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第二百五十八話 ミリュウとファリア(二)

「で、そのセツナはどこ?」

 ミリュウが尋ねると、ファリアの表情が一瞬強張ったのを彼女は見逃さなかった。理知的な表情が崩れ、ファリア=ベルファリアの本性が一瞬だけ覗いた気がする。おそらく、セツナついての話題に触れられたくないのだろう。こちらが捕虜ということもあるのかもしれないが。

「あなたに教えると思う?」

 声音も、冷ややかだ。突き放すような、刃を突きつけるような、そんな声。

 ミリュウは、彼女の正直すぎる反応に笑みを浮かべた。

「へえ、教えてくれないんだ?」

「……寝ているわよ。二本の黒き矛を使うなんて無茶をしたから、しばらくは起き上がれないでしょうね」

「二本の……黒き矛?」

 ミリュウは、彼女のいっていることが瞬時には理解できなかった。反芻して、数瞬間後に把握する。二本の黒き矛。一本はセツナが召喚した紛れもない本物の黒き矛のことだ。二本目は、ミリュウが幻竜卿の力を用いて複製した偽物に違いなかった。偽物とはいえ、本物とまったく同質の力を秘めている。でなければ、ミリュウに扱いきれないはずがない。彼女でさえ支配しきれないのが、黒き矛の力なのだ。

「そうよ。セツナは二本の黒き矛で、ガンディア軍の勝利を決定づけた。わたしがこうしてのほほんとあなたと話をしていられたのも、セツナが早期に決着をつけてくれたおかげなのよ」

「本当なの?」

「わたしがあなたに嘘をついてどうするのよ」

「でも、信じられないわ」

 複製物とはいえ、黒き矛の力を制御しきれず逆流現象を体験したミリュウにとってみれば、二本の黒き矛を手にして戦い抜くなど、想像もつかないことだった。ミリュウならものの数分も持たずに力の逆流によって意識を失うだろう。いや、意識を失う程度で済めばいい。黒き矛一本で、意識を失う以上のことを経験している。セツナの記憶を垣間見るようなことさえ起きたのだ。黒き矛を二本手にすれば、どんな反動が来るものか。考えるだけで恐ろしい。

 ミリュウでさえ、そうなのだ。セツナのような未熟な武装召喚師が、二本の黒き矛を扱いきれるとは到底考えられない。彼は、黒き矛の力の一端さえ解放できていなかった。ほんのわずかな力で満足していたという有り様なのだ。彼の記憶に見た戦いのほとんどがそれだ。セツナが黒き矛をミリュウ以上に使いこなしている記憶はついぞ見なかった。

 彼は武装召喚師としても、戦士としても未成熟だった。だというのに、二本の黒き矛を手に戦い抜いたというのか。

「……無理に信じなくてもいいわよ。あなたには関係のない話だもの」

「あたしでさえ制御できなかったのよ」

 ミリュウが告げると、ファリアは怪訝な顔をした。彼女には理解できないだろう。ファリアはミリュウの実力を知らないのだ。例えば彼女が武装召喚師であっても、武装召喚師の実力など、ひと目で分かるものではない。身体能力ならば、体の鍛え方などを見れば、ある程度はわかるというものだろうが、武装召喚術ともなるとそうはいかない。肉体の鍛錬も大事だし、知識も技術も必要なのだ。術式の構成、召喚武装の性能、能力。それらを総合したものこそが、武装召喚師としての実力だろう。

 ミリュウは、ファリアを見ていた。傷だらけの顔を隠しもしない彼女は、紛れもなく戦士だ。体も、必要以上に鍛え上げられているように見える。戦闘に参加するのだから当然ではあるのだが。

「あなたの召喚武装が複製したそうね」

「ええ。その力で、彼を殺すつもりだったわ。彼さえ殺せば、あとはどうとでもなると思ったもの」

 思っていた通りのことを告げたものの、ファリアの表情に変化は訪れなかった。

「否定はできないわね」

「実際、黒き矛を手にしたときにわかったわ。黒き矛さえあれば、ガンディア軍を殲滅することくらい簡単だってね」

 それほどの力を秘めていた。

 自在に扱うことさえできれば、ザルワーンだって滅ぼせるかもしれない。力に酔い痴れながら考えたのは、そんなことだ。ミリュウにできるはずもない。呪縛がある。魔龍の首を締め付ける鎖は、龍府の闇の奥底へと繋がっていて、彼女自身ではどうすることもできない。そんな感覚がある。それはただの錯覚かもしれない。気のせいなのかもしれない。しかし、ミリュウがザルワーンを裏切れないのも事実だ。この国が地上に存在し続ける限り、彼女はザルワーンに隷属し続けなければならない。そういう風に仕組まれてしまったのかもしれない。

 十年、闇の底にいた。

 その地獄の中に蠢く魔龍たちは、自分のあずかり知らぬところで、ザルワーンへの忠誠を誓っていたのかもしれない。

 馬鹿馬鹿しいことだが、ありえないとも言い切れない。魔龍窟の総帥があの男なのだ。オリアン=リバイエン。ミリュウの実の父親だが、だからこそなにをしでかしてもおかしくはなかった。狂気の中に生きる男だ。現実の中に幻想を見出し、その狂った幻想の中にこそ真理があると公言してはばからない様な男。娘を差し出すことに躊躇いもなければ、娘が壊れ、狂っていくさまをもっとも楽しんでいたのがオリアンだった。

 ミリュウは、頭を振った。いまは、あの男のことを考えている場合ではない。大事な話をしているのだ。そう、彼の話をしている。

「そうかしら?」

 ファリアがミリュウの発言に対して懐疑的なのは、彼女が黒き矛について無知だからにほかならないのだろう。ミリュウは少しばかりの優越感に浸りながら、彼女に説明してあげることで溜飲を下げようとした。両手両足を縛られたこの状況、納得はできても、満足などできるはずもない。不愉快というほどではないが、かといって、楽しいものでもなかった。

「そうよ。セツナは力の使い方を知らないだけ。セツナが黒き矛の力を引き出せたら、こんな戦争とっくに終わっていたでしょうね。そうよ、あたしたちなんて、最初の戦闘で蹴散らされていてもおかしくはなかった」

「……黒き矛の力は知っているわ。セツナと黒き矛の戦いは何度だって見てきたもの。でも……」

「あなたは黒き矛に触れたことはないでしょう?」

 ミリュウは、ファリアの目を見つめた。彼女の瞳には、きっと自分の顔が映りこんでいるのだろう。どういう表情をしているのか、簡単に想像できた。自分の立場というものをまるで理解していないような、憎たらしい顔をしているに違いない。なぜなら、ミリュウには彼女に優っている部分があるからだ。

(彼の記憶にも)

 ミリュウは、セツナの記憶に触れたのだ。どういうわけかはわからない。本物と偽物、二本の黒き矛が共鳴現象でも起こしたのかもしれないし、まったく別の理由かもしれない。黒き矛を手にしたことが一因なのは間違いない。それ以外には考えられない。黒き矛がミリュウの手に負えなかったのだ。しかし、それはきっかけに過ぎず、根本的な原因は、ミリュウには永遠にわからないのかもしれない。黒き矛の主はミリュウではないのだ。調べようがない。そして、もう二度と黒き矛に触れようとも思わない。

 触れれば、また力の逆流によって自分を見失うだろう。その結果がどうなるか、考えただけでもぞっとしない。今回は、どういうわけかセツナの記憶に触れ、気が付くと、夢が覚めるように現実へと回帰していた。運が良かったのだ。毎回こうなるとは限らない。いやむしろ、こうはならないと考えるべきだろう。逆流する力に飲まれ、精神的な死を迎えるかもしれない。廃人化した元仲間たちのように。

「ええ、ないわね。だから、黒き矛がどれほどの力を持っていて、それを行使するセツナにどれだけの負担がかかっているかなんて、全部想像するしかないのよ。だから正直、あなたが羨ましいわ」

 ファリアは、ひどく哀しそうな目をしていた。

「いまのあなたなら、セツナの気持ちがわかるんでしょうね」

 彼女の問に対して、明確な答えは持っているはずだったが。

「さあ? どうかしらね」

 ミリュウは、天井に視線を戻して、ぶっきらぼうにつぶやいた。なぜか、ファリアの感情を踏み躙るような気になれなかった。確かに、いまなら彼の気持ちがわかるかもしれない。黒き矛を振るうことにどれだけの負担があるのか、黒き矛の力とはなんなのか。あの圧倒的な万能感は、黒き矛を握ったものにしかわからないだろう。

 そんな全能感の中で殺戮を続けなければならない彼の気持ちなど、ミリュウ以外のだれにもわかるまい。ミリュウだけが、彼の心情を理解しうる。自負とは違う。ミリュウは彼の記憶に触れてしまったのだ。戦闘と殺戮に塗り潰された青春の日々。目を覆いたくなるほどの惨状を築きあげるのが、彼の役目だった。敵とみれば有無をいわさず殺さなくてはならない。人を殺すのにも慣れているはずだ。数えきれないくらいの人間を殺してきたから、彼はガンディアの象徴として輝いている。

 それでも、苦しいのだ。

 心が痛いと叫んでいる。

 ミリュウも同じように泣き叫んでいた。心の奥底で。だれにも聞こえない、声無き声をあげていた。共感を覚えるのも必然だったのかもしれない。同情ではない。断じて、そんなものではないのだ。慰め合おうとは思わない。ただ、同じ気持ちを抱いて生きている人間がいるということを知って、彼女は歓喜に近い感情を抱いたのだ。

 だから、そんな彼の心を救う光の存在についても、感謝している。

 ファリア=ベルファリア。

 セツナの記憶の大半を埋め尽くす女の表情は、ミリュウの心をも照らしてくれた。多少の嫉妬を抱かないではないが、そもそも、ミリュウとセツナの接点といえば、この間の戦闘だけだ。セツナからしてみれば、ミリュウからの好意など寝耳に水もいいところだ。

(好意?)

 ミリュウは胸中で苦笑した。馬鹿げている。なぜ、敵対し、殺し合ったばかりの相手に好意を寄せるというのか。しかも、戦いは終始ミリュウが優勢であり、セツナを殺す寸前まで追い詰めていたのだ。逆流さえ起きなければ、確実に殺害していただろう。当時のミリュウに彼を生かしておく道理はなかった。ザルワーンの武装召喚師なのだ。攻めこんできたガンディアの武装召喚師を殺すのは、当然だった。

 だというのにも関わらず、ミリュウは、セツナのことばかりを考えている。おかしなことだと思うのだが、感情というのは自分ではどうすることもできないらしい。ファリアに妙な敵対心を抱くのもそのせいだ。ファリアは、彼にとって特別な女性だった。だが、だからこそ、礼をいわなければならない。

「ただひとつ、いっておくわ」

「なに?」

「ありがとう」

 ミリュウが告げると、ファリアは、彼女の予想通りわけもわからずきょとんとした。

「え?」

 間の抜けた顔だったが、理知的な仮面が剥がれ落ち、むしろ愛嬌になっていた。ミリュウが彼女に対して悪意を抱けないのは、ミリュウから見ても魅力的な女性に映るからだろう。彼女ならば、セツナの記憶を埋め尽くしていても不思議ではない気がする。悔しいが、認めるしかない。

「あなたのおかげで、あたしは生き残れたのよ、きっと」

 ファリアという心の支えがあったから、セツナは今日まで戦い抜いてこられたのだ。

 だから、ミリュウは生き残った。

 思い込みなどではない。

 さまざまなものが絡み合った結果として、ミリュウはいま、生きているのだ。

 生きていられるのは嬉しいことだ。死にたくなどはない。十年前からずっと、その想いを抱いて戦い抜いてきた。

 クルードもザインもそうだろう。死にたくなんてなかったはずだ。それでも、死が舞い踊る戦場に赴かなければならなかったのだ。彼らもまた魔龍であり、ザルワーンに縛られていたのだ。ザルワーンを憎んでいても、裏切れなかった。

 ザルワーンでの居場所を失うことを恐れたのかもしれない。

(あ……)

 ミリュウは、ふと、気づいた。

 自分は、すべてを失ったのだ。

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