚師たちがつぎつぎと撃ち落とされていく光景が脳裏に浮かび上がるが、感覚的に捉えた情景に過ぎず、目視できているわけではない。目の前は未だ白銀の稲光に染め上げられていて、なにも見えなかった。ディルムラの咆哮が止み、電熱の嵐が止むまで。
ディルムラの憤怒に満ちた攻撃が止めば、状況は一変する。いや、一変していたというべきか。ディルムラの巨躯、その足下付近から攻撃していた武装召喚師たちのほとんど全員が撃墜されており、遙か眼下に焼き尽くされ、焦げ付いた死体が数多に見つかった。地上部隊にもかなりの被害が出ている。無傷のものなどほとんどいない。剛雷刀を掲げるマリカの周囲にいたものは銀光の嵐から護られたようだが、それ以外は全滅といっていい状態だった。
特に空中戦を展開していたものたちの被害は甚大だ。空中で生き残っているのは、ファリアを含め数えるほどしかいない。ファリアとジナはともかく、ほかはよく生き残れたものだ。そして生き残ることさえできれば、重傷であろうと時間が解決してくれる。
このすべての戦域にいる自軍将兵は、戦神盤を通して流れ込んでくる召喚武装の力により、生命力と自己治癒力を大幅に強化されている。多少の傷ならば立ち所に回復し、重傷であっても、指が千切れたり、腕が吹き飛んだりでもしない限り、治ってしまうのだ。そして、どれだけの損傷を受け、どれだけの被害が出ようとも、どれだけの戦死者が出ようとも、戦意もまた、衰えない。
むしろ、味方の死に直面したものたちの戦意はいや増し、士気もまた大いに高まった。
だれもがディルムラへの怒りを叫び、撃滅の誓いを立てた。
ファリアも、そういった帝国人召喚師たちの声を聞きながら、感情の昂ぶりを抑えなかった。冷静さを欠いてはならないが、かといって、感情を否定するわけにもいくまい。ディルムラは、その圧倒的な力で以て、ファリアの部下となった何百名もの命を奪い去ったのだ。そしてそれは、ファリアがディルムラの手首を断ち切り、長槍を手放させたことが一因なのだろう。
故に彼女は歯噛みした。己の失態が、このような惨状を招いた。別の方法を取っていれば、もっと多くが助かる道があったのではないか。いや、あったはずだ。五百人中の半数以上が命を落とすような、そんな惨憺たる戦いにならずに決着をつけることだってできたはずだ。少なくとも、ディルムラを激怒させることなく戦うことができれば、こうはならなかった。
「ファリア様……あれはいったい」
「え?」
ジナの恐れ戦くような声にはっとなり、顔を上げれば、ファリアは、彼女がなにに対して動揺したのかを理解した。
オーロラストームのクリスタルビットが、ディルムラの巨躯を取り囲むように展開していたのだ。結晶の大剣を構成していた結晶体だろう。
「クリスタルビットが……どういうこと?」
ファリアには身に覚えのないことだった。そもそも、ファリアは、結晶大剣でもってディルムラの手首を切り裂いただけであり、その直後、クリスタルビットを操作してはいない。操ろうにも、その直後、ディルムラが反撃に出たため、護りを固めるので精一杯だったのだ。それ故、結晶大剣がファリアの制御から離れていたのは確かだが、それにしたって、勝手に動くことなどありえない。ディルムラの周囲に展開するクリスタルビットの数々は銀光を帯びており、神々しい輝きを発していた。それはさながら、ファリアへの叛意にも見えた。
いや、違う。
結晶体の中心にはオーロラストームの紫電が瞬いており、ディルムラの力によって強引に抑えつけられ、支配されているらしいことがわかった。つまり、ディルムラに操られているのだ。オーロラストームのクリスタルビット、ファリアの力が。
「ディルムラの奴、クリスタルビットを操って、それでわたしに勝ったつもりなのかしらね」
「召喚武装の一部を操るだなんて、そんなこと、できるんですか?」
「普通、できることじゃないわね」
ファリアは、オーロラストームを握り締める手に力が籠もるのを自覚しながら、それを止めようとはしなかった。そして、オーロラストームが怒りに震えていることも理解する。オーロラストームにしてみれば、自分自身の一部を自分の、契約者の思惑とはまったく異なる形で利用されているのだ。激しい怒りを覚えるのも当然だった。そして、それ故にファリアとオーロラストームの感情は一致し、共鳴していた。力がわき上がり、残る結晶体が彼女の意思を反映して、謳う。
「相手が雷光の化身だから、雷光を司る分霊だからこそできる芸当なんでしょう」
「我は雷天星ディルムラ。この領域の雷光は我が力、我が刃なり」
ファリアの推察を肯定するようにして、ディルムラは告げ、右腕を掲げて見せた。手首の断面を見せつけてきたのだが、そこには電光が収束していて、断面や内部がどうなっているのかはわからなかった。きっと人体とは違うのだろう。依り代とされていても、似ているのは顔面だけなのだ。肉体そのものが同じわけではなさそうだ。やがて電光の中に右手が現れ、ディルムラが失われた右手を復元させたことがわかる。わざわざそう見せつけることで敗北感を植え付けようとでもいうのだろう。もっとも、ファリアは、ディルムラの右手よりも長槍による爆撃を封殺することを目的としていたため、右手そのものが復元されようが、なんとも想わなかった。
神人や使徒の上位存在たる分霊なのだ。“核”に当たるものを破壊しない限り、再生と復元を繰り返すに違いなく、その回復能力は神人らの非ではあるまい。そんなことは、わかりきっている。故に、右手の復元そのものにはなにも感じなかった。
問題は、ディルムラがクリスタルビットを操り、攻撃してくるだろうということだ。銀光を帯びた結晶体の数々がいまにも動き出しそうだった。結晶体たちの抗いは、無意味だ。
「ど、どうしましょう?」
「避けて」
「はい?」
「来るわよ、全力で回避して、逃げ続けるの」
「は、はいいいい!」
ファリアの無理強いともいえるような指示に対し、ジナが悲鳴にも似た大声を発しながら、その碧い翼を羽ばたかせるた。ファリアの体にも圧がかかるものの、ジナの飛行速度そのものは素晴らしい。その軌跡を追うようにして、ディルムラの支配下にあるクリスタルビットが飛んでいくのだが、ひとつとしてジナとファリアを捉えられない。だが、それも最初の内だけだ。クリスタルビットは、ディルムラの意のままに動く。つまり、一度発射されればそのまま直進を続けるだけではないということだ。自在に軌道を変え、ジナを追跡する。あるいは、ジナへの挟撃を試み、または移動先に回り込み、包囲しようとする。
それら結晶体による包囲攻撃が辛くも失敗に終わっているのは、いずれの結晶体も、ファリアが展開中のクリスタルビットの結界に引っかかり、ファリアたちの眼前で動きを止めたからだ。ファリアの顔面すれすれのところで急停止した結晶体を見たところ、結界を形成する電光の障壁に触れたことでディルムラの支配から脱却し、自分を取り戻したようだった。そうなった結晶体は瞬時にファリアに制御下に入ると、彼女の意のままに謳いだした。
電気信号が奏でる音色。
幾重にも響き、無数に返る。
それはさながら、呪文の詠唱に似ていた。